【2-9】僕の目の前に
嵐が近づいているのか、空は暗く、黒い雲が迫ってきていた。
港へ向かう道中、すれ違う人々の口から漏れるのは、聞くに堪えない罵倒ばかりだった。王女が王子を誘拐した。逃げ出した魔女が、国を滅ぼそうとしている、と。
『あーあ、まんまと王妃に先手を打たれたわね。世間は私達の味方をしてくれない』
「……放っておきなさい。国民には、分からないのよ」
「仕方ない」、自分に言い聞かせるように反芻させた。深く被った頭巾の端を握りしめ、私たちは北の桟橋へ急ぐ。
私がシエルとの日常を過ごしながらも、常に地下深くで皮膚を焼かれながら魔力を吸われていたことなど、誰も知らないし、知りたくもないのだ。彼らは明日の暮らしさえあれば良い。私の命一つでこの街の暖炉は灯っていた。
雑踏を抜け、潮の香りが濃くなったところで、私は前方を指差した。
「あの領旗が付いていない、ボロ船かしら?」
周囲には人が少なく、薄暗い。大運河で栄えた港の反対側にあるこの場所は治安もあまり良い方ではない。だからこそ、このような密入国船がしれっと紛れ込んだりしていることもあるのだが。
『乗っても大丈夫なの……? 私達殺されたりしないわよね?』
シエルは怪しがって中々動かないが、ここで尻込みするわけにもいかない。
『ねぇ、バレずに乗船なんか本当にできるの?』
「やるしかないのよ。あ! 貨物船があるわ! あれに急いで乗り込みましょう!」
『私初めて船に乗るのに……』
嫌がるシエルの首根っこを掴み、大急ぎで桟橋の近くにある木箱の裏に隠れた。何やらそれなりに身なりがしっかりとした男達が作業をしている。
(彼らは男爵程度の格好をしている……そんな高貴な身分の人間が何故下層街に?)
『お姉様』
くい、と袖を引っ張られたので横を見てみると、にんまりとしたシエルが、手に載せたある物を見せてきた。懐かしい、古代魔術のドールだ。今回は子猫のような形をしていて、周りの木屑から出来ているのでフワフワとした触り心地だった。
ミッミッと鳴く機械仕掛けの子猫は、シエルの指示に従って短い足をぽてぽてと動かし、怪しげな男達の元へと進んでいく。
「ねぇ、シエル何が見える?」
『男たちは五人。腰に短剣を隠し持っているわ。貴族の従者風の服を着ているけれど、言葉遣いは完全に荒くれ者ね。積み荷を点検してるわ』
「この国の貴族に雇われているのかしら」
しばらくすると、突然シエルは目を開けて声を漏らした。
『……っ! お姉様! あの木箱、シルヴレッタ王家の紋章が』
「ちょっと私にも見せて!」
シエルの手を握り目を瞑ると、モフモフの茶色い毛並みが視界の端を覆っていた。少し上を見ると、確かに我が家の紋章が刻まれている。
〈まさか……が、……とはな〉
〈……様に渡す箱はこれか?〉
〈あぁ、気をつけて運べよ。……は適当に市民に売り捌けば良いさ〉
男達は王家の紋章を入れた木箱を馬車へ移すと、何人かは乗り込んで居なくなっていく。残った数人も、別の馬車の荷台に重たそうな木箱を積み込んでいた。
ドールの耳を澄ませても、男たちの声は潮騒にかき消され、断片的な単語しか拾えない。
(王家の紋章付きの荷物か……)
胸騒ぎがするが、今彼らを止めることは出来ないしそんな時間も無い。
視界がふっと元に戻り、私はまぶたを開いた。握りしめていたシエルの手から、冷たい感触が伝わってくる。
「……何かを極秘に運び出しているみたいね。正規の流通を通さない、闇の積み荷よ」
『関わらない方が身のためね。でも、あの船が国境や隣国へ向かう密航船なのは間違いなさそうだわ』
馬の蹄が地面を蹴る音が遠くなってきた頃、ドールとの接続を切り、目的の船の方を見据える。男二人が煙草を吸いながら船の甲板で談笑しているようだ。
甲板の上で、男の一人が懐を探り、マッチを擦った。
「おい、火を寄こせ」
「風を遮れよ、消えちまう」
二つの頭が手元の小さな赤い火へと寄り集まり、意識がこちらから完全に切れた。
「シエル、今よ」
船の側面を冷たい波が叩く音に紛れて、私たちは濡れた係留ロープの近くに進んだ。
このまま綱渡りはリスクが高すぎる。掴んだロープから感じる、麻のざらつきと、冷たい水の湿り気。
かつてあの庭園で、コンラッドお兄様が笑いながらよじ登っていた、壁に沿って生えた緑の太いツタを脳裏に強く思い描く。
(大きく太く、葉も生えていて、私たちが掴んで進めるような……そう、これはただのツタ)
じわり、と指先から魔力が染み渡る。
使い古されて泥や苔が詰まっていた係留ロープの繊維が段々と膨らみ、瞬く間に硬い表皮と、青々とした掌大の葉を次々と芽吹かせた。
足をかけるのにあつらえ向きの節と、手を引っ掛けるための太いツタ。
『……すっかり私達の魔術の使い手ね。見事だわ』
シエルの小さな囁き声を背に受け、私は息を殺してツタの節に足をかけた。
ドレスを脱ぎ捨てた身軽な旅装の足取りは驚くほど軽い。素早く登り切り、甲板の縁に指をかける。シエルは浮いたまま私の後ろをついていた。
「シエル、気をつけて。この先に男がいるわ」
彼らは笑いながら酒を飲んでいた。私が隙を見て登ろうとしているその最中、一際強い風が吹きつけ、船が大きく揺れる。男の一人は千鳥足でよろめき、酒瓶を海へと放り投げた。
「おい、もっと強い酒はねぇのかよ!」
「お前は朝から飲み過ぎだよ。もうやめておけ。……風が冷たくなってきたな、嵐が来る前にひと眠りしとくか」
二人が背を向け、甲板奥の船室へと足を引きずっていく。
私は船に足をかけ、力一杯腕を引き、船の中に転がり込んだ。思いの外高低差があり、ドン、と甲板に音が響く。私は急いで近くの防水布に隠れた。
「おい! なんか今聞こえなかったか?」
「どうせ野良猫か何かだよ。この辺り多いんだから。あー、頭いてぇし眠い」
男達の足音が聞こえなくなった頃、私はようやく一息ついて動き出すことが出来た。
『お姉様の馬鹿!』
「私もこんな高いと思わなかったのよ」
シエルは手を額に当ててため息をついていた。私は膝を擦りむいた痛みを堪えながら、防水布の隙間から慎重に顔を出した。
薄暗い甲板には、雑多に積まれた木箱や酒樽が影を作っている。見張りたちのいる船室の方からは、かすかにいびきのようなものが聞こえ始めていた。
(……ハッチはどこ?)
身を低く屈めて木樽の隙間を這うと、濡れた床面に赤錆びた分厚い鉄の扉が口を閉ざしていた。船倉へと続く昇降口だ。古びた鎖と錠前が取り付けられ、簡単に開きそうもない。
「どうやって壊せばいいの……音を立てれば流石にバレてしまうし……」
『お姉様、私が錠前を破壊するわ。私の方が早いもの』
私がこくりと頷くとシエルが鍵を握る。シエルが触れたところから赤黒く染まった鎖は、ポロポロと粉になっていく。俯いて、淡々と壊していった。
「何、これ」
『……』
シエルは返事をしなかった。どちらかと言うと、したがらなかった。私には言えないような古代の魔術はまだまだあるのだろうか。
私はシエルの魔術を気にするのをやめ、ハッチの下に風の魔法陣を設置し、少しずつ扉を上に押し上げていく。人が通れる高さまで開いた瞬間、私たちは中へと滑り込んだ。
――ガチャン
頭上で自重に任せて勢いよく閉まる扉の音がした。背中が階段の段差と擦れて痛い。暗闇に包まれた船倉の階段を静かに降りていく。コン、と部屋の奥の方で革靴と床がぶつかる音がして、私はその場で立ち止まった。
(……誰かいる!)
心臓がバクバクと動くのを全身で感じる。右手がチリチリと熱を持ち始めていた。息が上がるのと呼応するように、熱はどんどん集まっていく。白い手の暴走を恐れ、私は右手をグッと抑えた。
シエルが私の耳に口を寄せる。
『……私が3つ数えたら灯りを出すわ。仕留めて』
相手が一歩ずつ近づく音がする。
『3』
『2』
『1!』
——ダンッ!
私は意を決して左手を床に叩きつけた。ピシピシと周囲の水分を巻き込んで床が凍っていく。
一瞬、閃光弾のように光って昼間のような明るさになった船倉。
私の目に映ったのは、フードで顔を隠し、両手で短剣を握りしめ、こちらに振り下ろす男。
しかし、私が刃物で目を刺されるよりも、私の魔術が彼の足に絡みつく方が早かった。
「……っ!」
「シエル、普通に灯りを出して。もうこいつは動けないわ。口も足も腕も氷漬けよ」
『はいはい』
シエルが腕を大きく回すと、ふわりと周りを照らす光の玉が飛び出す。部分的に照らされた男のフードを剥ぐと、そこにあったのは自分の家族の顔だった。
「レト、お兄様……!? 本物なの!?」
「んー!んー!」
『あら第二王子じゃない』
半泣きになりながら首を振るレトを見て、私は大急ぎで魔術を解いた。
「ぷはっ、げっほげっほ」
「ご、ごめんなさい、まさかレトお兄様だとは思わなくって……」
シエルが咳き込む背中を撫でながら、やれやれと肩をすくめた。彼の手から落とされたナイフがカランと床に落ちる。
「……アンネこそ本物かい? 僕はまだ、夢を見ているんじゃ」
「ええ、私よ。アンネリーゼ・シルヴレッタよ。ねぇ、レトお兄様、どうしてこんな所に、しかも一人で?」
周囲を見渡しても、他の人影はない。
レトの後ろに常に影のように控えていたはずの、あの無口な侍女の姿がどこにも見当たらなかった。
「あの、マドライナは……? 号外には、彼女が王妃暗殺未遂で手配されているって書いてあったわ」
「マドライナは、彼女は、僕を追う追っ手から僕を守るために、一人で魔術師団の気を引いて、それで……」
「まさかっ!」
レトは顔を覆って泣き始めた。
外では雨が降り始めたのか、天井からはダンダンと雨が当たる音がする。雨足は強まるばかりだった。
『で、死んだの?』
「ちょっとシエル!」
『分からないじゃない。魔術師団との戦闘で死んだのか、捕まってるのか。死んだところは見たのかって私は聞いてんのよ』
レトは眉をひそめ、顔を上げた。
「……僕は逃げるのに必死で、彼女が死んだかどうかは分からない。ただ……」
「ただ?」
しばらく言葉に迷った末に一度目を閉じ、苦悶の表情を浮かべながらも、レトは思い切って口を開いた。
「彼女の左腕が、僕の目の前に吹き飛んできたんだ」
マドライナとレトの身に一体何が起こったのでしょうか。次回は、シエルとアンネリーゼが王都脱出を試みる最中のレト視点の話です。




