【幕間】ルカと書庫
生体核というのは、この国で最も名誉な終身刑であり、人としても王族としてもほぼ死を意味する仕事だ。
有事の際に選ばれて、民は「この国を支えるために頑張ってくれるんだなぁ」程度の感情しか持っていない。何故そんなにも事実と認識の齟齬があるのか、それは生体核は地下深くに見えないよう隠されているからだ。
「まずはアンネの居場所を探らなければ」
俺の目下の目標はこれだった。しかし、如何せん情報が足りない。何をすればいいのか、どこを探せばいいのかさえ、俺にはさっぱりだった。
アンネから少しだけ教わった魔術の理屈を思い出そうとしても、役に立つようなものが分からないし、頭に浮かぶのは彼女の困ったような笑顔ばかりで、肝心の呪文や知識は霧の中だ。
「ちょっと赤目、窓ふきが終わったなら、離れの書庫に行って頂戴。掃除、頼んだわね?」
顔も見ないで押しつけられた箒と雑巾を持ち、俺は王宮のありとあらゆる場所を巡らされた。皆自分の管轄にいて欲しくないからと、たらい回しにされ続けたが、俺としてはかえって好都合だ。
「ここが書庫か」
王宮の裏にある森の中にひっそりとたたずむ四角い建物。見た目こそ荘厳だが、ツタが張りついて長らく避けられてきたことがよく分かる。扉には嫌なものを封印するかのように、鍵が厳重にかけられていた。
——ギィ
「おぉ……!」
ほこりっぽい空気が肺にすっと忍び込んだ。忌み嫌われる書庫の中は、窓から差し込む月の光が埃と反射して中はキラキラと輝いて見える。目の前にはどこまでも続く、人間の英知の結晶達。
この暗闇のどこかに、アンネを救い出すためのヒントはきっと眠っている。そんな期待が淡く灯り始めた。
俺は掃除も忘れ、片っ端から本の背表紙を指でなぞっていた。
「高等飛行魔術の禁忌、魔法陣構成学、ツェール論における再現性……全然分かるものがないな」
俺は次々と棚を巡っていく。そうこう歩くうちに、一番奥まで来てしまったようだった。
「なんだこれ」
月の光さえ当たらない書庫の暗闇に沈んでいたのは、大きな石の扉。表面にはなにやら細かい文様のような突起が多くあり、暗くてよく見えないが自分の身長二つ分はある高さだった。俺はそっと扉の取っ手を握りしめた。
「っん!?」
目に見えない力が働いた、というのは説明されなくても分かる。この大きな扉に、俺の血管が引きずり出されるような、気持ちの悪い感覚がして急いで手を離した。
次の瞬間、扉の凹凸が赤く光り始め魔法陣のようなものを浮かび上がらせた。
『リンドヘルヴじゃないか! あぁ、君のことを何百年も待ったんだぞ!』
「誰だ!」
『久しい友との再会にその態度は些か酷いではないか!』
空から降るのは貫禄のある男の声。俺の友だと言って、何やら存在しない思い出を懐かしんでいるようだが俺に友達は居ない。大切なのはアンネリーゼだけだ。
「俺はお前のことを知らない! 悪いが人違いだ!」
『ムッ、私が間違えるわけが無かろう。その魔力、お前自身が、私との関係を証明しているぞ』
「俺自身が証明……?」
『その赤い瞳が何よりの証拠だろう?』
聞き覚えのない言葉に、俺は思わず自分の目に触れた。
この赤い瞳が、何かを証明している? 差別され、蔑まれるための印ではなく、この化け物との繋がりを示す証だというのか。
『そうだ。その瞳に宿る熱こそが、私が交わした契約の残照……あぁ、いい匂いだ。リンドヘルヴの血が、ようやく私の元へ帰ってきた』
俺は大きなため息を一つつくと、扉に向かい合った。暗闇の中で赤く光る線は、よく見ると大きな絵を描いているように見えた。
「俺はリンドヘルヴではない。ルカ・シュタイナーだ。お前が何者かは知らない、以上」
俺は、吸い寄せられるように張り付いていた右手を、もう片方の手で力任せに引き剥がした。その瞬間感じたのは、味わったことのないような、身体の内側から感じる嫌な感触。心臓が早鐘を打ち、全身が「ここから逃げろ」と警告を発している。
『シュタイナー? くく、ははは! 笑わせるなよ、リンドヘルヴ。泥を被り名前を変えれば、その血に刻まれた罪まで消えるとでも思ったか?』
嘲笑うような地響き。俺は無視して掃除道具を掴み直し、踵を返した。
こんな気味の悪い扉、もう二度と来ないでおこう。俺は真っ当な方法でアンネを見つけるんだ。
『アンネリーゼ・シルヴレッタ……か。お前はまだシルヴレッタの一族に惑わされているのだな』
「お前何故その名前をっ!」
箒を剣のように持ち、その扉に刃を向けた。なんなんだこいつは。アンネリーゼと何の関わりがあるんだ。
『彼女のことを知りたいか?』
「……」
『あーあ、大切な主君が今、どうなってるのか知りたくないのか?』
「貴様!」
『答えはこの扉の奥にある。どうするリンドヘルヴ。是非とも、数百年ぶりに魔力を通わせようではないか』
扉の魔法陣から漏れ出す赤い光が、霧のように俺の足元を這い回る。燃えていないはずの赤から、チリチリとした不快な熱を感じた。
俺には、魔術の知識もない。王宮を動かす力もない。ただ、この目の前にある「禍々しい何か」だけが、今の俺にアンネを救い出すための唯一の道を示している。
俺は、震える手で再び石の扉の取っ手を握りしめた。
どうせ友達を作るなら、こんな奴じゃなくてもっとまともな奴が良い。そんな毒を吐いてみた。
***
扉を開くと、そこに広がっていたのは大量の本であった。
「なんだこれっ」
息を少し吸っただけで、独特の埃の香りが肺をいっぱいにし、俺は思わず咳き込んだ。
『あぁ愛しい愚かな子、リンドヘルヴ。お前の探すものはこの知識の墓場の中に』
男の声からは、本当に心底嬉しいということがよく伝わった。何をそんなに喜ばれているのか、こっちとしては全く見当がつかない。
——カラン
一歩足を踏み出すと、近くに落ちていたランタンに足があたった。
(明かりもないし、丁度良いから借りていこう)
俺が手に持った瞬間、ランタンの中が青く、うるさく光り始めて、俺はやらかしたと思った。
『まあリンドヘルヴだわ! ねぇ皆起きて! リンドヘルヴが再び現れたわ!』
鼓膜が破けるような高い女の声がランタンから響き渡ると、さっきの男とは比にならないような声量が、狭い部屋に一気に落ちてきた。
『なんだって! もう400年近く来ていなかったのに?』
『最後に会ったのはもっと前さ! ねぇ僕らのこと覚えてる?』
『ねぇ、イゾルテにまた振り回されたりしてるの? 駄目よ、あんな魔術にしか目がない女!』
俺は思いっきり肺に空気を溜めると、声を上げた。
「もう、うるさーい!!!」
『あぁすまないね』
『そんなに怒らなくても良いじゃん!』
声の主達は注意されたことを気にも留めていないのか、またぺちゃくちゃと頭上で話し始めた。これはどうしたものかとため息をつくと、手元のランタンは静かに光りだし、よく見るとその青い光のなかに小さな女の顔が浮かんでいた。
『申し訳ないわ、彼らも悪気はないから許してあげてね。久し振りの再会を喜んでいるだけなの』
「それはまぁ良いけど……リンドヘルヴって誰なの? さっきから俺、誰かと勘違いされてる気がして」
ランタンの中の女ーー青い光の顔は困ったように眉を下げた。
『まぁ、またすっとぼけたことを言うのね。リンドヘルヴとは貴方自身のことですよ?』
「だから、俺はリンドヘルヴじゃないんだってば!」
ランタンはうーんと迷うような、悩むような仕草をすると、思い出したように上へ向けて大声を上げた。
『魔獣達! 私たちのリンドヘルヴは全てを忘れてしまったみたいだわ』
『なら思い出させてあげましょう!』
『私と貴方とあの女の記憶』
『僕らが作り出した世界!』
刹那、俺の視界を覆い尽くしたのは無数の白い手。触れられたところから凍り付くような冷気が這い上がる。手は、既に血が通っていない死体のようだ。
声も出せぬまま、視界は一瞬にして漆黒に染められていた。
(何だ、これ……! 目が熱い)
白い手は掴み、揉み、引っ張り、俺はパンか何かの生地にされてしまったかのような扱いだ。 手が触れるほど、何かに呼応するように俺の目は沸騰したように熱くなる。
血のような匂いがあたりを漂い始める。手が腕を掴むので、鼻を覆うこともできず顔をしかめていた。
周囲を囲う手と手の間が光り出す。
『全てを受け入れ思い出せ』
『己の罪とイゾルテに向き合うのです』
俺は後ろから押されてその隙間へと、頭を無理やり押し込まれた。




