52
母は突然立ち上がった。
ゆらりと、椅子から腰を浮かせて、何かを思いついたようにガイを見る。
「…そうよ。もう貴方を始末してしまえばいいのだわ…」
ガジガジと爪を噛む姿は、あまり見たことがない。
思い詰めた母の、狂気の視線と、極端な言葉に、父だけがギョッとしている。
「お前、落ち着きなさい。座って、コーヒーでも飲んで」
父は急いで立ち上がって母を無理矢理座らせる。
コーヒーを手渡されて母は一瞬戸惑うものの、大人しくそれを飲んだ。
「お父さんも飲んだら?」
「え、あ、ああ…」
促すと、父もコーヒーを飲む。
それを見つめて、あたしも飲んだ。
コーヒーはもうぬるかった。
ガイはそれを眺めてから口を開く。
「俺は殺さない方がいいですよ?」
「…は?」
「俺、レジスタンスなんですよね。だから、俺が死んだらレジスタンスが動くし、そちらが思っているよりレジスタンスは弱くない」
レジスタンスの言葉に父はジロリとあたしを睨んできた。
魔術師のくせに、レジスタンスと恋人だなんて。言葉にしなくてもヒシヒシと伝わってくる。
「レジスタンスはどこにでもいる。目立った抗争なんかしなくても、政治、経済、社会…人海戦術で、潰すことなんか簡単にできる」
やってそう。
余りにも物騒だけど、ガイはそれができる。
「…まぁ、そもそも俺、殺される気もないんですけどね?いつもそうなんですけど、魔術師って、詠唱しないなら普通の人間と一緒ってなんでわかんないんですか?」
それはもういい笑顔。
ガイの言う事はその通りだし、実際ロウはガイに詠唱させてもらえなかった。
あたしも昨日、口を押さえられて実践された。普通に怖かった。
「詠唱する前に殴ったら終わりじゃん!」
満面の笑みで言う台詞じゃない。
両親はガイの笑顔にドン引いている。
ドス黒いオーラと威圧感は、その台詞を机上の空論にはさせていない。
詠唱前にヤられる。
そう思わせる強者の圧がある。
「…き、騎士団に訴え出る!」
えぇ…。騎士団は、団長シフトなのに…。
白魔女であるネジを溺愛しているシフトが頂点にいる騎士団に、白魔女反対過激派が訴え出る事に意味があるんだろうか…。
っていうか、そもそも。
「えー?なんて言って訴えるんですか?」
面白がってる。
顔がニヤついてる。
あたしの彼氏だけど、腹立つ顔だなぁ…。
「それは…娘の誘拐と監禁だ!」
「ふぅん……失踪届出してます?」
「それは…」
出してないんだろう。
出てたらとっくに騎士団があたしの所に来てる筈だ。
「失踪届も出してないのに、誘拐はムリでしょ?大体、ユリ本人の意思でここにいるんだし、婚姻届も本人が署名してて?誘拐監禁は立証できないと思いますけど?」
「う…」
「ユリがそちらに送った手紙はコピーも取ってある。婚約破棄の慰謝料と違約金を恋人である俺が支払うつもりだとも、明記してある。…あんた達はその手紙を受け取ってここに来たんだろ?」
敬語剥がれてる。
多分、進まない話にイライラしてきている気がする。あたしもだけど。
「一億はふっかけ過ぎだけど、俺は早くあんた達に帰って欲しいし、さっさと書類に拇印も押してもらいたいんだよな」
「だから、一億ベルンなんて、払えないだろう!?」
「払えるよ。小切手も用意してあるじゃん」
小切手を指差すガイを両親は目を見開いて凝視する。
ガイはまだ若いし、普通に考えたら払えるようには見えないだろう。
「…ガイ、ホワイト商会の社長なんだって。だから問題なく支払えると思う」
「え!?」
父が驚きの声を上げて、母と顔を見合わせる。
「ロウの家、ガイの会社の流通網で薬草とか卸してるみたい」
ロウの実家は大手のようだけど、多分会社の規模としてはホワイト商会の方が大きい。
どこの世界でも、弱肉強食で、規模が大きい方が幅を利かせていく。
だから、ロウの会社とガイの会社だったら、ガイの会社の方が強気に出れるらしい。
「そんな…与太話じゃ…」
「ハハハ。人を詐欺師みたいに。名刺どうぞ?」
ちゃんと会社の名前も入ってる。
父はそれを呆然と眺めていた。
母もそれを見つめて、それから、意を決したように口を開く。
さっきまでの不安定な様子はなく、どうしたらいいのかわからないなりにも、なんとか自分を押さえているように見えた。
「ユリちゃん、ねぇ……本当にユリちゃんは納得してるの?」
そこには確かに、あたしを気遣う様子が見える。
それは母の愛情のようでもあり、叔母としての愛情のようでもある。
母じゃなく、叔母としてだったら。
あたしはこの人とも、良い関係を築けたのかもしれない。
「無理に結婚を強いられた、とかじゃないの…?」
「いや、それはお母さん達の方なんだけど…?」
ガイとの結婚はあたしの意思。
ロウとの婚約は無理矢理強いられた関係。
「あたし、ロウと結婚したくない。アイツ、嫌いなの」
多分、両親には初めて言った。
今までは、両親に認めて欲しくて、ずっと良い子でいたから、言えなかった。
でもそれは、あたしの弱さでもあったと思う。
嫌われるのが怖くて、自分の気持ちも言えなかった。
きっと、両親だけじゃない。
あたしも、もう少し強ければ。
きっと解決方法は他にもあったんだと思う。
「あたし、ガイがいいの。だから、自分で婚姻届も書いた。……書類に拇印、押してくれる?」
机の上にあった書類を、父の方に向ける。
父はどこかバツが悪そうに、それを受け取った。
母は、傷付いたようにあたしから顔を背けた。
「……今後は、娘とは思わない」
「構わない。……そんなに、仲の良い家族じゃなかったしね」
思い出して、苦笑してしまう。
あんなに息苦しい家族に固執していて、今思えば、馬鹿みたいだった。
でもそれは、ガイが居てくれたから、そう思える。
両親から買った嫁だなんて、言葉にすると散々だけど、あたし達は互いに想い合っている。
それがわかっているから、あたしはガイに、未来も、青春も、この身も、全部あげる事ができる。
サラサラと父が書類を書くのを眺めて、ガイも小切手に1と0を記入していく。魔術無効化液の出番がなくて、ガイは残念だったかもしれないけれど、あたしはほっとした。
小切手に書かれる0が多くて、壮観だな、と現実味のない数字に思った。
互いに、書類を確認して、ガイが一度頷く。
「…じゃ、これで。はい、小切手」
ニコニコとそれはもう嬉しそうに小切手を手渡す。
「じゃ、もう2度と会うこともないですけど、お元気で!さよーならー!」
ブンブンと手を振っている姿は、煽っているとしか思えない。
父は嫌そうに顔を顰めてから、玄関に向かって行った。
その背を追いかける。
あたしには、もう一つ、やるべき事がある。
玄関で靴を履く両親を見つめて、封筒を差し出した。
「これ…。お父さん達の助けになると思う」
封筒の中には、以前にガイが提案した書類が入っている。
『魔力封じの腕輪をホワイト商会が独占販売し、それを魔術管理部門に卸す』書類だ。
魔術管理部門部長のサインが記載されていて、付箋には『公聴会の日に、ホワイト商会第2倉庫から魔力封じの腕輪と魔術無効化液を搬出する』とガイの字で書いてある。
「………ごめんね?」
罠に嵌める事になる。
それは心苦しかったけれど。
でもあたしはガイと生きていく。
両親に憎まれても、ガイの役に立つのなら、そっちを選ぶ。
両親は不思議そうに首を傾げていた。
「後で見て。…できたら、来ないで」
あたしの言葉は、両親からすれば、『恋人を裏切りたくないから来ないで欲しい』に聞こえるだろう。
でも実際は『捕まえたくないから、来ないで欲しい』だ。
多分、両親は、罠だとは思わないだろう。
罪悪感はあるけれど、引き返せない。
「アナに、宜しくね」
妹のアナは、まだ11歳だ。
アナのためにも、もう会うことがないといい。
そう思いながら、あたしはドアを閉めた。
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