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危機感がない。
その言葉を実感したのはそれからすぐのことだった。
するりと、シフトの手が頬に移動する。
自分の手ではない大きな手が頬に触れて、ピクリと肩が揺れてしまう。
「…いや?」
心配そうにシフトは私を見てくる。
それは私を気遣ってくれている。
怖くないように、嫌な思いをさせないように、慎重に、壊れ物にでも触るように。
大事にされている。
ガイに言われた時はピンとこなかったけど、今ならわかる。
多分これ以上ないほど、大事に大事に、丁寧に扱われている。
それは擽ったい程の甘やかしだ。
そんな風に触られて、嫌な気持ちにはならない。ふるふると首を横に振る。
シフトは私を見て、それから頬をすりすりと撫でる。
頬の形を確かめるように何度か撫でて、その手が耳に回る。
「ん…」
擽ったい。
ちょっと身を捩ると、心配する視線が飛んでくる。
「これは嫌?」
「嫌っていうか…擽ったい…」
すりすりと指が耳を撫でる。
軟骨を確かめるように撫でて、耳朶を触って、親指と人差し指と中指で耳を挟むようにして動かす。
熱い指先が優しく動く度に、恥ずかしい。
「ちょ、もう…」
止めてほしくて顔を背ける。
髪が滑り落ちて、剥き出しになった首筋にシフトの手が触れる。
「…キスしてもいい?」
「へぇ!?」
変な声出た。
色気もないのに、シフトは別に気にもしてないように、すりすりと首筋を撫でてくる。
「跡付けていい?」
「跡!?」
急になんなんだ。
ギョッとしてシフトを振り向く前に、首筋に唇が落ちる。
「んっ…」
触れるだけのキスからほんの少し強い刺激が奔る。
まだいいって言ってないのに!
反論したいのに、口を開けたら嬌声が出そうで、黙るしかない。
それをどうとったのか、シフトは位置を変えて首筋に舌を這わせてはまた吸い付いてくる。
舌の感覚に、意識が集中してしまう。
次にどうされるのかわからなくて、怖くてお腹に回っている腕をギュッと握ってしまう。
シフトはそれに気付いたのか、お腹に回していた腕を離して、代わりに私の手を握る。
指を絡めて、所謂恋人繋ぎにして、指先に軽く力を込めてくる。
そういうことじゃない!
恥ずかしいから離してほしいのに!
「ネジ、こっち向いて?」
首筋を這っていた唇が、耳に触れる。
喋ると吐息が耳にかかって、熱くて湿った空気が当たる。
こんなの知らない。
「やだ…」
「…どうしても?本当に嫌?」
声は心配しているのに。
でもどこか面白がるようでも、懇願しているようでもある。
「は、恥ずかしいから、やだ…」
嫌々するように首を振る。
片手はシフトと手を繋いでいるから動かせない。代わりに自由になる方の手でシフトの胸を押す。当然ながら、びくともしなかったけど。
「顔見たい」
するりとシフトの手が顔に伸びてくる。
その手に促されるようにシフトの方に顔を向ける。
嬉しそうにシフトは目を細めた。
「可愛い」
「今、そういうのいい…」
止めてほしい。
本当に顔が熱い。
でもシフトは全然止める気はないらしい。
ふにふにと唇をなぞられる。
指先は固いのに、確かに弾力がある。
「キスしたい」
「うぇ!?」
さっきから変な声しか出ない。
シフトは唇に触っていた指を口の中に滑り込ませてくる。
「んん!」
舌を捕まえられてびっくりしてしまう。
「そのまま舌、出してられる?」
ゆっくりと指が離れていく。
引っ込めればいいのに、絡まった視線に釘付けになって、言われるがままにしてしまう。
舌に空気が触れるのは短い時間で、迫ってきた顔を眺めている内に舌と舌が触れ合う。
「んんっ…」
舌はまるで離さないとでも言いたげに絡んで、押して、吸い付いてくる。
逃げたいのに、いつの間にか頭の後ろに回った手が、顔を背けるのも、離れるのも許してくれない。
くちゅ、と湿った水音が耳に届いてくる。
苦しくて離れたいのに、求められているのがわかって動けない。
「鼻で息して」
キスの合間に囁く声に大人しく従う。
「ん。上手」
何度も何度も、舌を絡めて、まるで食べ合っているようだと思う。
ぼーっとする頭で、いつの間にか、自分自身で舌を絡めている。
なされるがままじゃない。
私自身がシフトを求めてる。
「…気持ちいい」
それは尋ねられているのか、独り言なのか。
「ん」
頷くと、シフトは小さなため息をつく。
「…これ以上したら止まんないな…」
親指で自分の口の端の唾液を拭い取ってから、同じ親指でシフトは私の唇をなぞる。
赤く痺れた唇に、親指でなぞられて、なんだか悔しかった。
私だけが翻弄されているようで、不満だったから。
唇をなぞる親指を噛む。
「ネジ……煽ってんの?」
途端に、一息ついた様子だったのに、シフトはまた顔を近づけてくる。
親指は、噛んだ筈なのに、口の中を押し広げてくる。
そのまま、また、シフトの舌が入ってくる。
「んっ…んんっ…」
さっき言われた通りに、鼻で息をして、舌と舌を押し付けて唾液を交換し合う。
「口、もっと開けて」
食べられる。
そう思う程にさっきより、甘く深く長く、舌でお互いを求め合う。
頭の後ろにあった手が、いつの間にか前に回り、上着の裾から素肌を触る。
その瞬間に、ハッとする。
シフトの手を掴んで、ギョッとしてしまう。
「………ごめん、怖かった?」
シフトもハッとしたように、私を見てくる。
「あ……えっと…」
シフトなのに。
目の前にいるのはゲランじゃなくて、私を本当に大事に扱ってくれる人なのに。
怖いことはしないとわかっているのに。
「ご…ごめん…」
まるでゲランと同じように感じてしまう。
それは罪悪感に一番近い。
シフトをゲランと同様には扱いたくないし、そんな風に思いたくない。
なのに身体は強張ったままだ。
「あ…あの…ご、ごめん。ごめん、本当に、ごめ…」
「謝んなくていいよ」
ため息をつきつつ、困ったように、呆れたように、シフトが首をかく。
「…触っていい?」
「うん」
ゆっくりと、シフトの胸に引き寄せられる。
温かい身体と、規則正しい心音が聞こえて小さな息をつく。
「その、ごめんな?…私、面倒臭いよな…」
雰囲気に流される事ができれば良かった。
キスは気持ち良かったし、成人したいい大人なんだから、怖がらず飛び込めば良いのに。
毎回、こんな感じになってしまうかもしれない。
漸くシフトが好きだと自覚できたのに。
「謝んなくていいって言ってんのに」
「う…でも、いい感じの雰囲気だったのに…それも壊しちゃったし。…毎回、こんな風になっちゃうかも…」
それは本当に面倒臭いと思う。
シフトは多分、今まで散々我慢してきたんだろうし。
健康な男の人なんだから、先に進みたいに決まってるのに。
私のせいで、また我慢させる。
それが、本当に申し訳なくて、辛い。
「…正直、俺も男だから、ゲランと同様に欲情もする」
ギクリと肩が揺れてしまう。
シフトはそれをトントンと背中を叩いて宥めてくれる。
「でもいいよ。ネジが嫌なら先には進まないし、一生そのままでもいい」
「えっ…」
「ネジの事が好きだ。身体だけ求めて、ネジが辛い思いをするのは本意じゃない」
「ほ、本当に一生ムリかも…」
「いいよ。我慢する」
「えぇ…」
ガイは『殺意湧く日もある』って言ってた。
ガイとシフトは別人だから、シフトは違うのかもしれないけど、そんな事はないような気がする。
「…でも、それじゃ、シフトが辛いじゃん…」
不甲斐ない自分が情けない。
こんなに大事にしてもらってるのに。
「でも、私、お前を手放せないんだ…」
なんてズルくて酷い女かと思う。
こんなの、一生我慢しろ、と言っているのと同義だ。
ぽろりと、涙が溢れてしまう。
本当に、ここで泣くなんて、どんだけ酷い奴だと思う。
急いで目元を拭うのに、涙は次から次へと流れてきて全く止まる気配がない。
「ごめん…」
「だから、謝んなくていいって」
トントンとシフトは背中を撫でる。
ほんの少し、さっきより肩を抱かれて、胸に引き寄せられる。
涙と鼻水がつかないように、離れようとすると、シフトが手に力を込めてきた。
「鼻水つく…」
「…まぁ、泣いてるからね。仕方ないよね」
一応つかないように手で顔を覆う。
シフトは私を眺めて、私の頭に頬を擦り付けてきた。
「ネジは悪くないよ。悪いのはゲランだし、ネジの反応は当然の事なんだ」
「でも、お前には関係ないじゃん…」
私のトラウマは私の事で、シフトには関係ない。
そのトラウマを克服できないのは、私の問題だ。
「…関係ないって…そんなの、俺も関係者に混ぜてよ。ネジの事は俺の事でもあるじゃん」
「……ない。なんだ、そのストーカー理論…」
ズズッと鼻水を啜りながらも、シフトの理論がおかしいと思ってしまう。
「私、可愛げないな…」
泣ける程にない。
ここでどうして、『嬉しい』とならないのか…。
「…可愛いよ。ネジの論理的な所が好きだし、自分の信じる事を曲げない強さも好き。鈍い所も可愛いし、鼻水だらけの顔で俺の言い分を突っぱねる所も好き」
「…愛が重い…」
「そう。俺は5年もネジをストーカーしてた男だからね。どんなネジでも愛せる自信がある」
「狂気だな…」
他の女の所に行っても仕方ない、とは思う。
でも許せはしない。
だから、そうなったらどうしようという不安もある。
「私、シフトの事が好きなんだ。そういう事も、シフトとならしてもいい。…でも、今はまだ怖いんだ。…だから……待ってて。他の女の所に行くなよ…?」
じっとシフトを見つめる。
目も鼻も水浸しで、とてもじゃないが、可愛い顔とは言えない。
シフトは私の目元を拭って、服の袖で鼻を擦る。
「行かないけど、無理しなくてもいいんだよ?」
「…私だって、興味はあるんだ…」
「え、あるんだ…」
なんだそのびっくりした顔は。
確かに私は情緒がないと皆から言われてはいるけれど。
別にちゃんとした大人だし、そういう事に興味があったっていいはずだ。
「…シフトとなら、いい」
他の誰かに触られたいとは思わないし、触りたいとも思えないけど。
割と大胆な事を言っているとは思う。
恥ずかしくて顔をうつ向けると、頭に軽くキスされた。
「俺は嬉しいけど。…何年でも待つから。無理しなくてもいいからね?」
ここまで言っても踏みとどまってくれる。
その深い愛は、正しく聖母か海のようだ。
優しく温かいシフトの胸に顔を埋める。
シフトはまたトントンと背中を撫でてくれた。
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