43
逃げるように魔術管理部門に着いて、一日ソワソワしながら仕事をした。
いつシフトが現れるんじゃないかと、ヒヤヒヤして、魔術管理部門に人が入って来る度にビクビクした。
漸く仕事が終わって、一目散に家に着いて、鍵を閉める。
そこで、漸くほっと息がつけた。
シフトは、サラになんて答えたのだろう。
あれだけ『結婚しよ』と言っておいて、まさか婚約はしないとは思うけど。
でも、サラは可愛かった。
顔の美醜じゃなくて、純粋にシフトを好きで、それを一生懸命に伝えていた。
私が男だったら、乗り換えるかもしれない。
サラのように純粋に好意を伝えることもできないし、あざとく抱きつくなんて余計無理。
そもそも漸くシフトへの気持ちを自覚したのに。
サラが抱きついているのを見てムカついた。
シフトが告白されているのを見たくなかった。
自分の中にこんな苛烈でドロドロの執着があると、知りたくなかった。
小さなため息は一人きりの家では大きく聞こえる。
コーヒーでも飲もうと、一歩進んだ時に、玄関のドアがノックされた。
ガチャガチャと、ドアノブが動く音がする。
ガサゴソと何かを漁る音がして、それから、鍵が開く音がした。
「えっ…!?」
思わず悲鳴じみた声が出てしまう。
今日ガイとユリはガイの家に泊まると言っていたのに。
急に、ゲランに襲われた日のことを思い出す。
あの恐怖は、未だに足を竦ませる。
逃げなきゃ、と思うのに。
一歩でも動き出せれば、外に飛び出せる。
そう思うのに、足は言う事を聞かない。
あの日のように、身体は強張ったまま、玄関のドアが開くのを見つめるしかなかった。
「…ネジ、いる?」
ドアが開くと同時にシフトの声がする。
その声に弾かれたように、膝から力が抜ける。
ペタリと、座り込んだ瞬間に、自分で作ったカラクリが作動して、床に穴が開く。
「あっ…」
落ちる。
そう思ったのに、私の身体はシフトによって抱きかかえられた。
ゴツゴツした男の人の身体だった。
私が知っている15歳のシフトではない。
広くなった肩幅も、鍛え抜かれた筋肉も、私を抱えてもびくともしない腕も、立派な大人の男のものだった。
「……あ、ごめん!降りる…」
バタバタと足を動かしたのに、シフトは小さくため息をつくと、そのまま動き出した。
落とし穴を私を担いだまま、跨ぐようにジャンプして飛び越える。
私の予想では飛び越えられない落とし穴のデカさだったのに。
コイツの身体能力、おかしいんじゃないか…。
呆れてシフトを見ると、いつもより距離が近くて、急に緊張してきた。
シフトは私を抱えたまま、リビングのソファーに腰を下ろす。
横に座ると思ったのに。
シフトは自分だけソファーに座って、私を膝の上に乗せたまま、動こうとしなかった。
そろりと、横に移動しようとすると、お腹に手が回る。
ビクリと、身体が強張る。
「……怖い?」
耳元でシフトが囁く。
息がかかって、擽ったくて身を捩る。
なのに、お腹に回った腕は全く緩む気配がなかった。
「怖くは、ないけど…」
緊張する。
シフトは私が固まっているのを気付いているだろうに、私の肩口に顔を埋めてきた。
なにその、大型犬みたいな…。
ぐりぐりと擦り付けてくる様子はいつもと一緒なのに。
身体が密着してる。
今まで指一本触ってこなかったのに。
「っていうか、お前、鍵…」
玄関は鍵をかけていた。
あのガサゴソいう音とガチャガチャいう音はなんだったのか。
「ああ…鍵ね。ガイが貸してくれた」
「じゃ、始めから鍵で入ってくればいいだろ!?」
なんでガチャガチャしたんだ。
怖かったのに!あるならサッと入ってこいよ!
「いや、ちゃんと鍵閉まってるのか気になって」
「確認の仕方がおかしい。鍵で確認しろ」
なんで物理で確認したんだ。
ドン引いていると、シフトはにっこりと笑った。
「ちゃんと閉まってて安心した」
「私は怖かったけどな!?」
「うん。ごめん。……昨日も、ごめんね?」
キュッと腕に力がこもる。
ぐりぐりと擦り付けてきていた頭は、ピタリと動かなくなる。
シュンとした様子に、つい絆されてしまう。
肩口にある頭をそっと撫でると、口からは素直な言葉が零れ出た。
「…私も、悪かった。自分のトラウマを棚に上げて、お前を責めるべきじゃなかった」
ガイに言われて、一晩よく考えて、やっぱり理不尽だったと思った。
昨日帰って来た時は、私は悪くないと思ってたけど、そうでもなかった。
シフトが、ガイが言うように必死で理性で耐えているのだとしたら、私の言った事は本当に良くなかったと思う。
だから、ちゃんと確認したかった。
「…あのさ、ガイに、お前が私に触りたいのを必死に我慢してる、って言われたんだけど……本当?」
ピクリとシフトが身じろぎする。
肩口にあった髪が首筋を擽ってくる。
「私、お前は私に怪我させたのを後悔してるから、だから罪滅ぼしだと思ってた」
ちゃんと顔を見ておきたくて、もぞもぞと動く。
お腹に回った腕は離れなかったけど、少し間が空いて、バックハグの形から、どうにか横向きになる。
そうすると、私の顔の横はシフトの胸辺りになって、顔を上げるとシフトときちんと目が合った。
じっとお互いに見つめ合う。
こんな至近距離で見つめ合ったのは、14歳のあの事故の前以来だった。
「…ガイの言う事は全部本当。今も、本当は力ずくでも押し倒したいけど、我慢してる」
「えっ…」
「…俺の事、怖い?」
じっとシフトは私を見てくる。
その目に熱が籠もっている気がする。
正直、怖い気持ちもある。
ゲランに襲われたあの時、私は私の尊厳を壊されると思った。
今、その恐怖はない。
きっとシフトは私の尊厳を壊すような事はしない。それはわかるのに。
どうやっても力では勝てない、その明確な差が怖い。
「シフトは、怖くない。でも、私は自分がそういう対象で見られてるのは怖い」
「うん」
シフトはただ淡々と頷く。
続きを促しているわけでもないし、怒ってもいないし、呆れてもいない。
同情でも可哀想にと哀れむ事もない視線に、少しだけほっとする。
「あんなに、触れないくせにって煽ったのにな。…面倒臭いな、私は」
こんな面倒な自分がいるとは思っていなかった。
自己嫌悪に陥りそうになる私に、シフトが仕方ないとでも言いたげにため息をつく。
「そんなの、昔からそうじゃん。ネジは理不尽で横暴で自分勝手だった」
「ああ…去り際も言ってたな。横暴理不尽大魔王って…」
15歳の別れの日。
シフトは私に向かってキレてきた。
そういえば、あの日、なんでああ言われたんだったか…。
「あれはネジが悪い。俺が真剣に『絶対戻ってくるから、帰ってきたら結婚しよう』って言ったのに」
え?あの頃から言ってんの…?
っていうか、えぇ…?そんな事言ってたか…?
「ネジは、その頃には多分結婚してるから来なくていいって言った…」
物凄く恨めしそうに見られる。
「全く記憶にない」
「……ネジ、そういうとこあるよね。人の決死の覚悟とか全然汲んでくれないまま、理論だけで結論出すの、止めた方がいいよ」
冷ややかに睨まれる。
さっきまで仲直りできて温かい空気だったのに。
余計な事は言わなきゃ良かった。
「……あの時、俺に『貴族令嬢とでも結婚しろ』って言ったのも覚えてない?」
「え……全く記憶にない…」
そんな余計な事まで言ってたのか…?
馬鹿なのか、私!
「……今日、サラと話してるの聞いてたんでしょ?」
なんで知ってるんだ、コイツ。
ギョッとしてシフトを見ると不満そうな顔のまま、私を見返してきた。
「ガイが言ってた。サラが婚約者になってって言ってきたのも、サラを抱きとめた所も見てたって」
めっちゃ裏切るじゃん……!
あんな、『俺の事はいいから先に行け』みたいな雰囲気出してたのに…!
「…ねぇ、実際どうだった?本当に何とも思わなかった?」
「え…」
「俺がサラと婚約してもいい?全然全く何とも思わない?」
じっとシフトは私を見てくる。
茶化すようでも、恨めしそうにも見えない。
それは、懇願しているようにも、確信しているようにも見える。
その真摯な視線に、言い訳で答えてはいけないのだと実感する。
私の答え一つで、きっと今後の関係が変わる。
急に変わった空気は、張り詰めた糸のようだ。
緊張する。
自分の気持ちを伝える事が、こんなに緊張するものだと知らなかった。
カラカラに乾いた喉を潤す為に唾を飲み込んで、絞り出すように小さな声が出る。
「……やだ」
シフトが誰かに触るのが許せない。
触られるのも絶対に嫌だ。
この激しい拒絶は、嫉妬。
「…お前は、私のだろ?」
じっと目を見つめて問いかけると、シフトも見返してきた。
「それは、犬として?」
「…違う。そうじゃない。…犬として側にいてほしいんじゃない」
自分でも凄く調子の良いことを言ってると思う。散々犬、それも駄犬扱いしておいて、いざ離れそうになったら違うって…。
「その、凄く横暴で、理不尽で、自己中心的なんだけど…」
シフトの評価、そのものだ。
でも手放せない。
「…私、シフトの事が好きなんだ。だから、サラの婚約者になんてなるなよ…」
恥ずかしくて、申し訳なくて、シフトの顔を見れない。
なんて嫌な奴だと思う。
なのに、ギュッとお腹に回った手に力が入ったのがわかって安心してしまう。
「…犬って言われなくて良かった…」
心底安堵したようにシフトはため息をつく。
それが、罪悪感を刺激する。
「今まで散々、犬扱いしてごめん」
「いいよ。ネジに駄犬って言われるのも嫌いじゃないし」
「えぇ…」
それはどうなんだ。
いいのか、それで。
思わず呆れてシフトを見ると、シフトはそれは嬉しそうに笑った。
「……触っていい?」
「んん?触ってるじゃん…?」
お腹に回った手に視線を移す。
その手がお腹から離れていく。
「もっと。服の上からじゃなくて、直接」
「えっ…」
「…そんなびっくりしなくても。…今すぐ抱いたりしないよ」
「な…生々しい…」
そんな事を言われるとは思ってなかった。
シフトはちょっと拗ねたような不満そうな顔をする。
その顔が、幼い頃のままで、無性に可愛く見える。
だからつい。また触りたくて、頭を撫でる。
柔らかい髪は、手に心地よい温かさを伝えてくる。
「……ネジ、本当に危機感ないな…」
ぽつりとシフトが呟いた。
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