35
ソファーが、ぎ、と呻くような音を出す。
馬乗りになった男の欲望に塗れた視線が肌を突き刺す。
ギリギリと強くなる手の力に、身体が強張る。
その鮮烈な恐怖は、5年経っても消える事はない。
「5年前だから、シフトはもう騎士団にいたし、ガイもこの街を出て行っただろ?」
シフトとガイをそれぞれ見る。
シフトはムッツリと押し黙ったまま、機嫌悪く、そして何かを考え込みながら頷く。
ガイは軽く頷いて口を開いた。
「シフトが入団したのは春。俺が街を出て行ったのは夏が終わる頃だった。ってことは、ゲランはその後お前に近付いてきたってこと?」
「近付いてきた、っていう程の事はないんだ。別に今まで通り、関わりもほぼなかった」
「じゃあなんで胸触られんの?」
直球。それも剛速球。
思わず固まってしまうレベルでぶち込んでくる。
「確認だけど、恋人だったわけじゃないよな?お前は、若気の至りで雰囲気に流された、なんてタイプでもないだろ?」
「どっちも違う」
あんなヤツと恋人なんて冗談じゃない。
犬と結婚した方がまだマシだ。
きっぱりと否定して、それから、もう一度ため息をつく。
「…ニナに、お祭りに誘われたんだ。それで、皆でお祭りに行って、そこで財布忘れたって気が付いたんだ」
ニナはカートの妹だった。2年前に亡くなっている。
凄く仲が良かったわけじゃないけど、明るくて、私の事も気にかけてくれるような、お節介な所がある子だった。
だから、その時も、ニナは単純に私を心配しただけだったと思う。
「あの頃、よく集まってた空き地の側の廃倉庫に皆荷物置いたりしてたろ?その日もそうで、私は一人で廃倉庫に戻ったんだ」
「そこにゲランが来たわけか」
ガイはため息交じりに言う。
質問というか、確信している言い方だ。
「うん。それで、未遂だけど、襲われたんだ」
空気が一気に重くなる。
母とシフトからの殺気はより一層強まるし、父もピクリと眉を上げて、無言で机をコツコツと指で叩き始めた。
それは相当怒ってる時の父の癖だ。
「それってどこまで?胸触られたって直接?服捲られたってこと?」
「…黙秘したい所だな」
「ダメだろ。言いたくないのはわかるけど、聞かないとどう対処していいかわかんねぇじゃん」
ガイの言う事は正しい。
大体ここまで話して、後は言わないなんて、母とシフトが許すはずがない。
「…わかってる。…ソファーに馬乗りにされて、服捲られた。多分、ホクロはその時に見られたんだと思う。で、胸揉まれた」
できるだけ淡々と言ったつもりだ。
でも火に油を注いだ自覚はある。
あんなに怒り狂って『殺す殺す』って騒いでた母とシフトは、完全に無言だ。
逆に怖い。
「お前、抵抗しなかったの?っていうか、よくそれだけで済んだな?そこまでいったら普通最後までいくんじゃねぇの?」
なんでコイツはこう剛速球ばっかり投げてくるんだ。
質問は尤もだけど。
「正直、抵抗はできなかった。…怖くて、動けなかった」
悔しいけれど。
肌を這う指先に、嫌悪と憎悪があるのに、恐怖はそれを上回った。
喉に張り付いた恐怖は、声さえ奪っていった。
「5年前なら15歳か。…まぁ、無理もないか」
多分、年齢なんか関係ない。
あの恐怖は、年を取れば感じなくなる類のものじゃない。
ガイは勝手に納得したけれど、わざわざ引き伸ばすのも嫌だから黙っておいた。
「でもさ、それなら余計、なんでそこまでで済んだんだ?」
明日の弁当何?、くらいの軽さでガイは聞いてくる。
変に同情したり可哀想がったりしない分、重大さが薄れて聞こえる。
「…5年前のお祭りの日、地震があっただろ?」
パッと母が私を見てくる。
その顔は驚愕に目を見開いている。
自分の犯した過ちを誰かに指摘されたような顔で、口元に手をあてる。
「あー…俺はその時いなかったから詳しくないんだけど、結構デカかったやつだろ?」
「うん。あの頃荷物置き場に使ってた廃倉庫、ボロかったじゃん?結構揺れてさ。それで、アイツはビビって勝手に帰ってった」
私にとっては、タイミングが良かった。
それは勿論、ゲランが去ったという事でもあるけど、同時に、私の動揺は地震のせいだと皆そう思ったからだ。
「……あの地震の後、私、あんたに会ったわよね?あの時、あんたは地震で動揺してるんだって、ずっとそう思ってた…」
母は手で顔を覆ってしまう。
それは深い後悔を感じさせる姿だった。
母は理不尽で横暴だけど、娘である私を本当に大事にしてくれている。
その母を騙していたようで、罪悪感すら感じた。
父がさっき私にしたように母の背中をトントンと叩く。母はそれに励まされるように、一度息をつくと顔を上げた。
「……なんで言わなかったの?」
傷ついて寂しそうな顔に、罪悪感が募る。
黙っていたのは、母を頼りにしていないようにも映るだろう。
でもそうじゃない。
「言ったら、母さんは怒るだろ?…戦争を始めたいわけじゃないんだ」
5年後の今でさえ、戦争も辞さない態度なのに。
事件の直後は私も動揺していたし、上手く説明できなかっただろう。
最悪、泣いたかもしれない。
そうしたら、母はきっと止まらない。
「それに、ゲランは外交官の息子だから。治外法権だ。騎士団に訴えても意味がないだろ?」
だから口をつぐんだ。
それは泣き寝入りに他ならないけれど。
母やシフトが私を守りたいように、私も母とシフトを守りたい。
「…本当は墓場まで持ってくつもりの秘密だったんだけどなぁ…誰にも言わずにいられると思ってたのに」
まさかここに来て、ゲラン本人から言い出すとは思わなかった。
「人の口に戸は立たない、だな。…お前がもう少し馬鹿だったら。一人で抱え込む事もなかっただろうに。…賢すぎるのも考えものだな」
父は不満げにため息をつく。
誰かに話せば母とシフトに伝わる可能性がある。だから父にも、誰にも言わなかったけど。
「私のせいで、あんたが追い詰められたのね」
母は深い後悔を滲ませてため息をつく。
それに答えたのは父だった。
「君のせいではなく、君を守るためだ。悪いのはゲラン・アパタイトだし、ネジは自分が最善だと思える行動をした」
父はトントンとまた母の背中を叩く。
「私達の娘は、賢く強くなった。それは悲観する事じゃない」
「…親バカだし、恥ずかしいから止めてほしいもんだな」
褒められて嬉しくないわけじゃないけど。
こんな衆目の前で言わなくても。
ちょっと気まずくて照れくさくて、つい顔を顰めてしまう。
父はそんな私を見て小さく笑った。
それはまだ小さな子供の頃によく向けられた笑顔だった。
「…ねぇ、それで?結局ゲランは殺していいんだよね?」
家族のいい雰囲気をぶち壊す特大の殺意が真横から飛び出してくる。
さっきまで静かだったのに。
「いや…お前、私の話聞いてたか?私怨で殺したら国際問題で戦争になっちゃうだろ」
「どうでもいい。殺す」
「えぇ…落ち着けよ」
完全に本気だ。
呆れてシフトを見ると、ギロリと睨まれた。
「だってアイツ、ネジのこと触ったんでしょ?それも強姦未遂。完全に犯罪者じゃん。情状酌量の余地もないし、大義名分もあるじゃん」
「完全に戦争を始めるヤツの理屈だな」
「別に戦争が起こるならそれでもいい。師匠と俺がいて負けるとは思えない」
「えぇ…」
ドン引きだ。
「お前、他人の迷惑とか考えたことある?」
「有象無象の安否よりネジ一人が無事ならいい」
騎士団団長の台詞じゃねぇな。
思わずため息をつくと、シフトも嫌そうにため息をついた。
うんうん、論理的に考えて諦める気になったんだろう。
「…そんなに言うならわかった。暗殺にする」
「なんにもわかってねぇ」
なんなんだ、その妥協しました、みたいな言い方は。
何にも妥協してない。
「殺したらダメだって言ってんだろ」
「なんで?アイツ、万死に値するじゃん」
「私だって殺してやりたいけど、戦争はしたくない」
「わかった。じゃあ戦争にならないように燃やす。死体も出ないくらい燃やせば解決だよね?」
「言ってる事がヤクザなんだよな」
これが公権力の人間の台詞だとは。
呆れ果ててため息をつくと、シフトは不満げに言い募ってきた。
「だって、そのまま殺しちゃダメって言うじゃん。ネジの言う通り治外法権で手は出せないし。そしたら後は暗殺しかないじゃん」
「殺さずに解決する気ある?」
「ない。ゲランは殺す」
成る程、これが1000%の殺意か。
放っておいたら絶対やるな。
止めたいけど、止めるだけの方法がない。
うーん…と唸ると、恐る恐るといった様子でユリが手を上げる。
「あの、ゲランはネジのホクロがあるから肉体関係があるって言い張ってるんですよね?」
一番マトモそうであろう父に向かって問いかける。
父は頷いた。それから、先を促すようにユリを見る。
全員から視線を向けられて緊張したようにユリは口を開いた。
「…だったら、他のホクロの位置を確認すれば、強姦未遂だって証明できないですか?」
「…いやー、それはできるけど、そんな目立つホクロある?見える位置にあるのは意味ねぇし、特徴のないホクロとか、気づかなかったで終わりじゃね?」
ガイが父より先にユリに答えてから、私を見てくる。
「お前、なんかホクロある?」
「えぇ…?ないと思うけど」
ぶっちゃけホクロの位置なんていちいち覚えていない。
へその横と胸にあるのは、確かに目立つから知ってるけど。
私の答えにユリはギョッとした顔をする。
「えっ!?あんた気づいてないの!?」
「何が?」
「だってあんた、おしりと腰の境目に横並びのホクロあるじゃない」
「………は?知らないが?」
そんなのある?
服を着ているのに、思わず後ろを振り返ってしまう。
それで、成る程と思う。
「……自分じゃ見えない…」
「え?あ、確かにそうね。でもあるわよ。この前見たもの」
「この前?」
いつの話だ?
キョトンとして首を傾げると、ユリは不満そうに私を見てきた。
「あんたが勝手にお風呂入って来た時」
ユリと一緒にお風呂に入ったのは、ユリがレジスタンスのカートに拉致された次の日だ。
ガイの女のフリをするかしないか、魔術管理部門へのコネ入社をするかしないか、そんな話をした時の一度だけ、ユリと一緒に入った。
「たった一度、一緒にお風呂に入った私でも覚えてる。あんた色も白いし、2つ並んだホクロなんて特徴的で目立ってたわよ?」
チラリと父と母を見る。
2人はこくこくと頷いてきた。
「そういえば、あったな」
「あるわね。殺すことばっかり考えてたから気づかなかったけど、確かにある」
ちょいちょい殺意出すの止めてほしい。
父はへその横のホクロも胸のホクロも言われるまで思い出さなかったくらいだから、ユリの指摘したホクロもすぐには思い出せなかったんだろう。
「…ふむ。どうやら突破口になりそうだな」
ニヤリと父は笑う。
それにシフトは不満そうに舌打ちをした。
「チッ。せっかく殺そうと思ったのに。…先生、やっぱり法で裁くの?殺しちゃダメ?」
過激派、ヤバいな。
法で裁けるんならそれでいいのに。
「シフト。私は娘を害された父親として、正攻法で裁きたい。が、同時にネジは白魔女だ。今は魔力封じの腕輪という国にとっての重要機密の関係者でもある」
父はじっとシフトを見る。
それから、ゆっくりと口を開いた。
「これは強姦未遂罪であると同時に国家機密窃盗未遂罪でもあるな?」
「…ふぅん…じゃあ騎士団団長の俺が捕まえるべきだし、正式に死罪になるね?その前に他の秘密を盗んでいないか、ちょっと強く聞いても、誰も文句なんか言わないよね?」
「……そこそこにしておきなさい。正式に死罪にするまで殺すな」
言ってる事が物騒過ぎる。
確かにユリのおかげで強姦未遂は証明できそうだけど。
でもそもそもとして。
「…治外法権は?」
それがある以上、こちらで裁くことはできない筈だ。
隣国に正式に訴える事はできても、その後どうなるかは結局隣国次第になる。
父は私にニンマリと笑った。
「だから、国家機密窃盗未遂罪が必要になるんだろう?たかだか外交官が戦争を引き起こしてみろ?喜んで息子を引き渡すか、拒否しても国家が差し出してくれるだろう」
母も怖いが、父も怖いな。
「うわ……俺、お前も結構ヤバい奴だと思ってたけど、違うんだな…。お前んち、魔城かなんかなの?」
ガイはドン引いた顔で聞いてくる。
そんなわけないし。
「違うが?」
「いやいや。絶対女王の魔術管理部門部長と、ヤクザ顔負けの超絶論理的法学者と、世界を揺るがす白魔女のいる家が?ついでに騎士団団長という狂犬まで飼ってるのに?……神様もびっくりの魔城じゃね?」
言い得て妙。
悔しいが、反論できなかった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます! 本作はすでに**【全話執筆完結済み】**です! 明日からも気ままに更新していきますので、安心してお付き合いください。 もし少しでも「面白い!」「続きが気になる!」「ネジがんばれ!」と思っていただけましたら、 画面下にある**【★】(星)**や**【作品フォロー】**を押して応援していただけると、作者のモチベーションが爆上がりします!




