32
ゲラン・アパタイトの触れ込みは、瞬く間に広まったらしい。
当の本人である私の所には、まだ婚約の話は届いていないけれど。
「クソが」
低く呟いた声は思っていたより響く。
横のユリは心配そうに私を見つめてから、ガイを睨む。
「そんなの、今ここで聞くことないじゃない!」
「今ユリに聞いてない。…これ、結構な大問題じゃね?俺は知る権利あるし、ここの連中だって知る必要があるだろ?」
ガイの横にいるコンテはビクビクしながら様子を伺っている。どこから聞いているのか知らないが、デリカとメインはもう机の側にいるし、いつの間にかその横にマヤもいた。
「そうだな。私が他国に嫁になんて行ったらこの魔力封じの腕輪は世に出ないし、今作ってる魔術無効化液も無意味だしな」
「わかってんじゃん」
「でも事実を言う事に意味があるのか?」
噂が触れ回ってる以上、真実を話したところで、誰が信じるのか。
ゲランはクソだが、やり方は悪くない。
「ヤッたヤラないなんて関係ないだろ?私のへその横と胸には噂に違わず、ホクロがあるしな?」
それは事実だ。
そしてその事実だけで、状況証拠になる。
「ふぅん…じゃ、言いなりになるわけか」
にこりとガイは笑う。
煽られてるのはわかる。
わかっていても、ムカつく。
「お前、なんで俺がわざわざここで聞いたと思ってんの?あるのは状況証拠だけ。これを白にするか黒にするかは、お前だけの特権だろ?」
この状況証拠を黒にすることはできる。
それは事実を話せばいい。
でもそれは、私の尊厳を傷つけることに他ならない。
「お前、本っ当に性格悪いな」
ジロリとガイを睨む。
ガイは私の尊厳より実を取る、そう言っているようにしか聞こえない。
「なんだ、今更気付いたのか?」
「そんなわけあるか。改めて実感してんだよ」
苛烈な怒りは腹の中に蠢くのに、ガイの冷静さにつられるように、怒りは冷えていく。
それはいつ爆発するかわからない活火山のように、腹の底に蓄積されていく気がする。
「わかった。話す。でも、私は何度も話す気はない」
話したい内容じゃない。
まして何度も聞かれるなんて冗談じゃない。
「噂が広まってるなら、シフトと母さんにも届くだろ?話すなら全員揃ってからだ」
「先に俺が聞いて話してやってもいいよ?」
「要らん。自分の事くらい自分で話す」
きっとそれは、ガイのなけなしの優しさだろう。
私を愛していると公言している母とシフトに話すのは、物凄く大変だろう。
冷静に会話できるかも怪しいけれど。
でもこの噂が広まっている以上、他人からじゃなく、私の口から言わないと、あの2人は納得しないと思う。
母が帰ってきたのは、その日の午後だった。
母曰くポンコツ秘書のマックと、獣人のダーダラと、数日前から騎士団と一緒に魔獣退治及びその解剖解析の為に地方に行っていた。
だから多分、噂がすぐに耳に入らなかったし、婚約の話も私以前に母に伝わっていなかった。
それが伝わったのは、王宮に帰ってきて直ぐだろう。まさに寝耳に水だ。
バァン、とドアを叩き割る勢いで空間をねじ伏せて詠唱もせずに、この空間に入ってくる。
その激昂した様子は、正しく般若。
つかつかとこちらに寄ってきて、ばん、と机に書類を叩きつけてきた。
「…どういうこと?」
「何が?」
書類を見ようにも、母の手が邪魔で見えない。
「ゲラン・アパタイトって誰?どういう関係?肉体関係があったわけ?」
激昂しているのに、口からは呪詛のように淡々とした声が出ている。
憎々しげに問いかける目が、はぐらかす事も逃げる事も許さないと強く訴えてくる。
「説明しなさい」
これはお願いじゃない。
命令だと、その目が明確に伝えてくる。
「する。でも何度も話したくないんだ。だから、シフトが帰ってくるまで待ってて」
「ふぅん…。………いいわ。どうせあの人も呼ぶ事になるんだし、全員揃うまで待ってようじゃないの」
「えっ…呼ぶの?」
「当たり前でしょう。愛娘の一大事に駆けつけない父親じゃないわ」
「えぇ…」
久々の再会になるんだけどな…。
再会早々に…。重苦しいな。
「マック!あんた、速攻であの人呼んで来なさいよ!」
「先生を?えぇ……絶対キレるのに…」
「お黙り!ネジの一大事に来ないわけないんだから、さっさと行け!」
いつもの余裕で悠然とした様子はどこへやら、気性の荒さがいつも以上に目に見えている。
母はマックが魔術で床に吸い込まれて行ったのを確認してから、どかりと椅子に座った。
背もたれに肘をかけて、母は鞄から煙草を取り出した。
慣れた様子で火をつけ、吸った煙をはきだす。
完全にヤンキー。
「チッ。クソが」
低く呟き、髪をかき上げる。
「そのコップ貸して」
使っていないコップの一つを指さして、ユリを睨む。
恐る恐る差出されたそれを、ものも言わずに受け取って、その中に灰を落とす。
それから、ユリの隣に座っていたガイへと視線を移す。
「…あんた、まだ手ぇ出してないでしょうね?」
「うん。まだね」
「賢明なことね。………ねぇ、教えてあげる。手塩に掛けた娘が、知らない内に肉体関係を結んでたと聞かされた親がどう出るか」
母は私には一瞥もくれない。
ジロリとガイを睨んだままだ。
「もしそれが、娘が望まない事なら」
ゆったりと母は笑う。
そのニンマリとした笑みは、普段とは違うおどろおどろしい邪気に満ちている。
「地の果てでも追って殺す」
ふぅ、と煙草の煙が上がる。
剥き出しの敵意があるのに、美しい顔には笑みが浮かんでいる。
ビリリと、空気が震えた気がした。
父がやってきたのは、マックが消えていってから、約1時間半後だった。
その間、魔術管理部門は、通夜のように普段とは違って静かだった。
私は大魔王なんて言われて茶化されることもあるけれど、私なんて本当に可愛いものだ。
母の苛立ちは凄まじく、皆触らぬ神に祟りなしで、大人しく過ごしている。
っていうか、大人しくできるんだな。
普段の騒々しさはどこに行ったのかと、不思議になるレベルだ。
ズズ、と床から何かが出てくる気配がする。
先に出てきたのはマックで、マックはその波打つ床に手を突っ込んでいる。
そこから引っ張り出されたのは、年配の男の手だ。
そのままズルズルと穴から引っ張り出されてきたのは、私の父だ。
父は床にあぐらをかいて座ると、深いため息をつく。
「本当に……何回やっても気持ちが悪い」
心底嫌そうにマックを睨む。
引っ張りあげたマックも不満そうに眉を寄せた。
「そんな……先生、引っ張りあげたの俺なのに…」
「ご苦労様。お願いしてないがな」
「先生!性格悪いよ!」
大人の男を引っ張りあげるのは大変だったろうに、感謝の一つもない。
ちょっと不憫に思ってマックを見ると、父と目が合った。
父はそのまま、私から母へと視線を移す。
「これはまた……随分懐かしい姿じゃないか」
「遅い」
椅子に立て膝をついて煙草を燻らせている母を見て父は面白そうに言う。
じろりと睨む母の今日の服は黒。
なんだかもう、ヤンキーの特攻隊長にしか見えない。
「私だってこれでも急いだんだがな…」
母に睨まれてぼやいた後、父はもう一度母をしげしげと眺めた。
「そういう姿を見ると、出会った頃を思い出すな。全く…柄の悪い」
ペチリと父は母の立て膝を叩く。
この状態の母を叩けるなんて、流石夫婦。
母にビビり捲っていたマヤとコンテが『ひぇ』と小さな悲鳴を上げて顔を見合わせた。
「マックぅ。ついでにシフトも呼んできな」
「えっ…また!?」
「………あ?」
完全にヤンキーとパシリ。
マックは母に凄まれて、それ以上は何も言わずにまた床へと潜って行った。
それを見送ってから、母は父に向けて煙草の煙を吹きかける。
態度、悪。
「君なぁ…。怒るとそうやって周りを威圧する癖、直した方がいいぞ?」
「説教でもする気?」
「そんな無駄な事はしない。が、いい歳の大人なんだ、建設的な会話はできるようにしなさい」
「してる」
してる気がしない。
威圧して有無を言わせず、マックを2度目のお使いに出した張本人が何を言っているんだと思う。
でも言わない。
怖いし。多分、呆れた顔をしているガイも同じ事を思っているだろうけど、こちらも無言を貫いている。
「それで?私をここに呼ぶなんて。それ程の大問題があるんだな?」
父は魔術師ではない。
魔力もないし、国の機関に所属しているわけでもない、完全に一般人だ。
普通、ここに来る為には正門から通行証を見せて、魔術管理部門の誰かと一緒に来る必要がある。
それを完全に無視。
お堅い国の役人が知ったら面倒事になるだろう。
母は無言で、1枚の紙をスライドさせる。
そういえば、あの持ってきた紙、なんだったんだ。
父はスライドされた紙を手に取って目を走らせる。
それから、ふむ、と顎に手を当てた。
「これ、ネジには見せたのか?」
「あー…そういえばまだだった。ネジ、あんたも見な」
父はちょいちょいと私を手招きする。
大人しく父の横に立つと、父は紙を渡してくれた。
「ちょっと見ない内にデカくなったな。元気だろう?」
父は眉をちょっと上げてみせる。
その心配しているのではなく、確認する聞き方が父らしい。
「うん。父さんも元気そうだな」
父は学者だ。
身体を使う仕事ではないから、マッチョではないけれど、真面目にキチキチ生活しているのだろう。年の割には元気そうだし、まだまだ活力もありそうだった。
返事をしながら、手紙へ視線を移す。
それは、ゲラン・アパタイトもとい、隣国のアパタイト家からの正式な婚約を申込む手紙だった。
「私は情況がまだ飲み込めていないんだが。何故隣国からお前に婚約の申込が来るんだ?」
尤もな疑問だ。
でもそれは、シフトが来てから説明するつもりだ。
「説明する。でもシフトが来るまで待ってて」
「……そういえば、いないな。私の知らない顔も多い。ネジ、紹介してくれるな?」
父はぐるりと周囲を見回す。
古参のダーダラとデリカはペコリと頭を下げた。それに父も礼を返す。
「魔術管理部門のショー、メイン、マヤ。で、こっちがコンテ。その横がガイとユリ。ガイとユリは魔術管理部門の職員じゃない」
それぞれが父と無言で礼を交わしていく。
母の機嫌が最悪だから、皆いつもより大人しい。借りてきた猫のように無言のままだ。
「ガイとユリは、外注の業者ってとこかな」
ホワイト商会の社長と社員だから、そんなものだろう。
「外注の業者?…また何か変なものを作ってるんだな?」
若干イラッとしながら、父は母と、既知のダーダラとデリカへ視線を投げる。
母は完全に無視。デリカは『ハハハ』と乾いた笑いを浮かべるだけだ。
ダーダラは、どこまで喋っていいものか、私へ視線を向けてきた。
「うん。今、魔力封じの腕輪と、魔術無効化液を作ってるんだ」
「………なんなんだ、それは?」
「私、白魔女だろ?多分、白魔女にも魔力があって、それを使って今の魔術師の力を封じる腕輪と、魔術を一時だけ無効化させる液体」
「また厄介なものを…」
はぁー……と父はこめかみを押さえる。
それに追い打ちをかけるように母が口を開いた。
「特許申請しといてよね?」
「何度も言うけど、それは君の仕事じゃないのか?」
「私がやるより早い。…ガイ、特許について調べてんでしょ?この人に聞いて記入しな」
魔力封じの腕輪の独占販売権を渡す代わりに特許を申請してもらう約束になっている。
でもガイは忙しいのか、まだ申請はできていないと、前にこぼしていた。
母はそれを覚えていたらしい。
ガイは不思議そうに父へと視線を向けた。
「私はただの法学者なんだがね。特許関係は詳しいんだ」
「謙遜してんの?ガイ、特許法はねぇ、この人主体で作ったのよ。言わば生みの親。腕輪と無効化液、ぐうの音も出ない程、完璧な書類にしてくれるわよ」
母の言葉にガイはギョッとして父を見る。
それから、辟易した顔で私を見てきた。
「……お前んち、完全に魔窟だな…」
ボソリと呟く。
それにうんうんと、激しくデリカとダーダラが頷いていた。
ガイは一度頭を振ると、父の方を向いて、いつもの調子の良い笑顔を見せた。
「えーと、じゃ、お願いしていいですかね?」
「…君、調子が良い子だな」
「よく言われます」
父の嫌味もなんのその、ガイはにっこりと笑った。
父はその様子を見てから、諦めてため息をつく。
どうせ母が言った時点で拒否権はない。
「わかった。概要はあるかい?」
「あ、データと概要を纏めた書類なら、今持ってます」
「用意がいいな。…見せて」
父はガイに向かって手を差し出す。
ガイはそれはもう嬉しそうにいそいそと鞄から袋に入った書類を取り出した。
それを受け取って、父が書類に目を通し始める。
けれど、それはすぐにおしまいになった。
床下から、マックが現れ、そして、シフトが現れた。
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