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「……ゲランって、なんで急に…」
ユリが出してきた名前に、戸惑いが隠せない。
その名前は、私が一番聞きたくない名前だ。
今後の人生で聞くことはないと思っていた名前でもある。
それが、何故ユリから出てくるのか。
困惑と驚愕と、腹の底から湧き上がる嫌悪。
ピタリと固まってしまう。
ユリは私の様子に、尋常じゃないものを感じたのか、心配そうな目をしてみせた。
「ねぇ、ちょっと?大丈夫?」
そっと腕に手を当ててくる。
心配してくれているのに。
それはわかるのに、急に触れた手を思わず振り払ってしまう。
「…え?」
びっくりした顔でユリがこっちを見つめてくる。
どうしたらいいのかわからない。
その私達の間の空気を裂くように、明るい声が届いた。
「おー。お疲れー」
軽い調子の声はガイだ。
ガサガサと袋の音もする。
慣れた様子で、コンテと一緒にこの空間に入ってきた。
コンテはマヤから『長老』なんて呼ばれてはいるが、魔術管理部門では実は一番年下で、まだ成人したばかりの18歳だった。
人見知りで、都会に出てきたばかりで、ローブを頭から被って警戒しまくりのコンテを、ガイは何かと気にかけている。
多分、元々の気質だろう。
子供の時から、輪に入れない仲間を自然と中に引き入れるような所があった。
かくいう私とシフトも、そのおかげであの子供同士の集団に入れたんだと思う。
「差し入れ買ってきたから食えよー!」
大声で遠くまで聞こえるように言う。
机は私達のいるここにしかないから、当然そこに袋を置く。
ガイの登場に、私とユリの会話は途絶えたし、あの微妙な空気感も霧散した。
ユリはすぐに頭を切り替えて、袋の中を覗き込む。
「あ、このドーナツ、最近流行ってるやつじゃない?」
「そうなのか?」
私は食べられるものなら何でもいい。
味も、勿論美味しい方がいいけど、それしかないなら不味くてもイケる。
だからドーナツの流行りなんか知らないけども。
ユリの横から覗き込んだドーナツはシンプルそうな見た目だった。
「…普通じゃん」
どこにでもあるドーナツにしか見えない。
「生地に高級な茶葉が練り込んであるらしいわよ」
「ふぅん…。女子が好きそうだな」
「あんたも女子でしょ」
呆れた視線でユリがこっちを見てくる。
ひょいと、袋からドーナツを出して、口に入れる。
販売物だから、当然ながら、美味しい。
紅茶の風味もわかる。
でも高級かどうかは不明だ。
「これ、高いの?」
ガイに視線を向けるとガイは首を傾げた。
「さぁ?…知り合いから貰ったやつ」
にっこりと笑う。
その笑顔の胡散臭いこと。
「カツアゲ?」
「人聞きの悪い事言うなよ。感謝の印に貰ったやつだし」
「貢物じゃん」
ニヤリとガイは笑う。
否定してこない辺り、当たらずとも遠からずだろう。
何かの見返りについでに貰った気がする。
「ポテトもあるぞ。な、コンテ?」
「う、うん。あの、ここにあるだ」
コンテは持っていた袋からいそいそとポテトを取り出した。ガイは3つ目の袋から、使い捨てのコップと、手作り感満載の瓶に入った飲み物を出す。
「これ、肉屋のおばちゃんが作ったレモネードだってさ」
ガイのいう肉屋のおばちゃんは、多分私が思い浮かべた人物と一緒だと思う。
よく街の子供達に何かを作って渡してくれた人だと思う。
すっかりおやつの時間と化した机の上で、もぐもぐとドーナツとポテトを食べる。
ユリはかいがいしく、使い捨てコップにレモネードを人数分注いでいた。
こういう所がオカンなんだよな…。
手元に置かれたコップからレモネードを飲む。毒は入ってはいないだろう。
ガイのことだから、怪しいなら貰わないだろうし、多分皆に渡す前に毒味してると思う。
ガイもユリが注いでくれたレモネードを口に持っていきながら、なんてことない様子で口を開いた。
「…ネジさぁ、へその横と、胸にホクロある?」
「………は?」
何言ってんだ、コイツ。
「セクハラじゃん」
冷ややかな視線を向けると、何故かユリがレモネードにむせた。
なんでお前が焦ってんだ。
ユリにも冷ややかな視線を向けると、ユリはガイを睨んだ。
「ちょっと!今ここで聞くことじゃないでしょ!?」
「のんびりしてる場合じゃないだろ?」
「だからって、こんな人目のある所で聞くことないでしょ!?」
ばん、と机を叩いて立ち上がる。
ぐい、とユリは私の腕を掴んだ。
私も、今度は振り払わずになすがままにしている。
「……なんなんだ、一体」
急にホクロの位置を聞いてきたり、2人してバチバチしたりして。
多分、私が関係しているんだろうけど、全然わからない。
一息ついたのか、向こうから歩いてくるデリカとメインが顔を見合わせていた。
「お前、ゲランとヤッたことあんの?」
「………あ?」
ガイの言葉に、自分でも驚くくらい低い声が出る。
全身が総毛立つ。
名前を聞くだけでも嫌なのに。
「ガイ!止めて!」
悲鳴のような声を上げるのは私じゃなくユリだ。
そこには嫌悪と不安と、私への気遣いがある。
ユリは私を無理に立たせてガイから隠すように前に立つ。
その行動は、有難かったけれど。
「……急だな?」
ユリを横に退かせて、ジロリとガイを睨む。
ガイはいつものヘラヘラとした笑顔を浮かべている。
「お前のとこにはまだ何も伝わってないんだな?」
「知らんな」
「じゃあどうせ聞くから、俺が教えてやるよ」
にっこりとガイは笑う。
親切ぶって言っているけれど、そこに私を慮る気配はない。
淡々と、今後を視野に入れているとしか思えない。
「ゲラン・アパタイトがお前を嫁にするって触れ回ってる。5年前、自分達は恋人で、肉体関係もある。その証拠に、ホクロの位置も知ってるんだそうだ」
笑みを崩す事もなく、ガイは私を見つめてくる。
その他人事で、馬鹿にした調子でもあるのに、目の奥は笑っていない。
「……で?実際どうなの?」
答えによっては、今後に影響する。
ガイには関係ないと突っぱねる訳にもいかない。
ガイはこの事業に関わっているのだから、聞くのは当然の権利だし、悪い事はしていない。
でもムカつく。
ガイもゲランも、人の弱みにつけ込んで、本当に腹立たしかった。
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