23
華奢な身体が、男に引き寄せられていく。
赤いワンピースがふわりと揺れる。
目に眩しい白い肌に、無骨な男の指が触れている。
それを見た時の、あの言いようのない腹立ち。
これをなんと呼ぶのか、俺は知っている。
ユリは可愛らしかった。
それはネジのように神聖さのあるものではなくて、いわば等身大の少女そのものの可愛らしさだった。
だから、突き放せた。
きっと俺じゃなくても、ユリを好きになる男はいるだろう。もっとちゃんとした男に守ってもらう方がユリも幸せだろうと、そう思う。
それは今もそう思うけど、実際に別の男に触れられているのを目の当たりにして、やっぱり俺の方が無理だな、と実感した。
この街でわざわざユリに触れてくる男はいなかった。
レジスタンスの仲間は言わずもがな、それ以外の男もユリの真横を歩いて睨みを利かせている俺にビビって手はおろか、声すらかけてこなかった。
若い頃ヤンチャしてた経験が役に立ってると思う。
皆俺が怖くて声をかけないだけだ。
ユリはここに来てまだ少しだけど、可愛いと評判になっていたし、本当はお近付きになりたい男は多いだろう。だから、ユリがその気になる男がいるなら、譲れると思ってた。
でもそうじゃなかった。
ロウの指がユリに触れている。
それだけで、こんなに腹が立つ。
これは嫉妬だ。
『指一本触らないで』と、泣きながらいったユリを思い出す。
あの極限状態でも泣いて縋ったりしない、気が強くて芯のある瞳。
あの目が、俺はきっと最初から好きだったんだと思う。
「…あのさぁ、俺達今デート中なんだよね?」
ユリの身体を抱き込んで、ロウの手をはね除ける。
ユリはびっくりして俺に首だけで振り向いた。ユリと視線を合わせて、安心させるようににっこりと笑う。
「ユリ、ちょっとだけ目閉じてられる?」
「え…と」
戸惑うユリの肩を引き寄せて腕の中で反転させる。振り向けないように片手でユリの頭を抱え込んだ。
「お、お前!また!なんなんだ、お前は!?」
「んー…お前が言う所の浮気相手じゃね?」
「なっ…」
コイツ、小物感が凄いな。
「お前、魔術師じゃないんだろう!?僕は魔術師だからな!?お前なんて魔術で…」
ロウの言葉はそれ以外続けられないだろう。
口から下を俺が片手で押さえたから。
殴っても良かったけど、それだとまた来そうだし、ユリが誰のものなのか、ちゃんと理解してもらった方がいいだろう。
だからきちんとロウと視線を合わせる。
ギリギリと手に力を込めつつ、教え込ませるようにゆっくりと言う。
「魔術魔術ってうるせぇなぁ…。いつも思うんだけど、お前らって詠唱できなきゃ無意味じゃね?」
シフトやネジの母親のように無詠唱でも魔術が使えるならともかく。
大体の魔術師は詠唱しないと魔術が使えない。だから口さえ押さえてしまえば、別に普通の人間と大差ないと思う。
ロウは焦ってパニックになっているのか、両手で俺の片手を外そうとしている。
でも特に鍛えてもいないようで、大した力もない。
「俺はさ、あんまり手荒な事はしたくないわけ。な?いい子だから、お家帰って婚約破棄してこいよ?」
バンバンと不満そうにロウは俺の手を叩いて睨んでくる。
そのプライドだけは高そうな顔に更に力を込める。
「お前さー…わかってる?これ、俺がちょっと手を動かして鼻まで覆ったら窒息するよ?首へし折ってもいいけど」
ロウはビクリと肩を揺らして固まってしまう。想像すらしてないとは、本当に世間知らずだな。
腕の中のユリも驚いたように身じろぎする。
それを宥めるように頭を押さえつつ、その髪を撫でる。柔らかな髪のすぐ横にある耳に手が触れたから、その耳を何度か撫でると、擽ったそうにして顔を胸に擦り付けてきた。
多分これはワザとじゃないだろう。擽ったくて逃れたいだけだろうけど、あまりにも男を知らな過ぎる。
「俺もさぁ、ユリの前であんまり乱暴な事はしたくないんだよな。……わかるよな?」
ロウを睨むと命の危険を感じているのか、こくこくと頷く。
「わかってくれて何よりだ。…ああ、でも」
ロウの口から手を話す。
ロウは急いで詠唱をしようと口を動かした。
やっぱりな、と思う。
こういうヤツって、ちょっとでも隙を見せるとすぐ歯向かってこようとするんだよな。実力もないのに。
だから痛い目をみるんだ。
あんまりユリの前でしたくないけど、ロウの顔に拳を叩き込む。
詠唱は途中で切れて、魔術は発動しなかった。
ロウの身体は後方に吹き飛んでいく。
そのまま気絶するだろう。
誰か親切な奴が介抱してくれると信じて、ユリに見せないように頭の後を押すようにして歩き出した。
◇◇◇
ガイはズンズンと歩いていく。
頭を押すようにして歩き出した後、すぐにその手があたしの手を握って引くように歩いて行く。
ネジのいる屋敷とは別方向に進み出していくのに、ガイの足は淀みない。
目的地が他にあるのは、その様子でわかるけど、それがどこなのかはわからなかった。
手を引かれて着いたのは、真新しい集合住宅で、ガイは階段を登り、2階の角部屋を開けた。
押し込むように中に入れられて、部屋に入った瞬間にもう一度抱き締められる。
パタンとドアが閉まる音が耳に響いた。
「あの……ガイ…?」
ぎゅうぎゅうと抱き込まれてどうしたらいいのかわからない。
「…ん?なに?」
ガイは耳元で囁く。
その声がさっきまでと全然違う。
ロウに対する冷ややかで威圧する声でも、一線を引く時の冷静な声でも、軽口を叩く時の明るい声でもない。
どろどろに甘やかして蕩けるような、男の人の声だ。
「なにって…」
むしろこっちが、なに状態だけど。
さっきはロウが居たから、守る為に抱き締めてきただけかと思ってた。
なのに、途中で頭を撫でたり、耳を擽ったりしてきて、途中から一層鼓動が早くなったのに。ガイは手慣れてるのか、そんなの気にしている風もない。
「ゆ、指一本触らないって、約束した」
「今さら?」
「それは…でも、さっきのは、ロウが居たから」
ロウの名前に、ピクリとガイの眉が上がる。
ピリつく空気に身体を揺らすと、ガイは落ち着かせるように背中を撫でてきた。
「この状況で他の男の名前出すとか…本当に男をわかってねぇな…」
撫でる手は優しいのに、声には呆れが混ざっている。
「だって…ガイ、何がしたいの?」
こんなに思わせぶりな態度ばっかり取らないでほしい。
こんなの、偽装恋人の範囲を越えてる。
「恋人のフリなんだから、指一本触らないでって言ったじゃない!なのに、こんな……勘違いさせないで…」
ぐっとガイの身体を押して離れようとしたけど、ガイは背中に回した腕を緩めてはくれなかった。
それどころか、もう一度抱き込むようにして、あたしの耳に口を近づける。
「ごめん」
なんだか、振られた気がする。
そのごめんは、約束を破った事に対してなのか、それとも勘違いさせた事に対してなのか、はたまた両方か。
はっきりしない態度にじろりとガイを睨む。
「偽装恋人、終わりにしよう」
それは、あたしが言いたかったのに。
ガイに偽装恋人を終わりにして、ちゃんと告白して、振られるつもりだったのに。
告白も、ちゃんとできなかった。
その酷くて狡い態度に、怒りが込み上げてくる。
「終わりって…なんでそう自分勝手なの!?勝手に始めて終わるのもガイの都合なの、ズルいでしょ!?」
あたしだって終わりにするつもりだったけど。でも始まりがガイだったんだから、終わりくらい、あたしの都合にしたかった。
「もう!離して!」
ガイが偽装恋人は終わりにするって言ったのに。ガイはまだあたしを抱き締めたままだ。
終わりにするなら、早く離してほしい。
そして、早くこの部屋から出て、一人で泣きたい。
なのに、ガイは片手であたしの顎を掴んで、唇を触れ合わせた。
「…え」
「ユリ、なんか勘違いしてるだろ?偽装恋人を終わりにしようって、別れるって意味じゃねぇんだけど」
「え…?」
ガイが何を言っているのかわからない。
ガイは呆れたように一つため息をつく。
なんでそんなあたしが悪いみたいな態度をされなきゃならないんだ。
「偽装じゃなくて、本当の恋人にしようって事だよ」
「……は?」
ガイはもう一度聞き返すあたしにキスをする。それはさっきの触れるだけのものじゃなくて、舌が絡む大人のキスだった。
「…んっ」
思わず漏れた声は、自分でも聞いたことがないような、甘ったるい声だった。
バンバンとガイを叩く。
それを無視してガイは顎を掴んでいた手を頭の後に回して、更にキスを深くする。
もう片方の手は腰に回ったまま離れなくて、なされるがまま、どうしたらいいのかわからない。
苦しくて、恥ずかしいのに、離れがたい。
バンバン叩いていた筈なのに、いつの間にか縋るようにガイの服を掴んでしまう。
「も……や…」
もうヤダ、そう言いたいのに。
口から漏れる声は甘ったるいまま、まるで媚びているようだ。
ガイはあたしの声が聞こえたのか、漸く唇を離す。唾液が室内の明かりに照らされて互いの口から糸を引くのが見える。
その、あまりの情事じみた光景に、一気に全身が熱くなる。
「なっ…なん、なんで!?」
「…?なにが?」
なに当然です、みたいな顔をしているんだ。
あたしは肩で息をして、全然余裕がないのに、ガイは全くそんな風には見えない。
慣れすぎじゃない!?なにその、キスしまくってる手慣れた感じは!
「だって、本当の恋人って……そういうのは、本当に好き同士の人達がなるやつだし!」
「ユリは俺の事好きだろ?」
ムカつく!なにその当然みたいな顔!そうだけど、だからこそムカつく!
「そうよ!あたしはアンタの事が好きだけど!アンタは違うんでしょ!?」
あたし一人だけ好きなら、それは偽装恋人と変わらない。ただ女の子に触りたいだけで、適当に恋人になってほしいわけじゃない。
「好きでもないのに、適当に触らないで!」
ベシ、とガイの頬を叩く。
あたしのビンタくらい簡単に避けられるだろうに、ガイは大人しく叩かれて、それから、頬を叩いたあたしの手をそのまま上から押さえた。あたしの手はガイに押さえられてガイの顔から離れられない。
ガイはじっとあたしを見つめて、それからあたしの掌に顔を向けて、今度は手にキスしてきた。
「ひっ…」
擽ったい感覚と、キスしながら、舌で掌を舐められる。
唇とは違う、ちょっとザラザラした舌が、掌を這う感覚に、ゾワゾワする。
「やだ!」
「やだ?ホントに?顔真っ赤だけど?」
「なっ…バカ!変態!」
手を引こうとしたけれど、ガイは手を持ったまま離れない。カプリと、中指を噛まれてピリつく痛みに顔を顰める。ガイはそれで漸く掌から唇を離す。
「好きじゃないわけねぇじゃん。ユリの事が好きだから、こんなに触ってキスしまくってんじゃん」
当然みたいな顔と態度でガイはあたしを見つめる。
「そっ…そんなの、知らないもん…」
恋人なんていたことない。
だから世の中の恋人がどんな風に二人きりの時間を過ごして、どんな風にキスするのかもわからない。
「じゃあ覚えて。俺がどんなにユリを好きで、どんなに触りたいと思ってるか、ちゃんと意識しろ」
掌を撫でていた手が頬に触れる。
暖かくて大きな手は大事なものを触るように、何度も優しく撫でてくる。
「キスも、その先も、ユリが想像する以上に俺は考えてるよ」
キスのその先。それは、未知ではあるものの、知識が全くゼロでもない。
その急に生々しい世界に、緊張で固まってしまう。
それを見透かしてガイは苦笑した。
「そんな緊張しなくても。今すぐ押し倒したりしないから」
「……時期がきたら、押し倒すの…?」
「それはもう。遠慮なく」
「…ひぇ…」
にっこりと笑うガイは冗談でもなんでもなさそうだ。
その底知れない男の人の本気に、思わず小さな悲鳴が漏れてしまう。
ガイはそれを面白そうに笑ってもう一度あたしを腕に抱き込んだ。
優しく髪を撫でてきて、その穏やかさに、ほっと息をつく。
それで、漸く、ネジとの会話を引き合いに出せた。
「…ネジに、魔術管理部門に就職しないかって言われたのよね」
「魔術管理部門だぁ?……アイツが言ってたの、それかー…」
唐突に言ったと思ったのだけど、ガイは思い当たる節があったらしい。
顔は抱き締められているから見えなかったけど、凄く嫌そうな声だった。
「就職、するつもりだったんだけど」
チラリとガイを見る。
ガイは不満そうにあたしを見てきた。
「えー…すんの?」
「振られる予定だったから、そのつもりだった。他に就職先とか考えてなかったし」
でも行ったらガイとは一緒に居られないかもしれない。
レジスタンスの人間が、魔術管理部門の人間と恋人同士というわけにもいかないだろう。
魔術管理部門にどうしても行きたいわけじゃないけど、就職先自体はそろそろ考えないといけない。渡りに船ではあった申出なのだ。
「魔術管理部門に行きたいんなら、止めないけどさ。…どうしてもそこじゃないとダメってわけじゃないなら、俺のとこに来たらいいよ」
「俺のとこ…?」
「そう。ホワイト商会。俺の会社」
「え…なにそれ…」
新手の冗談?
ホワイト商会って結構大きい商会だったはず。ここ2〜3年で急成長してきた会社で、新聞の話題にも載っていた。
「言ってなかったっけ?俺が作った俺の会社」
ドヤ顔だ。
でも、それが本当なら確かに凄いと思う。
「…それもコネね…」
魔術管理部門もコネだし、ホワイト商会もコネ。なんだか、自分の能力のなさが露呈している気分だ。
ガイは少ししょんぼりしたあたしにニヤリと笑った。
「馬鹿だなぁ…。世の中コネばっかりだぞ」
「そんなの知りたくなかった」
「ハハハ。純粋だな。そんなユリに良いことを教えてやろう。コネの別名はヘッドハンティングって言うんだよ」
「ものはいいようね…」
コネとヘッドハンティングって多分厳密には違うと思う。実績のないあたしはヘッドハンティングとは言えないと思うけど。
でもそれでも。
少しでもあたしの気持ちが晴れるように言い換えてくれる、その優しさが嬉しかった。
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