16
牛乳とパンを買って帰ってきたあたしに、ネジは一言『遅い』とだけ言った。
それからひったくるように牛乳を奪い取り、スタスタと奥に引っ込んでしまう。
そのあまりにもな態度に、怒りを通り越して呆れてしまう。
思わずガイを見ると、ガイは苦笑していた。
「ほらな。機嫌悪いだろ?」
「牛乳如きでキレすぎじゃない?」
「それはほら…大魔王だから」
普通なら反論できる筈の理由なのに、相手がネジというだけで、つい納得してしまう。
思わず黙ってしまうと、ガイはダイニングテーブルに座って仕事を始める。
白魔女用の魔術陣は2日で完璧に書けるようになった。
次はいよいよ腕輪に彫っていく段階らしい。
今腕にはまっている腕輪と全く同じものがズラリと箱にしまってある。
これからこの一つ一つに魔術陣を彫るのだから結構な重労働だろう。
ガイは無言で手を動かし始めた。
「…さっきの、聞かないの?」
集中する前に聞いておきたかった。
「あー……別に。話したかったら聞くけど?」
ガイは特に興味がない様子だった。
あんな風に普段とは違って格好良く守ってくれてはいても、内情まで踏み込んではこない。
それが、有り難いのに、寂しい。
その大人の対応に、あたしはまだ慣れていない。
「アイツ、婚約者なの」
いつもの席は、ガイの隣だ。
だからそこに腰を下ろす。
「ふーん…俺、お邪魔だった?」
腕を動かしつつも、ガイは聞いてくれる。
全くそんな風に思っていないだろう事は、その言い方からも声の調子からも明らかだった。
「助かった。あたし、アイツ大っ嫌いなの。…ありがと」
ちょっと照れくさくて、椅子の上で膝を抱えてそこに顔を埋めた。
実家なら、行儀が悪いと即叱られる行動だけど、ここでは誰もそんな事は言わない。
「いーよ。それにしても、ユリりん、男運ないねぇ…」
「親の見る目がないと言って…」
「ハハハ。ドンマイ」
ガイは軽い調子を崩さない。
だからつい、言わなくていいことまで言ってしまう。
「あたし、魔術師なの。ずっと魔力がない人を下に見てた。…でも多分、違うんだよね…」
上も下もない。
その事に、漸く気づけた。
横のガイを見ると、こちらには視線を向けず、腕輪と格闘している。
その聞いているのかいないのか、よくわからない態度が今は有り難い。
「ネジに役立たずって言われた時は、本当に腹が立ったけど、その通りだった。…今日も、一人じゃ全然ダメだったし」
ガイが来なかったらそのまま叩かれていただろう。
ロウに掴まれた腕を擦る。
特に跡も残らなかったけれど、あの瞬間は怖かった。
叩かれて連れていかれたら、逃げられないのだとそう本能的に思った。
「……悔しい」
生物的にどうしても勝てない。
それが魔力があったから、今まで理解する機会がなかった。
ポンと頭を撫でられる。
その手はロウと違って、労る気持ちに溢れている。
「怖かったろ?」
「………ちょっとだけ」
顔を隠すように俯いて答えると、ガイは小さく笑う。
「正直でよろしい。そんなユリりんに俺がココアを淹れてあげよう」
ガイは椅子を引いて立ち上がる。
その手を知らず、掴んでしまう。
「…ん?」
ガイは安心させるように笑ってくれる。
その年上の余裕に、急に素直になれない。
「あたし、紅茶の方がいい」
ありがとう、とそういうつもりだったのに。
何となく淋しくて、側にいて欲しくて、手を握って引き留めるなんて。まるで子供のようだ。
「ミルクと砂糖欲しい?」
「レモンがいい」
「我儘だなぁ…」
ガイは少し呆れたように笑う。
でもそこに、妹を見るような甘やかな視線が混ざっている。
じっとガイを見つめると、ガイは困ったように笑った。
「ユリりん、男にそんな顔したらダメだぞー。男は皆バカだからな。ユリりんみたいな可愛い女の子にそんな顔して見つめられたら、大抵の奴は勘違いするからな」
「………ガイも?」
「ハハハ。俺はしない」
一気に信憑性がない。
憮然とした顔でガイを見ると、さっきまでの甘やかな空気を霧散させて、いつもの飄々とした空気を纏っている。
勘違いさせるのはどっちだ。
あんな大事に丁寧に扱ってくれたくせに。
急に変わる態度に、年上の男の人の狡さをみた気がした。
その日は本当に朝から厄日だった。
そして、一日は長い。
あたしはこの怒涛の一日を、多分忘れない。
この日の夕方、人生初の拉致監禁にあった。
あたしのこの日のメニュー、本当にキツい。
早朝からパンを焦がし、スープをこぼして服を汚し、昼は大嫌いな婚約者に叩かれそうになり、そして夕方、淡い恋心を抱いていたパン屋のカートに拉致監禁された。
なんで?なんの意味があってパン屋に拉致監禁されなきゃならないんだ…。
じろりとカートを睨むと、にっこりと笑われた。
「ユリちゃんが魔術師だってもっと前から知ってたら、こんな手荒にしなかったんだけどね」
なんなの、その残念そうな顔は。
罵ってやりたいけど、残念なことにあたしは今口に猿轡されていて喋れない。
ついでにいうと、両手両足を縛られて床に転がされている。
あんなに優しそうな顔してたのに。
親の見る目がないと思ってたけど、あたしもなかった。
「俺達はレジスタンスでね。『魔術師とそれ以外の人々を対等に』をスローガンに集まった集団なんだ。でも人が増えれば思想も増える。…俺はガイ達穏健派とは違って話し合いで解決できるとは思えない」
何を思い出したのか、カートは嫌そうに顔を顰めた。
っていうか、ガイって言った?
ガイってガイ?あのチャラチャラしててネジにバイトでこき使われてるガイ…?
「……あれ?ガイがレジスタンスって知らなかった?」
知らない。
よく考えたらあたしはガイの事を何も知らなかった。
何の仕事をしていて、どこに住んでいるのかも、どう生きてきたのかも知らない。
何が好きで、休日は何をして過ごすのか、何を考えているのかも、わからない。
今日のお昼までは、距離が少し近づいたと思っていたけれど、実際はそんな事はなかったのだと気付く。
それが、こんなにもショックで、悲しくなると思わなかった。
「ふぅん。ガイ、言ってないんだ。…何だか悪い事したかな」
カートは軽い調子で首を捻る。
そのちょっとした秘密をバラしたみたいな顔で、カートは続ける。
「ガイはね、俺達と違って穏健派なんだ。穏やかなアイツらしいよね。ネジの事も白魔女としてじゃなく、ちゃんとネジ個人として見てるしね」
その言い方はきっと過ごしてきた年月が積み重なっている。
ガイとは親しかっただろう。でもネジへの調子は、どこか他人行儀に聞こえた。
「…その腕輪、ネジが作ったんだろ?」
カートは顎で腕輪を示す。
ネジはまだ大々的に発表していないのに。
ネジが作ったことを知っている、それだけで、小さな集団の集まりではないのだと感じる。
「ガイはさ、俺達への牽制も兼ねてたんだろうね。穏健派であってもレジスタンスの一員が魔力封じの腕輪に関わっている、その事実は確かに一時的に俺達過激派への抑制にはなったんだけどね」
至極残念そうにカートはあたしを見る。
「ユリちゃん、今日魔術師の婚約者と会ったんだって?」
あ…。ロウか!
あの馬鹿のせいでこんな目に合ってるってこと!?
ギョッとしてカートを見ると、カートは可哀想なものを見る目を向けた。
「魔術師側にその魔力封じの腕輪は絶対渡せないんだ。シフト達騎士団も魔力封じの腕輪だけじゃまだ動けないしね。……だから、ごめんね?」
そっとカートは魔力封じの腕輪に触る。
それからあたしの腕に触った。
「これ、割るわけにいかないからさ。…腕、切っちゃうね?」
「……っ!」
本気だ。
声にならない悲鳴が猿轡から漏れる。
拉致監禁の上に腕切り落とされるとか、本当に、本っ当に、厄日過ぎる……!!!
ここまで読んでいただき、ありがとうございます! 本作はすでに**【全話執筆完結済み】**です! 明日からも気ままに更新していきますので、安心してお付き合いください。 もし少しでも「面白い!」「続きが気になる!」「ネジがんばれ!」と思っていただけましたら、 画面下にある**【★】(星)**や**【作品フォロー】**を押して応援していただけると、作者のモチベーションが爆上がりします!




