②『淀殿主催・百人一首大会〜しのぶれど 色に出でにけり 我が恋は〜』
「良いですか桜音殿。まずあなたは歌自体を覚える必要があります。頭の中で、上の句、下の句が揃っていないから、6回もお手付きをした上、一枚も取れないという状況になるんです」
千姫の後押しがあったとは言え、水の説明はどこか熱が入っている。常に冷静な人と思っていたが、さっきからずっとこの調子で、どうしたら札を取れるのかを熱弁されている。
「あの……もしかして、水さま、かるたお好きなんですか」
「皆さん、姫君の名を背負って挑まれるのでしょう?先に言っておくと、茶々さまと甲斐姫様の侍女たちは、毎年うちうちでかるた大会をしているので手強いですよ」
「えっ、じゃあ水さま、去年の様子知っているんですか?」
「はい、札を詠まされました」
なんてことだ。水の歌の詠みをすでに知っている者がいるのか。それに、水が詠み手を嫌がらない理由も分かった。これでは本当に茶々たちの余興である。千姫の名にかけて、ここは頑張るしかない。
「分かりました。千姫さまのためにも、人肌脱いで、この桜音、かるた大会に挑みます!」
「その調子です」
水がかるたを好きなのかどうかは分からないままだが、まず、水からは「決まり字」と「下の句」の、正確な組み合わせを覚えてくるようにと宿題を出された。
この日からの自由時間、桜音はお千代と一緒に百人一首の歌と向き合うようになった。お千代はもともとかるたが得意なので、あまり頭を悩ましていないようだが、桜音はちっとも覚えられない。歌を全部覚えるのは難しいので、水が言っていたように「決まり字」と下の句の最初の部分を、頭の中で整理した。
今、部屋には桜音と水の二人しかいない。水は百人一首かるたを持ってきて、その中から適当に10枚を選んで桜音の前に並べた。
「桜音殿、まずはこの数から始めます。札を並べたら、どの句がどの位置にあるのかを必ず確認してください。そうすれば、お手付きの数も減るはずです」
「分かりました」
桜音は10枚の句を確認し、両手を床につく。水はその様子を確認すると、詠み札を手にとった。
「“あさぼらけ”ーー」
「はいっ!」
「……早いですね」
「勢いが大事かと思いまして」
「……。見せてください」
水が形の良い手を桜音に伸ばす。桜音から札を受け取ると、水は表情を崩さないまま、首を横に振った。
「桜音殿、決まり字については理解されてますか?」
「上の句の数文字だけで、下の句が分かる部分のことです」
「そうです。さっきのはどこまで聞いて反応しましたか?」
「“あさぼらけ”です」
「いけません。“あさぼらけ あ”まで聞かないと駄目です。もう一度」
水は真剣な眼差しでまた読み出す。
「“あさぢうの”ーー」
「ええっ!?」
さっきと違う歌を詠まれた。桜音は咄嗟に手を伸ばしたので、再度のお手付きとなってしまった。
水が真剣に教えてくれているのに、こんなのでは怒られてしまうかもしれないーー。桜音は恐る恐る水の顔を見た。やっぱり水は真剣な眼差しで見てくる。多分、また注意される。ふざけている訳ではないのに……。
「くっ……ふふ」
「へ?」
怒ると思えば、水は一人で楽しげに笑い出した。
「ちょ、ちょっと水さま……私は真面目にやっているのですが……」
「すみません……、まさか本当に引っかかるとは……ふふふ、桜音殿って本当に分かりやすいですね、ふふ」
「水さま!揶揄わないでください!」
桜音と水は気を取り直し、取り組み始めた。
「“こころにも あらで浮世に“ーー」
「はいっ」
「違います」
「“これやこの”ーー」
「はい!」
「違います」
「“ゆうされば“ーー」
「これだっ……!」
「……」
結局、その日はお手つき14回、一回で間違いなく取れた札は一枚に終わった。このままでは、お千代に馬鹿にされるどころか、水に呆れられてしまう。水は「決まり字を覚えること」と言ってその日の練習は終わった。
翌日、井戸で水と会うと、紙に歌を書いたものを渡してくれた。決まり字に丸を付けてくれているので頭に入れやすい。
「一字で決まる歌は“む・す・め・ふ・さ・ほ・せ”から始まるものです。それだけでも、早めに覚えてきてくださいね」
「分かりました」
水がせっかく書いてくれたのだ。右肩上がりの丁寧な字を、空き時間に桜音は眺め続けた。いつも揶揄ってくる水を驚かせてやるんだと思いながら、お千代に負けじと声に出して読み続けた。
数日すると、お手付きの回数も減ってきたーー昨日は4回だったーー。水は、25枚を並べて、本番に近い形に近付けてやろうと提案した。桜音は手渡された25枚を目の前に並べる。
「ではいきます。“ちはやぶる”ーー」
「はいっ」
「“はなのいろは”ーー」
「はいっ」
「“ながからむ”ーー」
「はい」
今のところ、6回続けて取ることが出来ている。決まり字で手を伸ばすまでは出来ないが、最初の頃よりはだいぶ良くなった、と自分では思う。しかし、水は特に感心した様子は見せてくれない。というよりーーー。
「水さま、さっきから、なぜ恋の歌ばかりなのでしょうか」
「仕方ありません。百人一首は43首が恋の歌ですからね」
「6回も続きます?」
「それにしても、歌覚えたんですね。この短期間で素晴らしいです。続けますよ」
「話聞いてます?」
そのまま、今日は恋の歌ばかりを詠まれ続けた。桜音は恥ずかしいような、悔しいような気持ちを抑え続けた。隠し通せたかは分からないが。
「お疲れ様でした。随分良くなったと思いますよ」
「水さま、ちょっと面白がってません?」
「私はいたって真剣です」
そう言って軽く微笑みながら、すべての札を手にして水は桜音の隣に腰を下ろした。突然なんだろう。昨日までは、隣に座るなどしなかったのに。
「……桜音殿、一つだけ、確実に取れる札を用意しましょうか」
「一つ、ですか?」
「はい。確実な一句があるだけで、勝てる場面もありますからね」
「なるほど」
遊ばれているようではあるが、文武両刀である水には素直に感心してしまう。
水は、好きなのを選んでと、百首の読み札を渡してきた。何枚か見るうち、一つ、目に止まった。
「これはどうでしょう」
桜音は、気になった一枚を水に見せた。
しのぶれど 色に出でにけり 我が恋は
物や思ふと 人のとふまで
水はジッとその句を見たあと、低い声で意見した。
「……これですか。意味は分かってます?」
「恋の歌というのは分かります」
「……“隠そうとしているつもりでも、顔色や表情に想いが溢れ出てしまっている恋心“を歌った句……平兼盛の歌ですね」
「まあ……つまり周りにはバレバレということですか」
「そうです。気をつけてください」
「……私に言ってます!?」
「桜音殿は分かりやすいのでね……」
もしかして、水は自分たちの関係が明るみになってしまうのを懸念しているのだろうか。自分はそんなに分かりやすいだろうか……?そもそも、侍女の皆は水のことを好きなのだから、桜音が水を想う気持ちくらい、問題ないような気もする。だが、水はそう思っていないのだろうか。
まるで、また片想いに戻ったみたい……。そう思いながら、桜音は別の歌も見てみた。でも、先ほどの句の言葉や内容はとても魅力的で、他のものを選べそうにもない。
「……まあ、桜音殿としては、“しのぶれど“の句が覚えやすいかもしれませんね」
「……どういうことですか?」
「桜音殿は顔に出ますから」
「……出ません」
「出ています、今も」
「出ていませんっ!」
いよいよ大詰めとなってきた。水の特訓は毎日、桜音と一対一で順調(?)に続く。桜音の瞬発力は、長刀稽古で鍛えられているからか、問題はないようだった。あまりにも速く鋭く札を飛ばしてしまうため、たまに歌を読む水の顔めがけて飛んでいくこともあったーー水は動じることなく、飛んできた札を指で挟んで食い止めたーー。
「桜音殿、その奥にある札を取ってみてください」
「え、なんでですか?」
「良いから」
桜音は、水が指差した札に手を伸ばした。その途端に声を掛けられた。
「はい、少し止まってください」
桜音はビクッと動きを止める。水は桜音の背後に周ってきた。
え、な、なに!?
「腰が反り気味です。このままでは腰を痛めてしまいますよ」
「え……え?」
「お腹に力を入れて」
「お、お腹に力……」
「ここです」
水の長い指が、桜音のお腹の下あたりに添えられる。胸がドキドキして、心臓の音が水に聞こえてしまうのではないだろうか。
こんなことをされると、緊張で動けないのですがーー桜音は耳まで熱くなるのを感じた。ああ、また分かりやすいと言われてしまうーー。
「桜音殿?お腹に力を入れてください」
「こ、こうですか」
「そうです」
水の手は桜音から離れた。
「良いですね。その感覚があれば、もう大丈夫でしょう。あとはーー」
「まだあるんですか」
水は指を顎に当ててニヤリと笑った。
「あとは、想いを忍ばせることでしょうかね」
「もう!いい加減にしてください」
いよいよ、かるた大会が幕を開けるーー。




