完結『拗ねる忍びとお守り袋〜一番綺麗なものを、あなたに〜』
見回りから、どうやって千姫の部屋の前に戻ってきたのかは分からない。正直意識も朦朧とする。できれば早く仕事を終えて、布団の中に潜り込みたい。
桜音との関係はどうしよう。源治なら、きっと桜音を幸せにしてくれる。彼には武士という身分もあるし、剣術の実力もある。優しい性格だから、桜音の生い立ちを知ったとて、きっと支えてあげられるだろう。それに、彼は、自分と違って、男だしーー。
「水さま、お疲れ様でした」
一日の仕事を終えた桜音が部屋から出てきて、水の横に顔を覗かせた。桜音は相変わらず、可愛らしい顔で水を見てくる。水は桜音をチラッと見て、すぐに視線をそらした。できれば、今は話したくない。
「……お疲れ様です」
「水さま、このあと、お時間いいですか?」
嫌だ、と言いたかった。だが、この気持ちをずっと引き摺るわけにもいかない。
「……まだ、夜の見張り番が来られていないので無理です」
「でしたら、いつもの中庭で待っていますね」
やはり、桜音はどこか浮き足立っている。いったい何がそんなに楽しいのだ。こちらは今、あなたのことでいっぱいいっぱいなのに。
それでもやはり、桜音の言うことには逆らえない。そんな自分がもっと悔しい。
「……分かりました」
桜音は水の返事を聞くと、嬉しそうににっこり笑った。桜音はパタパタと早足に去って行った。
水は、夜の見張り番と挨拶を交わすと、重い足取りのまま中庭へ向かった。何を話せばいいのか分からず、行く途中に何度も立ち止まってしまった。
何を言われるのだろう。源治を想いを通わせたから、水との関係は終わらせたい、ということだろうか。そんな話は聞きたくない。桜音の幸せを願うのは本当だ。それを心から喜べない自分がいる。今、自分は昨日より酷い顔をしている。
「水さま」
「……」
水の存在に気付いた桜音が、水に駆け寄ってきた。桜音は、水の顔を見ると幸せそうに微笑む。
見ていられなかった。水は、また桜音から視線をそらした。思わず、またため息を吐いてしまう。
「……水さま、あの、どうかされましたか」
聞かないと分からないのか。いったい、こっちはこの数日どんな気持ちで過ごしたと思っているのだ。夜は一緒に歩いても早足で帰られるし、話そうと言っても断られる。源治と仲良さげに歩いていたのに、今夜はそちらから誘ってくる。もう、我慢の限界だった。
「どうしたも……こうしたもありません」
「え?」
自分は、こんなに感情的な人間だったのか。驚くと同時に制御ができない。桜音も吃驚した顔で見上げてくるではないか。
「なんなんですか、私に隠し事をして。千姫さまとお千代殿と、それを共有して。そんなに楽しいですか」
「あの、水さま」
言いながら、桜音を壁側に追い詰めてしまう。そんなことをしたら、桜音に嫌われるかもしれないのに。
「源治様と、神社に行かれたのでしょう。今日も一緒にいたようですし。なんでーー」
「ーー水さま、落ち着いて」
「あなた……私のこと……好きじゃなかったんですか……」
水は桜音の手を強く握った。桜音の目は見れなかった。
沈黙が続く。桜音は何も言ってくれない。泣きそうになってきた。こんなだから、目移りされたのかもしれないなーー。
「水さま、あの……何か勘違いをしているのだと思います」
「……勘違いって……なに」
問えば、桜音は急いで懐から何かを出して、水に見せた。菖蒲色の小さなお守り袋だった。
「これ、どうぞ。ここ数日、作るのに手間取っていたんです」
「……?」
桜音はズイッとそのお守り袋を水の前の前にかざしてくる。水は理解が追いつかず、それを見て、桜音の顔を見た。
「端午の節句のお守りです。今はもう、男児の祝い事ですが……戦の無事を願ってと思って。水さまは私と違って、そういう場にいかれますから……」
「……え……どういう……」
「これ、私の手作りなんです。隠していてごめんなさい。一番綺麗にできた物を渡したかったんです。思ったより難しくて、時間が掛かったんです」
桜音は、また「どうぞ」とお守り袋を近付けてきた。
ーーそういうことだったのか。
「水さま?」
水は体の力が抜け、しゃがみこんだ。自分の飛んだ思い込みで暴走して、恥ずかしい。顔をあげられない。
「す、水さま、大丈夫ですか?」
桜音は、水の顔を見ようとしたのか、腰を下ろした。
「……じゃあ、毎晩早く部屋に戻ってたのは……それを作るためだと……」
「そうです」
「……神社に行っていたのは?」
「中に入れる厄除けの札を貰うためです。千姫さまも、若様にお作りになっていましたし」
「……源治さまは護衛ですか」
「はい。千姫さまが、源治様なら安心できるだろうと」
「なら……どうしてあんなに親しげなんですか……」
「……私と源治様は、水さまの話題で盛り上がっているんですよ?共通の話題は、あなたのことくらいですから」
自分への贈り物のために、わざわざ神社まで行ってくれて、毎晩、納得が行くまで作ってくれたのか。桜音を信じられなかった自分が悔しい。
「……ました」
「え?……水さま、よく聞こえません」
「桜音殿が源治様をお好きになったのかと思いました」
「……ええ?」
「私みたいな未熟者じゃなくて、源治様みたいな、長身で肩幅があって逞しい殿方が良いのかと思ったんです。ごめんなさい」
水が、下を向いたまま早口で言い訳の言葉を並べた。こんな子供のような水は初めてで驚かされる。昨日から機嫌が悪かったのはこのせいか。桜音は、良かれと思って秘密にしたつもりだったが、水は思い込みが激しいようだ。それよりーー。
「あの……長身で肩幅がなんとかって……なんですか、その肩書き」
「側室方の侍女達がそう言ってたんです。……桜音殿に、失礼な態度をとってしまいました。本当にごめんなさい……」
水の声はだんだんと小さくなる。なるほど。つまり、どこかで何かの噂を聞いて、それをまんまと受け止めてしまったのか。いつもの冷静な水はいったいどこに行ったのだろう。そう思うと、思わず笑みが溢れた。
「……ふふっ、水さま、可愛いですね」
「……何を言ってるんですか……?」
嫌そうに、顔をしかめた水がやっと顔を見せてくれた。そういうところがと言いたい。
「嫉妬してくれたんですね?」
「……」
水は、少し呆気に取られたあと、不機嫌な顔に戻ってそっぽを向いた。
「私だけ浮足だって、すみませんでした。上手に作って驚かせたかったんです。まさかこんなに拗ねるなんて」
「拗ねていません」
「ふふっ。こんなに分かりやすい水さまは初めてですね」
「……それは申し訳ありませんね」
水の、普段は見せない焦った姿も、子供のようにいじける姿も新鮮だ。揶揄いすぎるとまた怒るだろうか。桜音は水の手をとって、お守り袋を握らせた。
「ほら、これは水さまのお守りですよ。機嫌直してくださいな」
そう言えば、やっと水がちゃんと顔を見てくれた。水は申し訳なさが勝っているのか、シュンとしてお守り袋を見つめる。
「ありがとう…ございます…」
「どういたしまして」
そう笑い掛ければ、水はもう一度「すみませんでした」と謝罪した。気にしなくていいと伝えたかったので、軽く水の肩を抱き寄せた。
とりあえず、誤解が溶けて、水の機嫌も治ってよかった。本当は、端午の節句である明日に渡すつもりだったのだが、千姫に「渡してあげなさい」と言われたのだ。
まさか、ここまで思い詰めていたなんて。自分は少し、水を強い人だと思いすぎていたのかもしれない。
「……桜音殿、一番綺麗にできたのがこれということは、他にもあるんですか?」
水が、桜音の胸の中で言う。二人は一度、体を離して顔を見合わせた。いつもの身長差と違って、水が桜音を見上げてくる。それだけで、なんだか可愛く見える。
「そうですよ。綺麗にできるようになるまで、練習したんですから」
「なら、全部ください」
「はい?」
「私のために作ってくれたんですよね?」
「そうですけど……練習で、ですよ?」
「いいです。欲しいです。お願いします」
これまで、水が我儘を言うなど見たことがない。そういえば、水は桜音より一つ歳下だ。今日ほど、水が子供のように感じたことはなかった。
練習用は形が歪だったり、失敗作もある。だが、水に寂しい思いをさせてしまったので、その埋め合わせをしてやりたい。桜音は「明日の朝に、残りの分は持ってくる」と伝えた。水は喜んでくれた。
部屋に帰る途中、水が桜音に声を掛けた。
「桜音殿」
「はい、なんですか」
水は、優しく笑って桜音に言った。
「本当にありがとうございます。これ、宝物にしますね」
幸せそうに言ってくれるものだから、その笑顔を見て、自分も幸せになる。こんなに喜んでくれるのだ。練習用のものも、全部あげよう。
桜音と水は、手を繋いで夜の大坂城を歩いた。
~翌朝~
「笑わないでくださいよ」
「笑いませんよ。私のために、作ってくださったんですから」
水に、練習用のお守り袋を渡せば、満面の笑みで受け取ってくれた。数があったので布に包んで渡したが、水はその場で広げて見た。
「こんなにたくさん……嬉しいです」
「もう……そんなに眺めるものでもないでしょう」
「数日でこの量とは、寝不足にもなりますね」
「あはは……」
水は、一個ずつ手に取って見ていく。
「これなんて、左右が不均等……。あ、これもですね」
「……水さま?」
「これは?ああ、お札を入れる所も縫ってしまったんですか」
「笑わないと言いましたよね?」
「笑っていません。桜音殿の頑張りを、こうして見ているんです」
「……そうですか」
そんな風には見えないけれど。
「これなんて、ほら。糸がほつれてる」
「もう~!」
そういえば、水は楽しそうに笑った。




