『水と桜音の長刀稽古〜二人稽古と胸の高鳴り〜』
その夜、一日の仕事を終えて、水は稽古用である木製の長刀を手にして、桜音と庭で向き合った。
「水さま、よろしくお願いします」
「こちらこそ、お願いいたします。まずは軽めにしてみましょう」
水は桜音を対戦相手として構えた。桜音は焦って首を横に振った。
「待ってください水さま!稽古って、水さまが私の相手をするんですか!?」
水はそのつもりだったので、桜音が否定する理由が分からなかった。
「はい。そうでないと、桜音殿の稽古にならないでしょう?」
「そ、そうですけど」
「だって、集団稽古では桜音殿の稽古になっていませんよね。皆の相手ばかりして、役不足かと思っていました」
水は、一度構えをやめた。唐突すぎただろうか。
桜音の稽古をきちんと見てやりたいのは本当だし、何かあったときのために、訓練をしていてほしい。かといって、皆がいる前で桜音だけ特別扱いもできない。だからこうして時間を作ってみた。それに、二人の時間も欲しいのも本当だ。
桜音は、ポカンと口を開けて水を見ていた。いったいどういう感情なのだろう。二人きりの稽古は嫌なのだろうか。
「あの……桜音殿?」
「……水さま、見ていて分かるんですか」
「……まあ、はい。これでも一応、武術や戦闘は私の仕事の一つなので……それで人の感情はある程度分かるつもりです」
桜音のことがよく分かるのは当然だ。だって、あなたのことを、よく見ているのだから。しかし、今はそれを伝える場面ではない。桜音は、水の顔を見て、少し申し訳なさそうに話し出した。
「……そうでしたか。すみません、せっかく稽古を開いてくれているのに、少し物足りないとは言えなくて……。私の本業ではありませんし」
桜音は苦笑いで言う。
「侍女なのに、こういうのを好むなんて……変ですよね」
「そんなことありませんよ。それが身を守ることに繋がるんですから」
桜音は水に言葉に軽く微笑んで納得したようで、頷いた。水も安心し、笑い返した。
「では、始めましょうか。まずは軽めにしますから、体を温めてください」
「はい、お願いします!」
何度か水から打ち込む。速過ぎず、間合いを詰め過ぎないように気をつけながら長刀を振るった。やはり、桜音は上手い。きちんと足捌きも体に馴染んで動けている。あとは持ち技を増やすこと、それに経験、実践さえあればもっと良くなるだろう。
しばらくすると、桜音の息が上がっていた。もちろん、忍びとして訓練を受けた水はなんともない。桜音の様子を見て、水は一度構えをやめた。それに習って桜音も体の緊張を解いた。桜音の首と額には、汗が薄く滲んでいた。
「少し休憩しましょうか」
桜音は手拭いで汗を拭う。水はその姿を横で見つめた。普段、桜音のそういう姿は見られない。強いて言えば、集団稽古のときくらいだ。水は、桜音に水筒を渡した。桜音は「ありがとうございます」と笑顔で言うと、それを水にすぐに返した。
「水さまも、しっかり水分とってください」
「私はまだ大丈夫です」
「はあ、そうですか……さすがですね」
桜音は少し悔しいのか、微かに眉間に皺を寄せていた。桜音は侍女で、水は忍びだ。忍びである水のほうが体力があって当然なのに、桜音は悔しそうにしている。
「さあ、水さま。次は手を抜かないでください」
休憩が終わると、桜音はさっきよりも強気になっていた。やる気が上がってきたのか、桜音から構え始め、水に宣戦布告する。何事も真面目に取り組むのは桜音の美点だ。そんな桜音に水は嬉しくもなった。桜音はしっかりと水を見据える。
「分かりました。では、いきますよ」
水に手を抜かないで欲しいと言ったのは本心だったので仕方がない。それでも、最初よりも水からの攻撃が重くなっている。稽古用の木製の長刀ではあるが、音の響きが変わってきた。さっきまでは軽く音が鳴る程度だったのが、水の攻撃を払うと、鈍く重いものになってきた。
「守るだけではなく、自分からも仕掛けて」
合間で水が桜音に指示した。返事をしたいが、それをするのも間に合わない。水の目付きも徐々に鋭いものになる。夜で視界は悪くなるはずなのに、水はそれを感じさせない。
これまでの水が、いかに桜音に優しかったのかが痛いほど分かる。それは、さっきまでの練習だけではなくて、生活の中でも。このまま、水に押されるだけではいけない。桜音はお腹にグッと力を込めた。そして、気合を声に出してみた。同時に攻撃を仕掛ける。
「やああ!」
水の頭上から長刀を振り下ろした。分かりやすい攻撃なのは勘弁してほしい。水は、しなやかにそれを柄の部分で受け流した。体は半分横に逸らして避けている。そこで一瞬動きを止めて、驚いたように桜音を見た。目が合うと、水が目力をこめたまま嬉しそうに笑った。
「良いですね、その感じでいきましょうか」
どうしよう、格好良い。
桜音の胸が高鳴った。それは、激しい動きのせいなのか、水に対する想いからなのか分からない。両方かもしれない。戦う水はこんなに格好良くて美しいのかと桜音は頭の隅で思った。こんなの、剣の天才と言われる源治が水に惚れ込んでしまうのも理解できる。
水は桜音に稽古を付けてくれているのに、こんな煩悩を秘めていることに罪悪感すら感じた。でもそれくらい、目の前で体を翻す水は輝いて見えた。
水はさらに踏み込んでくる。桜音は水の攻撃を受けることと、避けることに精一杯だった。それなのに、容赦なく近寄ってくる水。グッと距離を詰められて、水の顔が目の前にやってきた。
鋭い視線に射抜かれてしまう。全てを見透かされているようにも見えた。薄い茶色の瞳が、月明かりでキラリと光った。風に靡く長い茶髪も綺麗だ、などと思ってしまう。対人の練習なのだから、目は逸らしてはいけない。というより、こんな水を前に目を逸らせられなかった。
「桜音殿、集中」
水は桜音の心を読んでいるのだろうか。いつもより低い声で指摘をされ背中がゾクリとした。背筋に汗が流れ、思わず体が強張った。
次の瞬間に、水が目の前からフッと消えた。
「えっ……」
不安と恐怖に支配された。水が目の前にいない。右にも、左にもいない。気配もなかった。桜音は長刀を手に握りしめ、構えを忘れたまま、キョロキョロと周りを見渡した。桜音の呼吸が乱れていく。
「水さまっ……!どこに……!」
長刀を無防備に握った手はガクガクと震え出した。桜音は後ろを振り返った。でも、そこにもいなかった。そのあとすぐ、桜音の首に長刀の柄の部分が掛けられた。
「はっ……」
体が固まって動けなかった。水の気配が、背中に感じられた。そして、耳元に息が掛かった。
「はい、これでお仕舞いです」
水の少し戯けたような声に、そして吐息のような声に、安心して体の力が一気に抜けてしまった。先ほどの、戦闘中は格好良いという感想は、少し考え直さなければならない。
「わっ、桜音殿……」
桜音は、フラフラと倒れそうになったが、水は握っていた長刀を放り出し、グイッと腰に手を添えて桜音を支えた。
「ちょっ、ちょっと、大丈夫ですかっ!?」
水の焦った顔が見えた。やっと水も、額に一筋だけ汗をかいていた。桜音程ではないが、水の息が上がっているのも分かった。
「桜音殿!?」
水が心配して、グッと顔を近付けてきた。その瞬間に、一気に二人の顔が近付いた。鼻先が当たってしまいそうだった。桜音と水の視線がバチっとぶつかった。空気が一瞬止まったが、桜音は視線を逸らして言った。
「ま、参りました……」
本当に参った、色々と。戦闘中は、余計なことは絶対に考えてはいけないんだと理解した。桜音が大丈夫なのが分かると、水は安心したようだった。
「……もう少し手を抜いたほうが良かったかもしれませんね、申し訳ありません」
横目で見ると、また目があった。すると水は悪戯っぽく笑った。絶対この状態を楽しんでいる。こちらは必死なのに、水は相変わらず狡い。大丈夫じゃないフリをしてみようかな、なんてことを桜音は思った。だが、この体勢は恥ずかしくて、強いことは言えなかった。
「そろそろ手を離してくださいよ」
「え~、私が手を離したら、桜音殿転んじゃいますよ?」
桜音は「はあ」とため息をついて、自分を落ち着かせた。そして、水の首の後ろに腕を回して足に力を入れて起き上がった。
水は桜音の顔をジッと見つめたままだ。桜音も水を見つめ返した。少ししてから、水は桜音の腰から腕を離し、視線も下にそらした。桜音も首に添えた手を離した。水の首が少し熱く感じたのは秘密だ。
「やっぱり、水さまには勝てそうにありませんね」
「勝つつもりだったんですね、恐ろしい侍女です」
水はクスクス笑いだした。こちらもやり返しをしたくなってしまう。ギュッと拳を握ったが、この悔しい気持ちのやり場が今はどこにもない。今の自分では、口でも力でも勝てそうにない。
「次は絶対負けません」
「それは口ですか?長刀ですか?」
「……それも、ですけど……」
そう口にして水をジトっと睨めば、水は一度呼吸をして目を逸らしてしまった。水は手拭いを取りに縁側へ歩く。桜音はその背中を追った。




