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『なんでも言うことを聞く日〜美しき想ひ人〜』

 源治は、本丸の廊下を早足で歩いていた。茶々を呼び戻してこいと上に言われたのだ。なんだか静かだなと思いながら、通りすがりの侍女に茶々の居場所を知らないか聞いてみた。


「茶々様なら、今は甲斐姫様のお部屋でお茶会をされているようですよ。千姫様もご一緒だそです」


 千姫もいる、ということで、源治は少しばかり浮き足立った。


 ーーすいと会えるかもしれない。


 水とは元々、本丸警護隊として共に任務に当たったりした。互いに別の役目を与えられてからは、顔を合わせる回数が減っていった。今では、たまに自主稽古に誘い合っているだけしか話す機会がない。


 だからこそ、女たちが生活する方へやってくると、水に会えるのではないかという期待が膨らんだ。


 甲斐姫の部屋に近づくと、何やら歌声が聞こえる。とても艶やかな声だ。低すぎず、高すぎない心地の良い声ーー。


「‘人間五十年 化天のうちを比ぶれば 夢幻の如くなり’」


 幸若舞の「敦盛」という演目を、侍女の誰かが舞っているのか。突然の茶会というのに、随分と凝ってやるのだな、と思った。


 その歌声についつい聴き惚れてしまう。いかんいかん、自分は武家の嫡男で、水という想い人もいるというのにーー。ところが、どうしてもこの歌を紡ぐ人が、どんな顔をしているのが拝みたくなった。


「……失礼いたします」


 と、小さな声を掛けて源治は襖を開けてしまった。茶々を呼び戻さなければならないのだから、と自分に言い訳しながらーー。


 そこから見えた景色は、なんだか極楽浄土のようだった。大袈裟かもしれないが、それくらい美しい女性が「敦盛」を舞っている。鮮やかな青い着物を身につけ、黄色い帯を細い腰に巻いている。髪は光に反射して茶色に見え、肌はとても白い。こんなに美しい人が、侍女でいただろうか。それに、どこかで会ったことがあるようなーー。


 見惚れていると、いつの間にか舞は終わっていた。見惚れていたのは自分だけではなく、侍女の皆も同じだった。一番最初に源治の存在に気付いたのは、先ほどまで舞っていたその美しい侍女である。


「……源治様?」


 名を呼ばれてハッとした。そして一気に注目を集めてしまう。茶々が冷たく源治を非難した。


「なんじゃ、勝手に襖を開けるとは無礼であるぞ」

「も、申し訳ありません。淀殿を呼びに参りましたら、あまりにも綺麗な歌が聞こえたもので、うっかり……」


 正直に答えてしまった自分を殴りたい。ここには水はいないようだし、ギリギリ自分を許そうと思う。茶々は「なんだ、もう戻らんといけないのか」とボヤきながら立ち上がった。


「あい分かった。今から向かう」

「あっ、茶々さま、こちらの扇、ありがとうございました」


 部屋を出て行こうとする茶々に、美しい侍女は声を掛け、扇を手渡した。茶々の扇を借りるとは、随分と期待をされている大型新人なのだろうか。それとも、芸者として仕えている者なのだろうか。そういえば、顔立ちが水に似ている気さえする。


「……源治様、見惚れすぎです」

「えっ」


 横から桜音おとに突っ込まれる。桜音はジトリと源治を見てくる。何か悪いことをしてしまったのだろうか。やはり、声掛けをせずに襖を開けたことが不味かっただろうか。


「桜音様、申し訳ありませんでした」

「……声掛けなくて良いんですか」


 誰のことを言っているのか分からないが、源治は断りを入れた。あの美しい娘に見惚れたのは確かだが、別に取り入ろうなどとは思っていない。


「いいえ、私はもう本丸に戻りますよ。それより、水は今日、護衛ではないのですね。千姫様もいらっしゃるというのに」

「……はい?水さまなら、あちらに」


 桜音は、室内を指差す。その先は、青い着物を身につけた、先ほどの侍女がいた。目を凝らしても、その先には水はいない。目を顰めていると、桜音が少し怒ったように言ってきた。


「源治様、しっかりしてください。あれが、水さまです」

「……ええ!?」


 思わず大きな声を上げてしまった。それに反応して、水がこちらを見てきた。


 いやはや、驚いてしまった。美人だとは思ってはいたが、身につけるものを変えるだけで、女性はこんなにも変わるものなのか。水はなんだか、いつもより冷めた表情で甲斐姫の相手をしている。


「挨拶されなくて良いんですか」

「……いいや、なんだか水の機嫌が悪そうだし、今日はやめておきます。では、失礼します」


 源治は桜音に頭を下げて、茶々一行の後ろを追いかけた。

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