完結『水とドタバタ看病と長ネギ』
桜音の部屋に行けば、起き上がって縫い物をしていた。顔色は随分良い。顔の火照りもなくなって、唇の色もいつもの桜色に戻りつつあるようだ。水はホッとして、桜音の枕元に腰を下ろした。
「大丈夫ですか?」
「はい。もうすっかり。なんだかお腹が空いてきて……それ、お粥ですか?」
「えっ」
桜音にお粥を指差され、水はギクリと肩を上げた。隠すつもりはないが、ここまで歩いてくる途中で、だんだんと味の自信がなくなってしまった。
正直、調理など食べることができればいいと思って生きてきた。まさか、誰かのためにお粥を作ろうと思う日が来るなんて。せっかく桜音に食べてもらうのに、「かろうじてお粥の味がするもの」を差し出すのが気が引けた。
「……もしかして、水さまが作ったんですか?」
「あ……まあ……はい……。……でも、うまく作れなくて……」
こんなことなら、お千代に一言伝えて、作って貰えれば良かった。そのほうが時間も短縮できたし、お千代の手間も省けたし、桜音のお腹を満たすことも出来たのに。
「くれないんですか?」
桜音は、縫い物を横に置いて水に笑い掛ける。
「……多分、口に合わないと思います」
「なんでです?」
「お千代殿に……お粥の味はすると言われました」
桜音に笑われるかと思ったが、そんなことはなかった。優しく微笑んで水を見てくれる。
「水さまが私に作ってくれたんでしょう?頂きます」
そう言ってくれるので、水は仕方なくお盆ごと桜音に手渡した。
桜音の手は、もう震えていなかった。本当に良くなったのだろうか。無理はしていないだろうかーー。
桜音はお粥を掬い、口へ入れた。そして、飲み込むーー。
「あの、無理しないでください……不味ければ、お千代殿に言って新しいものをーー」
「美味しいですよ」
「……」
桜音は笑ってそう言ってくれる。そして、またもう一口、掬って飲み込んだ。
「……本当ですか……?」
「はい。水さまが……作ったんですから。美味しいに決まってます」
嘘ではなさそうだ。
「……はあ〜……良かった……」
体の力が一気に抜けた。水のそんな様子を見て、桜音は「ふふっ」と笑っている。これでは、どちらが面倒を見てもらっているのかが分からない。
桜音は、手を止めることなくお粥を平らげた。
水がここまで緊張するなんて、この長ネギのお粥が出来上がるまで、いったいどんなことがあったのだろう。明日、お千代に尋ねてみよう。
お粥を食べ終えると、水は調子を戻したのか、饒舌になった。
「桜音殿、薬飲みますか?」
「いえ、大丈夫だと思います」
「じゃあ、水飲んでください」
「はい、頂きます」
「寒くないですか?毛布は足さなくて大丈夫ですか?」
あ、これは最初の感じに戻るな、と桜音は思った。
「今あるもので大丈夫ですよ。水さまも、今日はお休みください。疲れたでしょう?」
「いいえ、桜音殿の看病に疲れなど感じるわけありません」
水は、普段凛々しくて格好いい、そして頼りにもなる。容姿も良いから、皆が夢見がちだ。だが、目の前の水はどこか、子供というより、主人に懐いている犬のように見えてきた。
「ふふっ……」
「どうされました?」
「いえ……。……でも、本当に、休んでください、じゃないと、また水さまが体調を崩してしまいますよ」
「……崩しません」
梅雨の時期、水が体調を崩してしまい、ひどく寝込んでしまった。その時、桜音は付きっきりで看病した。おそらく水は、同じようにしたいのだろう。
「……じゃあ……私が寝るまで、ここにいて下さいね」
「もちろんです」
水はキリッと頷いてくれる。
桜音が横になると、水は毛布をかけてくれる。また手拭いを額に乗せようとしてきたので、今回は断りを入れた。「本当にいらないんですか?」と3回も聞いてきた。笑いながら断ると、水は納得したようだった。
そして、桜音が何も言わずとも、水は桜音の手を握ってくれた。それが嬉しくて、桜音は笑みを浮かべたまま目を閉じた。その傍で水の声が聞こえた。
「おやすみなさい、桜音殿」
翌朝、目覚めると、気分はとても良かった。体も軽いし、火照りもない。ただーー。
「遅刻かも……!」
周りの侍女たちの部屋は静まり返っている。そしてもう朝日がしっかり差し込んでいた。水汲みどころか、他の仕事まで手をつけない。さすがに皆に迷惑をかけてしまう……!
「……へ?」
厨房に走れば、お千代の横に水が並んでいた。そして、何やらお千代にガミガミ怒られている。
「水様、包丁の扱いは完璧なのに、なんでその先は駄目なんですか」
「駄目と思ったことがないんです」
「今まで言われたことないんですか?」
「ありましたけど、冗談だと思っていました」
水が怒られているのを、周りの侍女たちは困惑したように見ている。桜音が一歩踏み出すと、水が一番に気づいた。
「桜音殿!まだ寝てないといけないんじゃないですか!?」
「いえ、もう大丈夫なので……ところで、なんで水さまがここに……」
困った桜音に、稲がコソッと横にやってきた。
「桜音ちゃんのこと、今日も休ませるつもりだったみたい。代わりに水さまが来たんだけど、包丁と洗い物以外が壊滅的で……」
「……なるほど」
桜音は水とお千代に近付いた。
「桜音殿、駄目です、まだ唇の色が戻ってません」
「桜音ちゃん、大丈夫?水様に変なことされてない?」
「変なこととはなんですか」
「ネギ吸わせる人なんか、そうそういるわけないでしょ」
この二人、意外といい組み合わせなんじゃないだろうか、と桜音は思った。
「水さま、昨日は一日本当にありがとうございました。おかげで助かりました。お千代ちゃんも、ありがとうね」
「ううん、元気になって良かったよ」
「さ、水さま、私が代わりますから、千姫さまのところへ向かって下さい」
桜音は水の手を引っ張って、厨房の出入り口へ誘導する。水は大人しく従って付いてきた。
「本当に大丈夫なんですか?」
「はい、昨日、しっかり看病してもらいましたから」
「食事なら、私が運びます」
もしかしたら、今日も一日これかもしれない。
「水様、桜音ちゃんの仕事が進まないから早く出てって下さい」
お千代が追撃の一言を言い放つ。水はムスッとすると、桜音に目線を落として優しい顔付きになった。
「何かあったら言ってください」
「分かりました。では、またあとで」
「はい」
桜音は、水が千姫の部屋に向かうのを見送った。水は2回、桜音を振り返ってくれた。
「桜音殿、喉乾きましたよね?水飲んでください」
「なんでそんな重いものを持っているんですか、貸してください」
「栄養付けないといけません、長ネギをーー」
その日、あまりにも水が桜音に絡み続けるので、千姫から注意が入った。
「水、いい加減にしなさい。それ以上しつこいようなら、長ネギの件、お義母さまに言いますよ」
千姫がそう言うと、水は大人しくなった。それからしばらく数日間、水は千姫とお千代に長ネギのことで揶揄われ続けるのだった。




