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『1624年某日を迎えるまで~桜の音を訪ねる勇気~』


 姫路城の城下町。春を迎えたここは、桜が咲き誇り、春祭りが始まったようだ。


 水は、イスパニアからともにやってきた仕事仲間とともに、姫路城城下町を巡っていた。日本の街に異国人が集団で歩いているのは目立つが、この仲間たちはそんなことを気にしてはいない。水は、呉服屋に案内し、通訳に専念していた。


「それにしてもお姉さん、日本語上手なんだね」

「ありがとうございます」


 呉服屋の女将が水を褒めてきた。仲間達は日本の反物に目を奪われるなか、水は懐かしい着物独特の香りに胸がいっぱいになった。やはり、自分は日本人なのだ。どれだけ見た目が異国人と思われても、生まれ育ったこの国の文化が好きだ。


 9年前のあの日、水は大坂城から去った。そして、西洋行きの船に転がり込んだ。日本にこうして訪れるのは、実は3回目である。でも、関西に来たのはあの戦い以来だった。


 これが徳川の世か、と水は思った。あの月日よりも平和で、街の賑わいもある。


 日本は、西洋との外交は続けてはいたが、雲行きが怪しい。近いうちに、貿易は途切れるだろう。だから、こうして水が通訳として日本に訪れることはこれが最後になるに違いない。そう思って、水は仕事仲間に我儘を言い、関西地方に船を着けたいと言った。


 それをこうして皆が快く受け入れてくれたのは、9年間の努力の積み重ねのおかげだった。


 日本を思わない日、そんな日はない。毎日思った。夢にも見た。そして、何度も泣いた。日本に戻りたいと強く願った事もあった。それでも、水はイスパニアの南の田舎に身を落ち着かせ、友人もでき、居場所を手に入れた。だからこうして、穏やかな気持ちで日本に来ることができている。異国人と言われようが、気にしない。


 もう日本には来ない。それなら、最後に顔を見ておきたい人がいた。


 反物を購入し、ひと段落した一行は店を出た。一度宿に戻るため、水はその一行の中心になる。賑わう街を歩いていると、団子屋が目に入った。


 鶴牙師匠が言っていた店は、あれかーー。


 店頭をちらりと見れば、想い人と同じ顔をした昔馴染みがいた。どうやらこちらには気付いていない。水はまあ良いかと思いながら、一行と宿を目指した。



 翌日、水は皆と別行動だった。皆には先に江戸に向かってもらう。水は、自分のけじめのために、もう一度城下町へ出た。


 おとといは、京の北の方へ出向いた。鶴牙師匠に会うためだった。今生の別れを告げると、彼女の居場所を探し当ててくれた。


 今日は、その彼女へ会いに行く。今生の別れの挨拶のために。


 まだ朝だからか、人は少ない。だが、店はどこも開いている。一人なので、日本式の着物を身にまとい、笠を被れば、そこまで目立つことはなかった。


 9年ぶりだ。顔を合わせれば、どんな顔をするだろう。喜んでくれるだろうか、それとも驚くだけだろうか。いいや、呆れるかもしれない。水は城下町の角を曲がった。


 団子屋の前で、昨日お世話になった呉服屋の女将がいた。なんだ、うまくやっているのだな、と感心する。素はぶっきらぼうでも、まだ忍び稼業から足を洗っていないようだから、愛想はちゃんとしているようだ。


 女将が去ったので、水は声を掛けた。


「へえ、すっかり団子屋の売り子だな」


 売り子はゆっくりと振り返る。あ、声で気付いたか。


 笠を上にずらして顔を合わせた。水は思わず笑みが溢れる。


「水……」

「久しぶり」


 葉名は凄く驚いていた。怒らないのは、大人になった証拠だろうか。葉名は雷に打たれたように表情が固まっていた。


 あの日の戦いには、「大坂夏の陣」という戦名が付いたらしい。でも、自分たちの関係には何の名前もない。忘れたつもりはなかった。だが、水は体が熱くなるのを感じた。まだあの時の熱は覚めていなかったようだ。


 葉名は、驚きのあまり声を出さない。少し揶揄ってやろう。


「忘れてしまったか」


 そう言えば、少し間を置いて、ぶっきらぼうに答える。


「あんた、ここで何してるの?」


 葉名らしい。自分たちの関係は、幼いころから変わらないのだ。


「貿易関係での訪日だ。今は通訳をしていてね。おとといに師匠のところへ顔を出した。そのつてを頼って、探したんだよ」


 そのあと、葉名は水を店内に入れてくれ、お茶と団子を用意した。


 気まずさがないわけではない。あの日、水を逃がしてくれたのは葉名だ。


「イスパニアに行ったって本当だったのかい」

「知ってたのか」

「人伝てで聞いた」


 いったい、誰に聞いたのだろう。手配をしてくれたのは片桐且元で、知らせをしてくれたのが源治。つまり、徳川の親切な誰かが、葉名に知らせてくれたのだろうか。


「異国って、どんな感じ」

「そうだなあ。イスパニアも正直なところ、戦国のようなものかもな」

「ふうん」


 性質は違うが、西洋も戦国時代を迎えていた。ただ、水が住む村は巻き込まれる事もなく、平和に暮らすことができていた。


 話すことがなかなか見つからなかった。別れの挨拶をするつもりだが、葉名も隣に腰をおろしてくれている。9年前では想像もつかないこの状況に、時の流れを感じた。


 店の娘がパタパタ走っている。団子を包んだらしい風呂敷を持って、こちらへやってきた。


 風呂敷には、三つ葉葵の紋が記されていた。確か、今の姫路城城主である、本多家の家紋だった気がする。


 鶴牙師匠と話し、千姫は本多家に嫁いだと知った。あのような形で豊臣家が滅びたが、皆、それぞれの形で前に進んでいるのだなとしみじみ思った。自分と同じように。


「葉名さん、桜音さんが来られていますよ」


 その言葉を聞いて、水は頭が真っ白になった。心臓が、バクバクと音を立てる。


 この娘、今「桜音」と言ったのか。

 桜音が、その風呂敷を持ってきたのか。

 まさか、まだ千姫のところに仕えているのか、それとも、家臣の家に嫁いだのかーー。


「あの方、葉名さんに会いに来られていると思います。なんだか今日は、葉名さんのお友達がたくさんいらっしゃってーー」


 水は体が勝手に動いた。


 怖かった。

 もしかしたら、桜音は誰かの元に嫁いでいるかもしれない。子供を儲け、自分のことなど忘れて、幸せに暮らしているかもしれない。桜音の幸せを願ったのは本当だ。それでも、桜音が誰かと共にする姿を見るのが怖かった。自分には、耐えられない。


 店内から店頭まではすぐそこの距離なのに、たくさんの想いが押し寄せた。

 桜音を忘れた日はない。想わない日はない。

 初めて見た日、話した日、一緒に城下町へ降りた日、ともに過ごした日々、そして、あの日ーー。


 会いたかった。記憶の中の桜音はとても眩しく笑っていた。

 だからこそ、もう一度会うのが怖い。


 水は店頭に飛び出した。

 そこには、葉名と同じ顔、けれど、全く違う。

 

「……水、さま」

「桜音殿」


 言葉が見つからない。最後に会ったのは、9年前のあの日だった。


 もう二度と、会うことはないと思っていた。

 私の唯一無二の人ーー。

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