『ファースト・インパクト』
「え、桜音ちゃん、水様のこと知らないの!?」
厨房で、侍女たちが盛り上がっている中、桜音はその話題についていけずにいた。茶々付きの侍女が千姫の侍女たちに自慢げに話をしているが、お千代がその話に興味津々だった。だから何の話をしているのかその輪に入ってみた。
今度、茶々に新しい護衛が付くらしいのだが、それが女性なのだという。名前は‘水’という、女にしては珍しい忍びだそうだ。「そうなんだ」と言葉を返せば、冒頭のセリフを皆に言われたというわけである。
「水様って本当に格好いいんだよ。殿方たちよりも強いらしいし」
「そうよ!女性の割に身長も高くて、お顔なんて本当に美形なんだから」
「私、一度荷物運びを手伝ってもらったことあるわよ」
「羨ましい~。お近づきになりたい~」
要約すると、女性なのに男性のように格好良いということなのだろうか。お千代はあまり色恋に興味がないと思っていたので、桜音は少し驚いた。
「お千代ちゃん、その水様ってそんなに格好良いの?」
「桜音ちゃん、今日時間がある時にその水様、見に行かない?」
「見に行くって……だめだよ、お仕事しなきゃ」
千姫の部屋へ食事を運び、お千代と共に座する。お千代がソワソワしているのに気付いた千姫が声を掛けた。
「お千代、何か言いたげですね。どうしました?」
「千姫さま、今度茶々様の護衛になるという水様をご存知ですか?」
少しくらい、その話題は我慢すればいいのに、と桜音は思った。ところが、思いの外、千姫は楽しそうな顔つきになった。
「ええ、知っていますよ」
「お会いしたことはありますか?」
「ええ。先日、お義母さまと話しているときに挨拶に来ましたよ。とっても綺麗な人ね、皆が好きになってしまうのも分かるわ」
千姫が、年頃の娘のようなことを言うので驚いた。そんなに魅力的な人物なのだろうか。
「お義母さまの護衛になったら、見かけるようになるかもしれませんね」
水が茶々の護衛に就くと、厨房では毎日のように水の話がでた。桜音は、まだ水の姿を見たことがなかった。
「昨日も素敵だったわぁ。私、水様なら女でも良いかも」
「狡いわ、先に私が水様を見つけたのよ!」
「水様って普段どんな人?」
その輪の中に、お千代もいるわけである。桜音は自分の作業に努めているが、耳だけ皆の会話に傾けた。
「とても冷静な人ね。それに、茶々様が言う前に動くって感じ。襖を開ける時もそうだし、荷物を持つ時とか、立ち回りとか。とにかく、見た目も中身も完璧」
「しかも冷たい人なのかと思ったら、すごく優しいのよ」
「忍びって聞いたから、もっと怖い感じなのかと思ったものね」
まるで憧れの男性への言葉を、その水という女の忍びに向けているのが、桜音にはとても違和感を感じた。皆がここまで言うのであれば、一度見てみたいものだ。
その日の午後、桜音は茶菓子を用意して千姫の部屋に戻るところだった。少し先に、移動する茶々が通った。これから秀頼のところに行くのかもしれない。茶々に近い侍女数人と、一番後ろに、見慣れない人物が付いていた。
明るい茶髪に、特徴的な白い肌。女にしては高い身長、高い鼻、無駄な動きのない佇まい。聞かなくても分かった。あれが、水だ。
桜音の時間が、一瞬止まった。水が歩くその姿だけが、ゆっくりと動いているようにも見えた。見惚れるというのは、きっとこういうことを言うのだろう。なぜだか、その姿から目を逸らせなかった。
茶々の一行と一人の侍女がすれ違う。茶々たちにお辞儀をするが、一番最後にいた水の存在に驚いた侍女は、手に持っていた物を落としてしまった。どうやら水に見惚れている。水は落ちた荷物を即座に拾うと、その侍女の手に戻してやった。大丈夫ですか、などと話しているのか、その横顔は微笑みを浮かべていた。侍女は水の顔をボウッと見ていた。水はすぐに茶々の列に戻って歩き出した。
なんて素敵な人なのだろうと思った。あれが、水。女の身でありながら忍びで、強く、優しい、魅力的な人。
それからと言うもの、どこかに水の姿がないかと桜音は探すようになった。遠くからでも見つけたときは心が踊った。一度、男性と庭で手合わせをしてるのも見た。木刀を振るう水の身のこなしが流麗で、キラキラと輝いているように見えた。侍女の皆も、お千代も水を噂する意味が分かった気がした。
水の存在を知ってから、桜音の生活にもどこか彩ができた気がする。話せなくても、自分のことを知られなくても、それだけで桜音は仕事を頑張ろうと思えた。
そんなある日、桜音はお千代と共に廊下を歩いていた時だった。向かい側から、茶々とその上級の侍女、それから水が歩いて来るのが見えた。
正面からの水を見るのは初めてだった。それに、水とすれ違うのも初めてだ。桜音の胸はドキドキと高鳴り出した。
「桜音ちゃんっ、水様だよっ」
「分かってるよっ」
お千代と桜音はお互いに肘で小突きあって冷静を装って歩く。茶々が近付いてきたので、軽くお辞儀をしてから通り過ぎた。
桜音はチラリと水の顔を見た。
水は目を伏せていた。やっぱりとても綺麗な顔立ちだった。鼻は高く、真っ白い肌。髪は茶色で太陽の光に反射してキラキラ光っている。思ったよりも顔は小さく、体の線も細い。皆が黄色い声を上げてはいるが、男性的といは言えない。中性的ではあるが、女性としても美しいと思った。
水が視線を上げる。桜音は目が合うのが恥ずかしかったので、水から視線を逸らした。
水が自分を見るはずないけど、と思いながら。
水は、すれ違った黒髪の娘を見た。
水の時間が、一瞬止まった。その娘が歩く姿だけが、ゆっくりと動いているようにも見えた。
濃い黒い髪、丸い大きな目、小ぶりな口、そして平均的な身長。見間違えたのだろうか。
視線を感じたので伏せた目を上げて見てみれば、知っている顔がそこにはあった。水が視線を向けても、彼女は知らないフリをしてそのまま通り過ぎていく。水は思わず立ち止まって肩越しに見た。
あれは、葉名ではないのだろうか。本当によく似ている。でも、雰囲気が違う。
「水、どうしたのです」
立ち止まった水に気付いた[[rb:二位局 > にいのつぼね]]が、水を呼んだ。その声に水は我に返った。
「いいえ、なんでもございません」
「早く来なさい」
「はい、申し訳ございません」
水は速足で茶々たちを追いかける。もう一度だけ、振り返って肩越しに見た。だが、葉名とよく似たその娘は振り返ってくれなかった。
その1年半後の桜が舞う季節、水は千姫の護衛になった。千姫の侍女の中には、あの娘がいる。水は、その真偽を知りたかった。
千姫の護衛となる初日、千姫に近い侍女たちと挨拶を交わす。千姫は、丁寧に侍女一人ずつ名を上げて水に紹介した。
「こちらが、桜音です。桜音は下級武士の家庭のひとり娘で、侍女の中でもしっかり者です。困ったことがあれば、桜音を頼って」
「……承知しました」
水は桜音に視線を合わせて、その瞳をしっかりと見た。
その顔の造りは、葉名そのものだ。水は手を床に付き、桜音に語り掛けた。桜音という名の娘は、水から視線は外さない。
ここで見極めたい。
そして、もう一度、あの日のお礼を言いたかった。
「水と申します。至らぬ点が多々あるかと思いますが、ご指導いただきますよう、どうぞよろしくお願い申し上げます」
頭を上げてもう一度桜音の顔を見た。
「は……はい、桜音です。よろしくお願いします」
そう返答した桜音の頬は赤く染まっていた。
葉名は、こんな顔はしない。
まさか、この娘はあの女の双子の姉なのだろうかーーー。




