『私しかいないでしょう?〜看病、弱さを見た日〜』
水が崩れ落ちた。桜音は駆け出した。
水は壁に寄りかかるように倒れたまま、動かなかない。顔色が悪く、苦しそうに呼吸をしていた。桜音は水の額と首の後ろに手を当てた。
ーーとても熱い。
桜音は、渾身の力を振り絞って、水を自分の部屋に運びこんだ。
呼吸が苦しいーー頭が痛いーー声が出ないーー。前にもこんなことがあった気がする。そのときは、どうしたっけーー。
ああ、そうだ。母が寝ずに看病してくれていた気がする。それから、鶴牙師匠と葉名。リクが薬を煎じてくれたものが、とても苦かったーー。
額が冷たい。遠くから雨の音がする。だけど、なんだか包まれている気がするーー。
「……う……」
水は目を覚ました。いつもと違う天井が見える。ここはどこだろう。頭がガンガンして、何も思い出せない。体は熱いのに、なんだか寒い。目線だけ泳がしてみれば、口元すれすれまで毛布が掛けられていた。この季節に、毛布……?
その時、襖がゆっくりと開く音がした。自分の部屋と、音が違うーー。
「水さま?」
心地の良い声。葉名の声に似ているのに、とても柔らかい。ああ、そうだ、ここは大坂城か。じゃあ、今ここにいるのはーー。
「……桜音……殿、ですか……」
声が出ない。掠れて息しか出なかった。桜音はすぐそばに寄ってきてくれた。
「水さま、今日は休んでください。千姫さまにもそう伝えておりますから」
桜音の顔を見たくて、水は首を動かした。それだけでも頭に響く。
「……え……?」
「昨夜、水さまったら倒れたんですよ。……私の部屋のすぐ前だったから、良かったです」
ということは、ここは桜音の部屋か。もう朝だというのか。
「……どこで……」
「ん?」
「どこで……寝たの……?」
なんとか声を絞りだす。桜音の顔がやっと見えた。
「私の心配はいいんです。私は今日、水さまの看病に当たるように言われましたから、何かあったらすぐ言ってくださいよ」
そう言われても、何も思いつかない。何も言わないでいると、桜音が手を伸ばしてきた。何をされるのかと目を瞑れば、瞬間に額が軽くなった。……額が冷たかったのは、このせいだったのかーー。
ちゃぷちゃぷと優しい水の音が聞こえる。桜音が、手拭いを桶の水に浸していた。小さな雨と一緒に入り混んでくる柔らかい音色が、水を落ち着かせた。桜音は手拭いを絞ると、毛布を少しだけめくって、水の顔と首の汗を拭った。
「頭痛や、腹痛はありますか?」
「……頭……」
「関節は?」
「痛い……かも……」
桜音は優しく微笑んで、また手拭いを絞り直す。そのあと、そっと額にそれを置いてくれて、毛布を掛け直してくれた。
「分かりました。薬、持ってきますからね」
桜音はパタパタとその場を片付けると、「寝てくださいね」と言って部屋を出て行った。雨の音を聞きながら、水はまた眠りに落ちた。
そっと襖を閉めて、桜音は息をつく。そして、先ほどの水の一連の様子を思い返した。
理不尽だけど、水さま、破壊力が凄すぎるーー。
心底、水が倒れてのが自分の部屋のすぐ前で良かった。それに、さっきの水の様子。意識が朦朧としているのか、されるがままだった。こんな姿、こういう時じゃないと見られないーー。
いけない、こんな邪な思いで看病するわけにはいかない。桜音は駆け足で薬を取りにいった。
もう一度部屋に戻ると、水はまた寝ていた。先ほどと変わらず呼吸が荒い。綺麗な顔が顰められている。起こしてあげたほうがいいのだろうか。
「う……」
「水さま、水さま」
息が苦しそうだったので、見ていられず、桜音は水を呼びかけた。毛布の上から、肩あたりをポンポンと叩いてみる。
「はっ……」
「きゃっ……」
「……あ……」
ガバッっと、突然水が起き上がった。驚いて、桜音は少し身を引いてしまった。もしかして、突然触れたから、反応してしまったのだろうか。熱に侵されているのに、こんな時まで気を張っているのだろうか。
「……申し訳…ございません……」
水が、顔を赤くして、掠れて声のまま言う。こんなときくらい、身も心も休めてほしい。
「いいえ、驚かしてしまいましたね。薬飲めますか?」
「……」
水は反応を見せず、ボーッと桜音を見ている。
「水さま?」
「……あ……はい……」
本当に大丈夫なのだろうか。薬を手渡そうとしたが、水の手は震えている。薬を受け取ると、ゆっくりと薬を水で飲み込む。そして咳込んでしまった。
「けほっ……けほっ」
「大丈夫ですか、辛いですね」
桜音は水の背中をさすった。咳が落ち着くと、水は桜音を見た。
「……私は大丈夫なので……部屋に……戻ります……桜音殿も……」
「何を言っているんですか。薬を飲み込んで咳き込む人は、大丈夫ではありません」
そう言えば、水はフイッと反対側を向いてしまった。
「一人のほうがよければ外しますけれど、水さま、無理するでしょう」
「……しません……けほっ」
「どうでしょうか」
水は黙ってしまった。早く横になってほしい。薬が効いてきたら、少しは楽になるはず。もう一度寝てもらって、その間に何か食べる物を用意しようと桜音が思っていると、水がまた何か言い出した。
「……まう……」
「え?」
「……移してしまう、から……それに」
「それに?」
「……私のほうが……」
そこまで言ってまた黙り込んでしまった。なんだろう、「私のほうが強い」などと言い出すのだろうか。
「水さま、取り敢えず、もう一度横にーー」
「私のほうが……身分が下なのに……いけません……」
ーーどうしてそんなことを言うの?
桜音の胸が、ギュウッと締め付けられた。まだ、気にしてたのかーー。自分たちは想い合っているのだから、こんなときくらい、気にしないで欲しい。
「……こんな姿……ごめんなさい……」
ああ、そうか。自分が情けないと思っているのか。
熱のせいか、水の瞳は潤んでいた。こちらも泣きそうになってきた。
桜音は、首をブンブンと横に振った。今日は自分が世話をすると決めたのだから、しっかりしなくては。
桜音は、水の両手を取った。
「水さま、こういうときは、私を頼ってください。他の誰があなたの世話を焼くんです?私しかいないでしょう?」
水は間を置いてから下唇を噛んだ。すると、トン、と桜音の肩に頭を乗せてきた。その様子は、まるで子供みたいだった。
「はい……」
軽く背中をトントンとしてやる。水は大人しく布団に潜り込んだ。桜音は、水に毛布をかけた。水はトロンとした瞳で見上げてくる。
「……薬……苦かった……」
「良薬は口に苦しですよ」
「……ここに……いる……?」
眠いのか、ウトウトしながら問いかけてくる。
「水さまが眠るまで、ここにいますよ」
水はようやく、落ち着いた呼吸で目を閉じた。




