第7話
ややあって、私は大きめの岩礁に放り出される。うっかり口に入れてしまった海水の塩辛さに咳き込んでいると、頭の上でいくつかの女性の声が聞こえてきた。
「あらー? アデリンいないと思ったらなぁにこの人間さん?」
「ちょっとちょっと、何で人間なんて連れて来てるのさ!?」
「あーあ。アデリンお姉ってば、昼間は海岸に近付かないって話したのにー」
高さや喋り方は違うが、似通った声質。呼び方から察するに、私を攫った女性含め、姉妹なのかもしれない。
顔に滴る水を手で拭い、ついでに顔にかかる前髪と脇の髪を全部後ろに撫でつける。それからその場に座り直すと、私が座っている場所より一段・二段高い岩の上に3人の人魚がそれぞれ腰かけているのが視界に入った。
ひとりは頬に手を当てている、緩やかなウェーブがかかったベリーロングの髪の女性。ひとりは目をぱちくりさせて驚きを隠せないでいるベリーショートの女性。ひとりは呆れた顔をしているショートカットの女性。皆金の髪と青い目、そして、ノーマさんを彷彿とさせる美貌を持っている。
「そんな場合じゃないってば! ジョディ姉さま、ベッキー姉さま、スージー、こいつよ! この人間がノーマを誑かした人間よ!」
私の後ろから岩礁に上がってきたミディアムヘアの女性はびしっと指を私に突きつけてきた。会話から察するに彼女がアデリンで、ショートカットの女性がスージーなのだろう。
人魚姉妹はアデリンの言葉にそれぞれ驚きを浮かべる。
「え……いや、女の子でしょその子。ジョディ姉さんより小さいけど私らよりよっぽど胸あるじゃん」
言いながらベリーショートの女性――消去法でベッキー――は隣に座る姉・ジョディのたわわな胸を鷲掴み、自分の平らな胸に掌を当てた。
判断基準はそこだけなのかと少々悲しくなるが、今はそれよりも、先ほどからアデリンが名前を出しているノーマさんの方が気になっている。
声を無くした美女。人魚の姉妹。これはまるで、人魚たちの歴史に名を残す泡と消えた末姫のような――。
「でもこいつノーマのこと知ってたのよ!? 私のことも片腕で引き揚げたし、『赤い髪の強い人』ってこいつでしょ!」
アデリンは何度も私のことを指差してくる。赤い髪の強い人って何だ。そんなのいっぱいいるじゃないか。……あれ、そういえば、さっき話聞いた人も赤い髪だ。
「……もしかして、赤い髪の人こんな風に何度も誘拐してる?」
じぃっとアデリンを見据え問うと、「だったら何よ」と睨み返された。
「夜に聞こえてくる『復讐の女』歌ってるのもあなたたち?」
「だからっ、それが何よ!」
アルトとは違う種類だが、やはり高い声で怒鳴られると耳が痛い。物理的な意味のみならず少々頭痛を覚え、私はこめかみに指先を当てる。
どうやら犯人が分かったようだ。夜に聞こえる呪いの歌も、水浸しで気絶している人々の原因も、彼女たちらしい。
「何でそんなことを」
話にならないのでアデリンではなく上の方に座ったままの3人を見上げた。真っ先に答えてくれたのは目をぱちくりさせたスージーだ。
「おー、こんな海のど真ん中で人魚4人に囲まれてるのに物怖じもしないとか凄い人間だねぇ。殺されちゃうかもとか考えないの? 人魚の人間嫌いは有名だと思ってたけど」
……訂正。答えた、というより、反応した、だこれは。親しげに物騒な質問に、私は軽く肩を竦める。
「怖いって言えば怖いけど、会話が成り立つならまずそっちが優先でしょ。相手が人魚だろうが何だろうが。お姉さんたちは会話してくれるつもりはある?」
問い直せば、スージーは「あるある~」と軽く返し、私の後ろにいるままのアデリンに名前を怒鳴られた。慣れているのかスージーは両耳を指で塞ぐ。
「あらあら~、本当にノーマが言っていた人間ってあなたなのかもしれないわねぇ。私はジョディ、この子がベッキー、あなたを連れてきた子がアデリンで、今喋っていたのがスージーよ。あなたのお名前は何かしらぁ?」
間延びした喋り方でジョディは改めて自己紹介をしてくれた。どうやら名前と人物は私の予測通りで合っているらしい。私はまた濡れた髪から垂れてきた水滴を掌で拭って自己紹介を返す。
「私はエレン・ダルトリー。そこの町で素材回収屋をしてるハーフドワーフ。それで、赤髪の人を襲ってる理由は?」
もっと訊きたいことはもちろんある。これだけ情報が集まれば最早確信に変わっているのだが、それでも直接はっきりと答えを聞きたいと思ってしまうのは仕方のないことだろう。
けれど、とりあえずはこの話を片付けるべきだと思った。私のやるべきことではないだろうが、乗りかかった船だ。襲っている理由を明らかにして、必要なら自警団に報告しなくては。
そんな義務感を抱いていると、ベッキーが「実は」と話し始める。
「うちの末の妹さ、昔から外の世界に憧れてたんだけど、半年前にそれが爆発しちゃったんだよね。海の魔女に薬を貰って、人間に姿を変えて海出てっちゃったの。すぐに帰ってくるだろうと思って見守ってたんだけど、『好きな人が出来たから帰んない』って言いだしてさ。もう4ヶ月以上毎日やり取りしてるのに顔も見せやしないんだから。あ、あなたがさっき言ってた歌がやり取りの手段ね。流石に普通に会話できる距離までは近付けないしさ。そこの暴走妹その2はだいぶ近付いている上に誘拐までしてるけど」
困った子たちだ、とベッキーはため息をついた。いつもの私なら(末っ子の件は)同情していただろう。陸で探すの手伝おうか、とでも言っていたかもしれない。
けれど今はそれどころではない。私の予想が正しいとして、その妹というのが"彼女"だったとして。
――海に帰りたくないくらい好きな人って誰?
私の脳裏には食堂に入り浸る男たちの姿が浮かんでは消えていく。あいつか? いやあいつか? それともあいつか? 候補を上げては否定を繰り返していると、頬に手を当てたジョディは眉を八の字にする。
「本当に困ったわぁ。今の海の魔女の薬は、人間になるだけなら副作用はないんだけど、恋をしてしまうと、それが叶わなかった時に泡になってしまうのよぉ」
耳に入って来た言葉が、私の思考を奪っていった。
かつての歴史。陸の人間からすればただのおとぎ話になりつつあるそれが、今なお人魚たちの間には残っている事実。そして、その瀬戸際に、"彼女"が置かれているという現実。どくんどくんと騒ぐ心臓がうるさい。
「……妹、さんも……?」
掠れる声で確認すると、スージーは「そうなんだよねぇぇぇ」と両手を頭に当てて空を仰いだ。びちびちと揺れる魚の尾の騒がしさが、彼女がもどかしい現状に耐えていることを教えてくれる。私は苦い思いで俯いた。
恋が叶わなければ泡になるというが、きっとそうはならない。だって"彼女"だ。"彼女"を振るような男なんていないだろう。きっと"彼女"は恋を叶えて生き残り、ずっと幸せになる。それはとても喜ばしい。
そう考える一方で私の心がどんどん暗くなっているのは、とても自分勝手で、とてもおこがましい思いから。
"彼女"が泡にならないということはつまり、私は、"彼女"への想いを諦めなくてはいけない。もちろん叶うなんて思っていないし、絶対応えて欲しいとも思わない。元々間違いのように始まった恋だ。破れればその内に消えていくだろう。
ただ、今、辛いだけ。
俯いていると、不意にまとめている髪を掴まれ後ろざまに引き倒された。ごつごつとした岩礁に背中からぶつかり軽い痛みが走る。私だからその程度だったけど、ドワーフの固い肌と筋肉がなければ怪我をしていたかもしれない強さだ。
犯人はすぐに分かった。高い場所に座ったままの人魚たちが彼女の名前を――アデリンの名前を咎めるように叫んだから。




