第3話
ノーマさんが連れて来てくれたのは、私が普段絶対寄り付かないような素敵なバーだった。
しっとりとしたピアノの演奏が室内で流れる中、私たちは海に面したバルコニーの席に座っている。他のお客さんたちは距離が離れていて、お互いの会話は聞こえない。
だから私は、月明かりとそれを反射してきらきら光る夜の海というロマンチックな光景の中、延々と愚痴を垂れ続けていた。
「ほんっと失礼しちゃうよ。あいつのためにしてた私の努力なんだったのさ」
ぐいっ、とワイングラスを垂直に傾け薄い黄色のお酒を飲みほす。酒場で出るような物とは違う甘い女性向けのお酒は、すいすいと喉を通っていった。
何杯飲んだかは分からなくなっていたが、ノーマさんはしっかり数えてくれていたらしい。おかわりを頼もうとした手を握られ止められる。
『エレンちゃん、飲みすぎ。もう10杯目よ。いくらお酒強くてももうダメ』
逆の手で握っているペンを軽く揺すればそんな注意。心配するような笑顔を向けられては、反抗する気にもなれず。
私は握られた手を握り返すと軽く上下に揺らして「はーい」と渋々返事をした。素直でよろしい、と言わんばかりのお姉さんらしい笑顔が眩しくて、ごとんと机に頭を乗せる。
「……私も、ノーマさんみたいに生まれたかったな……」
こんな綺麗な女性に生まれたかった。
こんな優しい女性に生まれたかった。
こんな真面目な女性に生まれたかった。
こんな気遣いのできる女性に生まれたかった。
こんな愛される女性に生まれたかった。
……もっと素敵な女性だったら、もっと愛されていられたんだろうか。
悔しさと寂しさが一気に胸に押し寄せてくる。好きだったのは違いないけれど、今は彼と別れたことより、「愛されるに足る女でなかった」という事実だけが、私の心を刻んできた。
涙が浮かんで視界が歪む。
その時、不意に握り合ったままの手に込められる力が強くなった。
はたと顔を上げると、ぽろりと涙の粒がこぼれる。それを、空いているノーマさんの手が拭ってくれる。
あたたかくて、柔らかい手。ドワーフの固い皮膚の特性も持って生まれた私とはまるで違う。
さらなる違いにへこんでいると、涙を拭った方の手が机に置いたペンを軽く握って少し振った。
『私はエレンちゃんの方が羨ましいな』
浮かんだ文字が信じられなくて、「そんな慰め……」とノーマさんに目をやるが、迎えてくれた笑顔と、真っ直ぐな眼差しに思わず息を飲む。
『いつも前向きで、明るくて、ころころ変わる表情の豊かさが羨ましい。自分の足でどこまでも行ける強い心と体が羨ましい。人と向き合う時嘘のない目を向けられることが羨ましい。誰とでもすぐに打ち解けられる、受け入れられる裏表のない性格が羨ましい。困っている人がいると躊躇なく助けに入れる優しさが羨ましい』
次々にペンからこぼれてくる文字の言葉は、音の言葉よりもはっきりと意識に刻み込まれ、当たり前だけど私は凄く照れてしまった。お酒が一気に回ったみたいに頬が熱い。
ぱたぱたと手扇で自分を煽る私にお構いなしに、ノーマさんは言葉を続ける。
『覚えてないみたいだけど、私実は、金のうさぎ亭でおかみさんに紹介される前にエレンちゃんと会ってるんだよ』
「えっ」
えっ、いつのこと? こんな美人に会ったのに覚えてないとか私正気??
驚いてその時のことを思い出そうとしていると、ノーマさんはくすりと笑ってまたペンを振った。
『この町に来てすぐぐらいのころかなぁ。私、去年の大豊穣祭を見て、自分の国と同じくらいアリーエリティア様……海の女神様を信仰してるのを知って、「住むならここがいい」と思って家を出てきたのよ』
初めて聞く経歴の話に、私は思わず拝聴の姿勢になってしまう。そんな私にくすりと笑ってから、ノーマさんは話を続けた。
『右も左も分からなくて、でもようやく自分の足で自分の選んだ所に来られたことが嬉しくてはしゃいでたの。そんな時にね、ちょっと変な人たちに絡まれちゃって。声は出せないし、ペンも振れなかったから人を呼べなかったんだけど、エレンちゃんが通りかかってくれて、私の前にいた人まとめて蹴り倒したの』
……話の方向性が変わって……いや、いないのか。私の登場シーンが意図したものとだいぶ違うだけだ。
『どんな大男が、と思ったら、私より小さくて可愛い女の子なんだもの。あの時はびっくりしちゃった。その上近くにいた自警団の人に「女の人絡まれてんだろ仕事しろ!」って叫んでて。あれ弟さんだったのよね。エレンちゃんが「もう大丈夫だからね」っていなくなってから弟さんから聞いたのよ』
「……あー……その時私もしかして大荷物背負って全身土とかホコリで汚れてた?」
頭に手を当てて力なく確認すると、ノーマさんはこくこくと頷く。
ああ、覚えてる。




