第4話
助けたことも蹴倒したことも覚えていないが、集めるのが難しい素材のために3週間出かけていて、心身ともに疲労がピークでイライラしながら帰ってきたことがあった。
その時にそんなことがあった、というのを、私も後から弟に聞いている。確かその絡んでいた連中は、あちこちの骨が折れていたんだとか。流石に弟に「やりすぎだ」と怒られた。
その時は素直に申し訳ないと思っていたが、ノーマさんに迷惑をかけていた連中なら、それくらいいい報いだろう。
今更ながら私は私の行動を正当化する。口に出すとあちこちに怒られるだろうから絶対に言わないが。
『だからね、再会した時すっごくびっくりしちゃった。エレンちゃんは全然覚えてなさそうだったけどね』
いたずらっぽく微笑まれ、私はふざけた感じで視線を逸らす。
「いやぁ~、あの時相当疲れてて……すみません。じゃあこれはお詫びということで」
ひょいと差し出したのは、机の上に置かれたままほとんど手がつけられていなかったハートの形に切られたチーズ。
ノーマさんは一瞬目をぱちくりさせた。
あれ、こういうの駄目だったかな、と手を引きかけると、その瞬間にぱくりと食いつかれる。指先に触れた唇の柔らかさと嬉しそうな笑顔に、同性ながらどきりとしてしまった。
『うふふ、じゃあ美味しいチーズに免じて許してあげる』
適度に酔っぱらっているのか軽く上気した頬に手を当てる姿は愛らしく美しく、心臓はさらにどきどき騒ぎ出す。
(そうかー、こういう女子らしさが私に足らない点かー)
またへこみそうになるが、今の私はそれほど下がらない。いくつもの褒め言葉にすっかり心が浮上しているからだ。
それに何より、お世辞かもしれないが、さりげなく言われた「可愛い」という単語が大変私の心を持ち上げてくれている。我ながら単純なものだ。――けれど。
「……もう、似合いもしない努力もおしまいかなー」
なけなしの女の子らしさを磨くための努力。褒めてもらいたくて頑張ってきたけど、認めてくれる人がいないなら無駄なことだろう。
投げやりに、けれど精一杯の笑顔と軽い口調で呟く。それを
『え、やだ』
ノーマさんはあっさりと否定した。
「やだ?」
駄目、ならまだ分かる。「せっかく始めたんだから続けないと駄目よ」という目上のおねーさんからの助言と受け止められる。
けれど、やだ、とはどういう意味だろう。
思わず目をぱちくりさせると、ノーマさんはぷぅと頬を膨らませた。
『だって、せっかくエレンちゃんと一緒にお出かけして、一緒におしゃれ楽しめるようになったのに、やめちゃうなんてやだ。私はもっとエレンちゃんに可愛い格好させたいしお化粧もさせたい』
まだ離されていない手がぎゅうぅぅっと強く握りしめられる。握力の差があるので全く痛くないのだが。
……そういえばこの手はいつまでつないでいるのだろう。嫌ではないし、むしろ安心するから私は構わないのだけれど、ノーマさん、もしかして離すタイミング見失ってる?
「えっとぉ、私としてはですね? そう言ってもらえるの嬉しいんですけど、やっぱり私が可愛くしても意味ないっていうか、似合わないっていうか……」
だって頑張った結果が「女として無理」なんだもん。やる気なんて根こそぎ引っこ抜かれちゃうよね。
視線を下げて言い訳していると、その視線の先にペンが差し込まれた。
『そんなことない』
ペンが振られて示された言葉に、私は軽く目を見開く。そろそろと顔を上げれば、真剣な表情を浮かべた美貌が待ち受けていた。
『ひどいこと言う人なんて忘れちゃえばいいの。エレンちゃんは可愛いよ。ころころ変わる表情も、元気に駆け回る姿も、おしゃれのために頑張ってる姿勢も。はじめて一緒にお洋服買った時のこと覚えてる? あの時、嬉しそうな顔してるエレンちゃんを見て、私本当に本当に可愛いなって思ったんだよ。そんな可愛さ分かんなかったなんて、あの男の人が大したことなかっただけだよ。絶対そう』
ずいと突きつけられる文字の言葉は言葉が重なるごとに大きくなっていき、ノーマさんの感情の強さを表しているようだった。
表情と、動作と、言葉と。それらが真っ直ぐに注がれ、何だか泣きそうになってしまう。
その時、ぎゅっと握られたままの手に込められる力がまた強くなった。
月から差し込む光の下、浮かべられる表情が、真剣なそれからとろけるような笑顔に変わる。
『エレンちゃんは、可愛いよ』
再度告げられた言葉に、笑顔に、私は一気に赤くなった。
どきどきと心臓が大きな音を立ててくる。恥ずかしい。けど嬉しい。けど恥ずかしい。ふたつの感情がぐるぐると頭を駆け巡った。
「おっ、お酒おかわりお願いします!!」
私は空いている手をばっと挙げて店内を歩いているウェイターさんに声をかける。
ノーマさんはびっくりしていたけど、私の顔が真っ赤なのに気付いたのかくすくす笑いながら止めずにいてくれた。
その時ようやく手が離されたけど、お互いの熱で温められたそれが夜風に冷やされるのが、なんとなく惜しい気がしてしまう。
それから私はこれでもかというほどにお酒を飲んだ。ノーマさんも付き合ってくれたのかいっぱい飲んでいたみたいだけど、先に潰れたのは私だった。
さすがに飲みすぎたと頭を机につけると、どこからか綺麗な歌声が聞こえてくる。それに耳を傾けている内にうとうととしてしまい、私は自然と瞼を下ろしていた。
最後に私が見たのは、どこか困ったような顔で海を眺めているノーマさんの横顔。




