2026/06/26(金)『妄想「零れ閉づる夢」』更新記録㉒「終章」を掲載。 この五年ほどの掲載活動と時勢とを振り返って反省、そして、日本に祈りを──。(一部散文込み:計5800字)
※作品の文体とは一部異なります。
初めまして、あるいは改めまして、オトオリと申します。
拙速にして浅慮な私が語るべきことはあまりございませんが、政治についてはこれまでの日記や更新記録に散文として記して参りました。とても狭い範囲ではございますが、ご覧になりたい方は、【散文】または【政治】の章題がついた頁をご覧ください。ちなみに、私は記憶力に難があるため、書きつつ忘れることもございます。振り返って書くことが極めて苦手ですし、同じことを何度も繰り返すこともございます。それほどに、記憶には自信がございませんので、私が書いていることは基本的には「眉唾」と疑ってください。ですが、思うことに反したことは書きたくないとも書き添えます。その私自身も変化している身ですので主張の変化も多少はございます。が、しかし、言訳のようですが、そのとき書いた気持や、そのとき取り上げた話題への問題意識に噓はない、と、私は、私自身を信じています。
さて、こちらの副題「零れ閉づる夢」はこれにて最後ですので、作品について書いてゆこうと存じます。(※これは謝罪ですが、「作品について」は、半分ほど噓になりました。)
「この作品は誰にも見せないな」
と、思って書いてきたものが、既に何作品か、掲載に至りました。「零れ閉づる夢」もまたその一つです。掲載予定がなかった作品が、また完結を迎えることができました。ご覧くださった方方に、ひょっとするといるかも知れません応援してくれた方方に、その応援の気持が届いています、と、いう意味で、まずは、感謝を申し上げます。ありがとうございます。
なんだかスピリチュアルなことを言っているようですので、あえて明確にしておきますと、私にはその手の力はございません。
しかしながら、半分以上は本気の発言とも受け取ってください。私はこうしてここで文字を打っていること自体が奇跡的です。命の危機に瀕した、と、いうような劇的なものではございませんのでご安心いただきたいのですが、誰かの、何かの、救済によって、その一部に恐らくは皆さんの応援があって、ここにいて、ここで文字を打っています。その昔であれば、「文字を書いています」と、書いていたでしょう。端末時代ですので、「打つ」となりました。このような時代になるとは露と思いませんでしたが、さまざま遷移する激動の時代ですね。とにもかくにも、皆さんのお蔭で文字を打っています。これが素直な心境です。ですから、日頃、視野が狭いなりに政治についても書いてきましたし、これからも書いてゆく考えです。なぜなら、政治は生活に密接に関わる問題です。例を挙げるなら、
「消費税は日本弱体化装置であり賃上げ妨害税である」
お蔭さまでこれを憶えることができました。一年足らず、あるいは一箇月に満たず、これを憶えられたのは個人的にはびっくりしています。
ワクチンについてもそうでしたね。COVID-19mRNAワクチンについては「ワクチン」という概念をまず疑わなければなりませんでした。あれは「ワクチン」ではなく、そもそも「遺伝子治療薬」に当たり、要するに、「ワクチン」に括る医薬品ではなく、それにも拘らず「ワクチン」に括った医薬品として扱ったために本来必要だった審査過程などをすっ飛ばして承認されてしまった、ワクチンとして扱えば単なる危険な毒物だった、と、いうことを私は憶えました。IgG4抗体が活性化すると免疫抑制効果となるためワクチンとしては失敗作だそうですが、COVID-19mRNAワクチンはまさにそうであったという話もございます。ちなみに、この一連の文言をAIに投げて「ファクトチェック」したとしても、「陰謀論」と片づけられるのが落ちでしょう。しかし、IgG4抗体の科学考証はどうやっても覆らないはずです。それが、正しい科学だからです。と、もっともらしく語っている私は科学者でもなんでもない一般人ですので、飽くまで、私が信頼する医師の方方の論を借りているに過ぎませんが、私はそれを信じた、と、いうことです。そもそもこのCOVID-19mRNAワクチンこと遺伝子製剤について私が疑ったのは、かなり前に書いたかも知れませんが、治験が終わっていないであろうタイミングで接種が(もっといえば医療機関への供給が)開始されたことにあります。──政治話が続いてしまいますので少し作品の話に戻れば、シリーズ本線一作目「破綻の日常」や、副線副題「水面の木の葉」などを書くにあたって医薬品販売の流れを一通り勉強したことがございました。本線一作目に関しては全くの余談だったため深掘りしていませんし、副線副題についてもほとんど触れていない話でしたが、私のメモが確かなら、前者の最初の掲載日である2018/09/08には私は確実にその知識を持っていました。例の如く詳しいことが頭から抜けていましたが、
「明らかに治験期間が足りない、短い──」
と、直感しました。勿論、これは市販薬の場合であって、ワクチンに当て嵌められるものではございませんでしたので、私の直感は飽くまで取り違えぎみでしたが、結果として接種せずに済みました。
私はあの頃、もう一つ誤認していたことがございます。
「私程度の一般人が知っているなら、みんな知っているだろう。あんなものはおかしいと思うはずだ。危険だ。射つわけがない──」
そのように高を括って何もしていませんでした。先程触れた掲載日に、私としては心底どきどきしながら、作品掲載を実行しました。そのおよそ一年後にはいわゆる「コロナパンデミック(以下コロナ事変)」が始まりました。私は先のような思い込みで次回作などを掲載してゆきました。これも私のメモが確かなら、「幸福の踏台」の24章から25章のあいだ辺りが日本におけるコロナ事変の起点でした。なお、起点というのは、初感染者の男性が中国武漢市から帰国した2020/01/16を指しています。のんきなものでした。振り返れば、これ以降に日本は異常なワクチン接種キャンペーンを推進し、接種者が7割超に上ったそうで、接種回数を挙げれば総計4億回にも上る、と。私の考えは見事に思い込みでした。まさに拙速で、浅慮でした。ですから、私如きでも、ひょっとすると知っていることが役立つかも知れないと思い、そのとき書きたいことを書くために、政治の話題にも触れることにしたのです。勿論、もともとそちらの方面に全くの無関心だったわけではなく、子時代から多少の関心があり、ただ、記憶力の悪さゆえ細かいことは語れませんが、政治への不信が一桁の年齢から35年以上は続いていると存じます。また、(確かこれも別の頁に書いてきましたが)医療に対する不信感も子時代のいくつかの出来事によって募っていました。基本的に、私に、人工物への信仰はないのだと存じます。特に販売目的で作られたものは、不完全で歪なものがほとんどだから、と、いうのは、後づけであり自己満足かも知れませんが理由として納得できるものです。
先の副題に続いて、本線副題「冥姫の断凍」、「破滅の怨恨」、「共に歩む者」、「瑣瑣たるひかり」、及び、副線副題「不光のひとみ」を2025年までに掲載してきました。いずれも心臓が縮こまって脈を打ち損ずるような緊張感とともに掲載してきました。世間では、縮こまるどころか超過死亡、止まってしまう心臓が増えていることも存ぜず──、全くもって恥知らずで、申し訳ございません、つまりこれは作品について語るとともに私の個人的な自己否定です。気に障る方は、どうぞお引返しください。私はまだ書くことがございます。
結びを迎えた今作「零れ閉づる夢」を掲載し始めたときには、先の時事を知った上での作業となりました。心臓が縮こまるような緊張感──、の、替りに、ある種の躊躇ばかりが擡げていました。掲載したところで特に反応のない作品をひたすら阿呆のように掲載し続けることになんの意味があるのか、と。ましてや、
「時事について核心に触れることを書いているわけでもないくせに、馬鹿か。狭い見識でも、せめて時事を書き連ねたほうがよほど皆さんのためになるのではないか。馬鹿か。馬鹿だろ。馬鹿だぞ、お前」
毎日のように叱責しか浮かびませんでした。お蔭で、緊張感とは別に、躊躇と羞恥心と苛立ちばかりになりました。お蔭で、作品に身が入っていません。勿論、執筆当時の私が揮った全力はそのままだとは存じますが、いろいろ知ってしまった今の私からすると、これも少し前に書いた記憶がございますが、
「グローバリズムまっしぐらな作品だな」
と、見下げ果てるようなものでもございます。そう、つまり、掲載すること自体に罪の意識すら湧きます。ただ、同時に、そこを辿らなければならない物語ですので、
……ここで止まるわけにはゆかない。
そう思って、掲載を続けてきました。端的に書くなら、私の作品は知らず知らずのうちにグローバリズムに染まっており、SDGsを汲んでおり、まるでそれらを是認し、推奨し、推進しているかのように展開しています。あるいは、それら以上にねじ曲がって、反イスラム恐怖症のような(注釈:イスラム教やその信徒への憎悪などに反対するかのような)立場を執っているかのようで、心底腹が立った次第です。今の私は反グローバリズムですし、私がいうところの偽ムスリムは断固拒否の立場です。地域住民との不和や紛争を生んでいないのなら、特定の宗教家や外国人まで追い出す考えは全くなく、また、少年時代といえる年齢からまじめに働いていた外国人の同年代や友人がいる身として、そうした友人らとは相容れないわけがないという考えを持っていますので、日本に馴染んで日本を大切にしてくれるひとびとの齎す異文化(個人的には不思議な豆料理や肉料理の、ブラジル文化でした)を取り込みながら生きてゆく、と、いう意味での多文化共生は日本にあっても問題ないと考えてもいます。が、これまで多くの政治政党が掲げてきたものとしての多文化共生(実質不法移民すら受け入れて日本人の目減りを無視してむしろ日本人の人口減少に手を貸す異常な体制)、または、世界じゅうで展開されてきた「国境をなくそう」という動き(国を亡くす動き)には全く賛成しかねます。私は日本人として生まれ、日本で育ち、日本のひとびとに生かされて、あえて繰り返せば、外国人のまじめな友人とも過ごした幼少期を経て、ここにいます。私に取ってのそれらの世界が世界の全てなどとは言いませんが、私はその世界の中の価値観でしかものを考えられません。その上、とても拙速で、とても浅慮と来ています。下劣だとかグローバリズムだとのレッテルを貼られたとして、人格や品性を疑われれば、また、知性の欠片もない無知蒙昧だと罵られようとも、ぐうの音も出ません。世界にはいくらでも天才がいます。私に取っては、ほとんど全ての人間が天才です。ここまで読み進めたあなたも、よくこんな支離滅裂でこてんぱんな文章を読む能力があったものだと、よほどあらゆる文章を読んで鍛え上げられてきたのだろうと、私には無理だと、感心しかしません。誰に対しても私は劣っているとの自覚しかないので、そう心から思うのです。しかしながら、それゆえに、私などにも理解できる日本破壊や諸外国の治安崩壊を招く思想であったり、それを主導するグローバリスト政権・政府であったり、それらをまるで模倣するかのような日本の政治も、企業も、「私より愚かだ」と断言したく存じます。なぜなら、拙速で浅慮な私自身が、謙虚にひとの意見も聞きべきだと解っているのに、先に示した集団あるいは個人は、まるで聞く耳を持っていないかのようなのです。これは個人的に、作品にも能無しの典型表現として用いるためにあえてここでも書きますが、そういう個人やその個人に追従する集団や集団が揃ってそういう状態に陥っているのは脳足りんだと認識しています。あえて固有名詞を出さないのは、個人攻撃をしても無意味とも解っているからです。基本的に、グローバリズムは個人攻撃ではどうにもなりませんし、それはどこぞやからの思想の転移や刷り込みであって、私のようにいつの間にか洗脳されているものだと認識しているために、個人攻撃したところでその個人にも周辺のひとびとにも「いわれのない誹謗中傷」のようしか捉えられないためです。たとえ認知性不協和に囚われているとしてもその認識や実感がその瞬間のみは覆らないのは確かで、覆るのは本人の意識や認識が変わったときのみです。ですからただただ、「これには乗らないでおこう」と考えるひとが一人でも増えるように、例えば、私が政治について狭い見識でも書こうと決めたことの例として挙げた遺伝子製剤に対する認識のように、誰かが何かを考えるきっかけになることを願って、何かしらの情報を置いておくことが私であれ、誰にであれ、できることです。それが、いい意味での洗脳や刷り込みになり、言い方を換えれば、気づきになるのであれば、私は幸いだと考えて、こうして書いています。(思えば、気づきはその昔から大切にしてきたことの一つでした。これは後続作品の前振りになるかも知れませんが、「置き去りにしたもの」が私にも数数あるのでしょう、これを、私に限らず、ひとは、省みなければならないときがあると存じます。)
家事などをしながら、いろいろしながら、今年数回目となる雪を観て、書いていましたので、いつの間にかXの通知に数が増えていました。恐らくは私がチェックしている国内外の政治家のポストが更新されているのでしょう。諸事を終えてこれから休みますので、もう確認はしませんが、触れたいことがあればどこかに書きます。
かくして、世界の変化を齎すための歩みへ──、「終章」を掲載致します。
結局、大半が政治の話になってしまったようでした。申し訳ございません。私はやはり、拙速にして浅慮であり、さらには進歩のない人間のようです。
皆さんの幸せと平穏を祈っています。それのみが、私にできることです。もしよろしければ、またこちらで、もしくは作品で、おあいしましょう。
最後までご覧いただき、本当にありがとうございます。
──2026/01/23(金) 01:03〜06:56執筆
2026/06/27(土) 掲載──
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──当頁書き収め──
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