5.パーフェクトリベンジ!
陽もとっぷり暮れ、都会の夜空にネオンの星が瞬く深夜零時過ぎ。
何本もの電車を乗り継ぎ、その間になんとか涙を乾かして、私は見慣れた我が家に辿りついた。
閑散とした住宅街を抜け、大きな墓地のすぐ裏手にポツンと佇む築四十年の木造平屋。家賃も格安な上、周囲の物音を察知できるという条件も最高。私とお母さんの親子げんかにより、あちこちの壁や床に痛々しい補修の跡があるのはご愛嬌だ。
昨日まで暮らしていた学生寮と違って、セキュリティの欠片も感じられない旧型の鍵を開け、私は玄関に足を踏み入れた。
「ただいまぁ」
誰も居ないと分かっているのに、つい声をかけてしまう。虚しさに溜息を吐きながらドアを閉じ、手さぐりで電気のスイッチを押しかけて……。
「――ッ!」
咄嗟に右腕を引いて顔を庇い、半身をよじる。暗闇の中、ひゅんと空を切る音が鼓膜に響いた。
こんなことをしてくる人物は一人しか居ない。
「ちょっ……お母さんっ!」
「うふふっ、バレちゃった」
パチン、と音がして蛍光灯の青白い明りが灯される。そこにはいつもと変わらない、ジャージにかっぽう着スタイルのお母さんがいた。
私は背負っていたリュックを下ろし、床にへたり込んで大きな溜息をつく。
「もー、帰ってるなら連絡してよねっ。絶対お父さんちにいると思ってたのに」
「怒らないでよぉ。真咲ちゃんに会いたくてわざわざ戻ってきたのに……ハグ……」
「はいはい、お帰りなさい」
私は仕方なく立ち上がり、狭苦しい玄関先でお母さんをギュッと抱きしめる。ふわふわの長い髪が頬に当たってくすぐったい。そこから漂うシャンプーの香りに癒される。
「ねぇお母さん、聞いてくれる?」
今日の私は特別センチメンタル。
いつもはお母さんを甘やかす側だけど、たまには甘えさせて欲しい……なんて感傷は、次の瞬間消え去った。
「なぁに、真咲ちゃん」
「あのね……今から三秒経ったら、床に伏せて」
お母さんの耳元に素早く囁きかけ、私は目を閉じた。
三、二、一。
素早く屈みこんだお母さんが視界から消える、と同時に私は横っ跳び。さっき灯したばかりのスイッチを消し、そのままキッチンとリビングを駆け抜け寝室へ。暗がりの中、箪笥の陰に隠れていた人物へ渾身の蹴りを――
「はい、そこまで。よく気がつきましたっ」
私の右足を柔らかく受け止めたのは、お母さんの手のひらだった。
いつの間に追いつかれたんだろう、なんてことは今はどうでもいい。問題は、お母さんの背後に庇われた見知らぬ人物だ。
「……あなたは」
再び灯された明りの中、たくわえた立派な口髭をしゃくるその顔に、私は見覚えがあった。
オールバックに撫でつけた白髪混じりの髪。浅黒い肌には貫録たっぷりの皺。やや碧みがかった眼を猫のように細め、私を興味深そうに見つめる背の高い紳士。
そう、五十年後の会長はきっとこんな感じになりそうな……。
「キミが真咲君か。見事な動きだった」
呆ける私の肩を抱いたお母さんが、満面の笑みを浮かべながら「真一さんの娘ですから」と囁いた。
「粗茶ですが……」
「ありがとう。ちょうど喉が渇いていたんだよ。なんせ今日は、君のお母さんをここへ〝連れ戻して〟から、君が戻ってくるまで何も口にしていなかったものでね」
お母さんのバカバカバカ……!
私は鼻から血がでそうなくらい顔を真っ赤にして、ぺこぺこと謝った。一方お母さんはといえば、ちゃぶ台の向こうで恒例の反省ポーズ中。
「本当に申し訳ありません……あの、その際にお怪我などは」
「ああ、私は大丈夫だよ。SPが何人か、空港から病院へ直行したようだが」
「はうっ! す、すみません……」
「まあ、これくらい慣れっこだからね」
さすがは会長のお爺様。安物の緑茶をズズッと啜り、特売の割れ煎餅をボリボリと齧る姿は、豪快ながらどことなく優雅だ。やや掠れぎみの艶やかな声も会長と良く似ている。
その声でチクチクと的確なボディブローを打ってくるあたりは、今の会長には無いスキルだ。
理事長の台詞から推測するに、やはりお母さんは帰国を相当ごねたらしい。そのうえ家に戻ったら戻ったで、今度は私を罠にはめることに夢中。壁と箪笥の隙間に無理やり押し込まれたせいで、理事長のスーツにはあちこちに綿埃がくっついている。
私は大きな溜息を吐きつつ、心の中で会長に話しかけた。「いくら天女のような美人でも、こんな変なひと相手にできる男は世の中に一人しか居ませんよ」と……。
思い切って粘着コロコロを差し出そうとしたとき、不意に理事長は居住いを正して問いかけた。
「さて、真咲君」
「はい」
「今回の件、レポートは読ませてもらった。キミの口から報告を聞かせてもらっても構わないか?」
老獪な笑みを向けられ、心臓がドクンと高鳴る。正座していたお母さんが「コンビニでお弁当買ってくるわねー」と立ち去り、二人きりになった部屋で私は全てを包み隠さず打ち明けた。
レポートの補足は簡潔に。メインで伝える内容は、レポートには盛り込めなかった体育倉庫の事件について。当事者としてなるべく私情を交えないよう注意しつつ、時系列に沿って端的に伝えていく。
その間理事長は言葉を発することなく、渋い面持ちで相槌を打ってくる。
「結論としましては、来年度の女生徒受け入れに関して大きな問題はありません。閉ざされた学園で過ごしている男子生徒たちにも、女生徒の存在は新たな風となり良い影響を与えるでしょう。ただし会長にとっては、新たなトラブルの火種となる可能性はありますが……」
「そこが一番の不安要素だな。キミならどうやって……いや、これは愚問だったな」
的確なポイントで口を挟まれ、私は真摯に頭を下げた。
「任務を途中で放棄したことについては、本当に申し訳なく思っています。ただ今後会長へのネガティブな噂が収まるとすれば、生徒たちとの接し方も変わっていくでしょうし、会長も多少のトラブルは自力で解決できるはずです。むしろ私というイレギュラーな存在が傍に居ることが、後々の問題になりうるのではないかと」
「なるほど、事情は分かった。今回は真咲君の判断を尊重しよう」
「ありがとうございます」
私が話している間、終始厳しい顔をしていた理事長がふっと微笑んだ。仕事モード終了の合図なのだろう、正座していた足を崩し、薄い座布団の上に胡坐をかいて座り直す。そして髭をしゃくりつつ、独り言のようにぼそぼそと呟く。
「しかし、真咲君が大変なのはこれからだな」
「はい?」
「彼は三兄弟の次男坊なせいか、小さい頃から何かと自己主張が強くてね。まあ彼のそういうところも私は気に入っているんだが、何度痛い目にあっても懲りないというか、自分を曲げないあの性格には、少々手を焼いていたんだよ。真咲君も知っているだろうが、野菜は食べないし喧嘩もやめないし」
「はい、本当に野菜を食べてもらうのには苦労しました。特にニンジンとピーマン」
思わずクスッと笑みが零れてしまう。すると理事長は目を丸くした。
「……まさか、食べたのか?」
「はい、食べてくれましたよ。ものっすごい嫌そうでしたけど」
「ハハッ、それは凄いな真咲君。どんな魔法を使ったんだい?」
「別に特別なことはしてませんよ……その、多少強引に食べてもらったというか」
コレ食べないともうラーメン丼作りません、と脅しながら「あーん」で口の中にねじ込んだという具体的な解答を告げると、理事長は声をあげて笑った。
「なるほど、飴と鞭か。その手を使うなら、私も余計な手間が省けそうだな」
発言の意図が掴めず私は小首を傾げる。と、理事長はスーツのポケットから携帯を取り出した。手早く操作すると、着信履歴の画面を向けてくる。
「ウッ……」
私は唸ることしかできなかった。
見事に埋まった履歴は全て会長だった。あんな別れ方をしてしまって、会長が何もアクションを起こさない訳が無いとは思っていたものの……。
「まるでストーカーだな」
「すみませんすみませんすみませんッ!」
「ハハッ、いやこれはこれで状況としては面白い。今なら『真咲君の正体』を飴にすれば、彼は何だってするかもしれないね」
「理事長、私のこと会長に……?」
「しばらくは言わないつもりだよ。これは彼の我侭を矯正するいい機会だ。世の中にはどんなに望んでも『手に入らないもの』があると知った方がいい」
そう言って、理事長はどこか遠くを見るような目をする。私はなんとなく察した。たぶん理事長にも、そういう存在があるのだと。
そんな私の感情も読みとってしまったのだろう、理事長は照れくさそうに苦笑して携帯を仕舞った。そして再び冷静な統治者の眼をする。
「さて、これからどうするべきかな。いつまでも彼からキミを隠しておくこともできないし、何か条件を決めようか。このまま無視しておけば、きっと彼は無茶な手を使ってでもキミを探そうとするだろうしね。そこまで彼に執着されてしまったことが、真咲君にとっては幸か不幸か分からないが」
「本当にすみません……会長が私を追いかけるとしたら、それは全部私のせいなんです」
懺悔の言葉を並べながら、私はボスの眼差しに会長の面影を重ねた。
もしあのまま会長の傍に居たら、私の恋心は募るばかりだった。いつか膨らみ切った水風船のように弾けて、誰かを傷つけてしまったかもしれない。
だから、そうなる前に私は逃げた。
それなのに、最後の最後で捕えられてしまった。絶対に言ったらいけない秘密を漏らしてしまった。
あんなことを言わなければ……キスなんてしなければ、会長は私を男だと思ったままで、こんな行動はとらなかったはず。
「真咲君。もしかして、彼のことを……?」
ハッとして顔を上げると、そこには私を労わるような、慈愛に満ちた優しい微笑みがあった。
「はい……ごめんなさい。私は会長を、好きになってしまいました」
私の唇はゆるゆると開き、真実を伝えた。熱く火照った頬と泣きそうな顔で、全部バレてしまっていたとしても。
言葉にすると、想いが強まるのはなぜだろう。私は堪え切れずスンッと鼻を啜る。
「もちろん、ちゃんと分かってます。私と会長との関係はあくまで仕事であって、そんな感情は邪魔なだけですよね。しかも会長には立派な許嫁がいるって聞いてます。だけど」
どうしても想いを止められなかった。
どうしても会長を手に入れたくなってしまった。
私はズルイ。会長の頭にたくさんの疑問符を残して、逃げるように去ってしまった。でもボスが情報を遮断している限り、会長は私の元へ辿りつくことができない。私の方からもう一度会いに行くしかない。
私は気合いを入れて、浮かびかけた涙をひゅるんと引っ込めた。帰りの電車でずっと考えていた一つのプランを提示するべく、姿勢をしゃんと正して。
私は理事長に認めてもらわなきゃならない。
そして、会長の許嫁と正々堂々戦えるチャンスを――
「理事等、あの、私っ」
「リベンジするかい?」
「えっ」
私の浅知恵など、ボスには全てお見通しだったのかもしれない。「皆まで言うな」とばかりに人差し指を唇に押し当てると、ボスはいたずらっ子のような笑みを浮かべた。
「君が望むなら、もう一度チャンスをあげよう。そうだな……次は『お嬢様』に化けてもらう、なんてのはどうかな?」
◆
「ったく、こんなギリギリまでこき使うなんて、酷すぎっ!」
すっかり乗り慣れた黒塗りセンチュリーの後部座席で、私はぶつぶつと独りごちた。運転席に座るのは、例のコワモテな理事長秘書さんだ。この一年で何度も送り迎えしてもらい、彼がイイヒトだってことは既に良く知っている。せっかく打ち解けたのに、手合わせできなかったのが残念だ。
だけど、今日からは少し余裕ができるから、その願いも叶うかもしれない……。
私は逸る心を落ちつかせるべく、緑一色の景色を見やった。
思い出すのは、ここで過ごした短くも濃厚な日々のこと。
遅刻して駆け込んだ入学式での、会長との最悪な出会い。それからあっという間の一ヶ月。体育倉庫の事件から、駅での辛い別れ。家に戻った私を出迎えてくれたお母さんとダンディな理事長。
あの夜「リベンジするかい?」の誘いに頷いた私は、短期間で三つの学校を回った。お嬢様学校と、超進学校と、なぜか会長の弟君が通う中学校。その度にボスから『問題解決せよ』と指令を出され、まるで少年漫画に出てくる探偵バリに働いた。
全ては、この場所へ辿り着くため。
一度は遠く離れても再び戻る……衛星軌道のような道筋を描いた私の一年が、ようやく幕を下ろす。
「では真咲様、今日からは本校の女生徒として……」
「――ヤバッ、遅刻!」
秘書さんのありがたい忠告も聞かず、私は車を飛び出した。真新しい女子寮を横目に青々と茂る芝生を突っ切り、古めかしい木造体育館へダッシュする。
何もかもが一年前と同じ。唯一違うのは私の服装だ。
グレーのブレザーにタータンチェックのスカート、ブラウスの胸には赤いリボン。伸ばしかけの髪はポニーテールに結べなかったけれど、肩にするんとおろしている。
これは私の勝負服だ。誰かに押しつけられた任務じゃなく、自分の人生を賭けた真剣勝負。
「はぁっ、到着……」
入口の扉に手をつき、深呼吸を一回。
この中には、優しい親友と陽気なクラスメイト、そして私の大切な人がいる。
私を見つけたとき、彼らはどんな顔をするだろうか。
驚く? 怒る? それとも……。
自然と綻ぶ口元を抑え、私はゆっくりとその扉を開いた。(了)
最後まで読んでいただいてありがとうございます。この作品は別サイト様の企画用短編に、加筆修正したものです。たぶん二倍近くに増やしたのですが……まだまだ足りないことは自覚済です。今後、一番オイシイ(?)学園生活シーンを盛り込んでの長編加工も予定しておりますので、その際はまたよろしくお願いいたします。※アルファポリス・恋愛大賞参加中。気に入ってくださった方はポチッと投票くださると嬉しいです。