8.王女の密会/前編
レジナルドから指定された場所にソラリスは一人で立っていた。
普段のドレスより丈が短く、フリルもレースも殆どついていないシンプルなワンピースに身を包み、黒いボブのウィッグを被った。いつもと比べてタレ目に見えるようメイクをしてもらい 、唇もぽってりと厚みを加えている。どこからどう見ても、ソラリスとは別人だ。
(さすがはアスティナだわ)
アスティナは十年前からソラリスの侍女をしており、願えばどんなことも叶えてくれる優秀な女性だ。巻き戻る前に『別人にして』なんてお願いをしたことはなかったが、ソラリスの希望を見事に実現させてくれた。
ふと視線を感じてソラリスは顔を上げる。すると、少し離れたところで待機している護衛の一人と目があった。変装をしているとはいえソラリスだけで外出をするわけにはいかないので、数人の騎士がついてきている。
「あまりお忍びの経験はないんですか?」
と、背後から声をかけられてソラリスが振り向く。
「レジナルド様」
「護衛たちがピリピリしているのがわかります。これまでほとんど城外に出ていなかったのでしょう?」
レジナルドは周囲をさりげなく見回しつつ、少しだけ目を細めた。
今日の彼は長い髪を頭の高い位置で結び、銀縁のメガネをかけている。銀色の刺繍が施されたロング丈のガウンに、ハイネックのシャツ、ピッタリと足の形に沿うズボンをはいており、まるで文官のような出で立ちだ。
「あなたは普段どおりの格好で来ると思っていたわ」
質問に答えないままソラリスが言うと、レジナルドは小さく笑う。
「どこかの誰かのおかげで、どこにいても注目を浴びてしまいますから。多少は気を使いますよ」
レジナルドは「行きましょう」とソラリスの手を握る。思わぬことに驚きつつ、ソラリスは彼に引っ張られていった。
「でんか――」
「その呼び方はやめて。バレてしまうでしょう?」
ソラリスはレジナルドを見ずに、小声で注意をする。
「けれど、あなたはお名前も変わっていらっしゃいますし」
「だったら、ライリーとでも呼んでちょうだい。あなたのことはレジーと呼ぶから」
「わかりましたよ、ライリー様」
レジナルドは不敵な笑みを浮かべてソラリスを見る。不覚にもドキッとしてしまった自分に苛立ちつつ、ソラリスは前を見据えた。
しばらく歩いた後、レジナルドは若者でごった返したカフェの前で足を止める。それから、慣れた様子でソラリスを店内にエスコートした。
「こんなお店に入って大丈夫? 人も多いし、もしもバレたら……」
「ライリー様の人気は主に年配者からのものなので、余程のヘマをしない限り若者にはバレませんよ。それに、こちらのほうが護衛も溶け込みやすいと思います。街角の小さな喫茶店ではかえって目立ちますから」
「それは……そう、なのかしら」
レジナルドが指摘したとおり、ソラリスにはお忍びの経験がほとんどない。どんな風に立ち回るのが正解なのかわからず、妙にソワソワしてしまうのも仕方がないことだった。
「メニューはこちらです。……どうやって注文したらいいかわかりますか?」
「答えのわかっている問を投げかけてくるのは感心しないわね」
「失礼いたしました。それでは、僭越ながら俺がかわりにオーダーを」
恭しく礼をするレジナルドに、ソラリスはついついムッとしてしまう。
彼はこれまでソラリスが接したことのある、どんな人間ともタイプが違っていた。憧れや崇拝の眼差しを送ってくるでもなく、過保護に甘やかしてくるわけでもない。敵意や悪意を向けてくるのでも、侮られているわけでもない。対等に、けれど丁寧に扱われることがなんだか心地良い――そんなことを思ってしまう自分がソラリスは少しだけ腹立たしかった。
「ライリー様はもう少し外に出て、世間というものを知ったほうが良いと思いますよ。だから、俺みたいな男にコロッと騙されてしまうんだ――と今朝の朝刊に書いてありました」
「皮肉を言うのは止めて。こんなに早く記事が出たのは、私も多少驚いているんだから」
「俺はライリー様が家に来た時点で、こうなると思ってましたよ。あなたの狙いとも合致しているのではありませんか?」
レジナルドはソラリスの本心を見透かすかのような表情で笑う。多少の後ろめたさも手伝い、ソラリスは静かに目を瞑った。
「記事についてはさておき、もっと世間を知るべきだという自覚はあるわ。けれど、私は常に自分の立場をわきまえて生きなければならないんだもの」
王女であるソラリスが頻繁に外出をすれば、護衛たちが疲弊する。襲撃者を恐れて常に神経を研ぎ澄まさなければならないし、嬉しくはないだろう。
「それが彼らの仕事だから、いいじゃありませんか。そもそも、あなたは品行方正の殻を破るために俺に目をつけたんじゃありませんでしたか?」
「あ……」
ソラリスはハッと目を丸くして俯いた。段々、頬が熱くなってくる。
(レジナルド様の言うとおりだわ)
王女としての評判を落とすためにレジナルドとの婚約を決めたというのに、ソラリスはどうしても王女としてどうあるべきかを考えてしまう。中途半端な自分が恥ずかしくて、ソラリスは両手を強く握った。
「あの……」
「まあ、いきなり変わろうとしても難しいものです。試したところで無理だったということもありますし、焦らずに色々と挑戦してみたらどうですか?」
レジナルドはソラリスの言葉を遮り、穏やかな笑みを浮かべる。
(謝るつもりだったんだけどな)
彼はきっと、ソラリスが言わんとしたいことを察してくれたのだろう。王族はあまり謝罪の言葉を口にすべきではないことも。胸がほんのりと温かくなるのを感じながら、ソラリスは微笑み返した。
「それで、手紙に書いた夜会の件なのだけど」
気を取り直してソラリスが本題を切り出すと、レジナルドはこれまでよりも真剣な顔つきをする。
「アニータがあなたの出席を希望しているの。そうすれば、レジー様とお父さまを引き合わせることができるし、結婚の説得しやすくなるからって」
「……なるほど」
「あなたに自由を約束しておいて申し訳ないのだけど、もし良ければ協力してもらえないかしら?」
ソラリスが尋ねる。レジナルドはしばらく考えてから、静かに身を乗り出した。
「俺に同席を望む理由はわかりました。けれど、一つだけ教えてください」
「なにかしら?」
「ライリー様が恐れているのはアニータ様ですか? だから、俺との結婚を思いついたんですか?」
ソラリスが目を見開くと、レジナルドは「当たりだ」と笑った。




