3.時戻り
「ソラリス様!」
「姫様!」
「お気を確かに!」
侍女たちの声が聞こえる。慌ただしく響く幾つもの足音に母親の声、それから浮遊感も感じられた。おそらく誰かがソラリスをベッドに運んでくれたのだろう。けれど、それきり。以降、ソラリスの感覚は完全に閉ざされてしまった。
(もうどこも痛くない。苦しくもない)
自分の意思ではもう指先一つ動かせないのに、まるで自由に、楽になったかのような心地だった。何ヶ月もの間、毒に体を蝕まれていたのだ――感覚がなくなり苦しみから解放された今、そんなふうに感じてしまうのも無理はないだろう。
(だけど、本当にこのまま終わって良いのかしら?)
ソラリスが死ねば、両親や多くの国民が悲しむだろう。しかも、ソラリスの死は病死として扱われ、アニータはなんの罪にも問われない。……疑われることすらない。きっと、王妃としてなに喰わぬ顔をして国民の前に立ち、陰謀も野望も綺麗に隠して優雅に微笑み続けるのだろう。
そんな人間が、この国をよく導くことができるだろうか? 人々を幸せにすることができるだろうか?
(そんなの無理よ)
大体、ソラリスはまだ十九歳なのだ。生きてやりたいことがたくさんある。
けれど、もしもやり直せるなら――そんなことができるなら――まずは殺されないような生き方をしたい。国民からの人気なんていらないから、平和に穏やかに天寿を全うしたい。
王族だから――特別な地位に生まれたからと色んなことを我慢し、誰にも誇れるような自分でいられるよう努力を重ねてきた。どれもこれも、神と謳われる初代国王の血が流れているからというだけで、だ。
(私がそんなに特別な存在なら――神から受け継いだ特別な力があるならば)
どうかやり直させてほしい。毒を消し去って今すぐ目を覚まし、アニータの罪を暴いてやりたい。彼女を信じ切っているみんなの目を覚ましてやりたい。――正しく罰を受けさせたい。
それが無理なら、毒を盛られるよりも前に時間が巻き戻らないだろうか? この状況を覆せるだけの時間が――やり直す機会がほしい。
(お願い……どうかお願いよ)
心の中で両手を合わせ、ソラリスが必死にそう祈る。そんなことをしても意味はないのかもしれないが、願わずにはいられなかった。
どれくらいそうしていただろうか? 少しずつ少しずつ、ソラリスに体の感覚が戻ってくる。真っ暗だった視界に朝日のような淡い光が差し込み、体が熱くなってくる。
願いが届いたからなのか? それとも死んでしまったからなのか? ――ソラリスはおそるおそる目を開ける。
すると、ソラリスは私室にある鏡の前に一人、手を合わせて立っていた。すぐに鏡に手を突き、自分の様子をまじまじと観察する。
血色が良く真っ白で潤った肌に、パサつきのない髪の毛――毒に侵される前の自分の姿がそこにあった。
「巻き戻ったんだわ」
信じられないことだが、そうとしか思えない。
ソラリスは急いで机に向かうと、今度は五年ほど前から毎日つけている日記帳を開いた。一番新しい記録は毒に倒れた二年ほど前の日付になっている。
「二年前、か」
日記帳を読み返しつつ、アニータとバージルが婚約した直後だと思い出す。
(やったわ。これならいくらでもやり直しができる)
この頃は担当していた公務もそう多くはなかったし、そこまで目立つような行動は取っていなかった。元々、人気が集まるような決定的な出来事があったわけではないが、ソラリスに注目が集まりだしたのはもう少し後のことだったように思う。
ならば、今回は前回よりも地味に、目立たないように生きていこう。公務も社交も最低限にして。……王女としては失格かもしれないが仕方がない。そうすればあんな苦しみ方はせずに済むはずだ。……そう思いたいのだが。
(もしかしたら、目立たないだけじゃ不十分かもしれない)
ソラリスはつい先程、はじめてアニータの本心を知った。生まれたときから一緒に過ごしてきたのに、これまで敵意も悪意も全く感じたことがなかった。寧ろ、慕われ敬愛されていると勘違いしていた。もしかしたら、先程聞かされたこと以外にも、隠された本音があるかもしれない。だとしたら、また思いがけない理由で殺されそうになることも考えられる。
(アニータと関わるのはとても怖い。けれど、生き残るためには相手をよく知らなければならないはずよ)
ソラリスは同じ失敗を繰り返したくなかった。ならば、最初に取るべき行動は一つだけだ。
「アスティナ、外出の準備を」
侍女を呼び、ソラリスは戦闘準備を開始する。
「承知しました。本日はどちらに向かわれるのですか?」
「アニータのところよ。婚約のお祝いをしなければいけないでしょう?」
説明をしながら、ソラリスの手足が小さく震えた。
頑張ったところで未来を変えられるのかはわからない。けれど、立ち向かい、行動をすれば変わるなにかがあるかもしれない。――いや、変えなければいけないとソラリスは思う。
(待っていなさい、アニータ)
ソラリスはグッと拳を握った。




