2.天使が見せる悪魔の笑顔
アニータとのお茶会で倒れて以降、ソラリスはベッドから起きあげれなくなってしまった。
「お姉さまの容態は?」
「ああ、アニータ。来てくれたのね」
ソラリスの母親である王妃や侍女たちに出迎えられ、アニータが丁寧にお辞儀をする。
「相変わらずよ。最近では食事もあまりとれないの」
普段は輝かんばかりに美しい顔に疲れを滲ませ、王妃が肩を落とした。
「医官にも原因がわからないのよ。どうやら体の色んな機能が上手く働かなくなっているみたいなの。けれど、それぞれの症状に対処していくしかないと言われて……」
「そうですか」
王妃の背中が小刻みに震えている。アニータは王妃の背をさすり、そっと抱きしめた。
「お姉さまの様子はわたくしがみますから。皆様は少し休んだらいかがですか?」
「アニータ、けれど……」
「お疲れでしょう? この状況がどのぐらい続くかわかりませんし、このままではおばさまの体力がもちませんもの。少し休んだほうがいいですわ」
「そう……そうね。アニータがみていてくれるなら、私も安心だわ」
王妃はそう言って弱々しく笑う。侍女たちに支えられるようにして、王妃はそのままソラリスの部屋をあとにした。侍女頭のアスティナも席を外したところで、アニータはソラリスの枕辺に座る。それから青白い顔を見下ろし、そっと目尻を下げた。
「お姉さまは本当に、よく頑張っていらっしゃいます」
ソラリスの額を撫でながら、アニータが言う。声をかけられたことに気づいたソラリスはほんのりと目を開けると「アニータ」とつぶやいた。
「目が覚めましたか?」
「……来てくれたの?」
霞む目を何度も瞬きながら、ソラリスは少しだけ背を起こす。
「起き上がれそうですか? 可能なら、水分補給をなさってください」
アニータが水差しを渡すと、ソラリスは震える手でそれを受け取り、ゆっくりと口に含む。少量だが水を飲んだことを確認すると、アニータは水差しを回収した。
「ごめんなさいね、あなたにまで迷惑をかけて」
言いながら、ソラリスは涙が込み上げてくる。アニータは目を細め、小さく首を横に振った。
「お姉さまのためですもの。わたくし、なんだって致しますわ」
アニータがソラリスの手を握る。ソラリスの瞳から涙がこぼれ落ちた。
「く、苦しいの。もうずっと。息が上手にできなくて……」
「わかりますわ。お姉さまは本当に辛抱していらっしゃいます」
「まるで自分の体じゃないみたいに、ちっとも言うことをきかないのよ」
めまいのためにグルグルと回る視界の中、ソラリスはアニータを見ようとする。アニータはなにも言わず、ソラリスのことを見つめていた。
「だけど、早く元気にならないといけないわ。これ以上、お母様たちに心配をかけるわけにはいかないもの。それに、まだまだやらなければならないことが、たくさんあるし……」
ソラリスは浅い呼吸を繰り返す。アニータはその場に立ち上がると、ソラリスの顎を掴んで口を無理やり開かせる。それから、水差しに残っていた残りの水を全てソラリスの口に流し込んだ。
「な、にを……」
思いがけないことに、ソラリスがゴホゴホと咳をする。アニータは大きくため息をついたかと思うと、ソラリスの胸ぐらを強く掴んだ。
「あのね、お姉さま。もう頑張らなくていいのですよ?」
普段からは考えられないほど冷たい声音。ソラリスは驚きに目を見開き、アニータのほうへと顔を向けた。
「寧ろ頑張りすぎです。当初の計画では、とっくの昔に力尽きているはずでしたのに。まだ回復を諦めていなかったなんて、驚きですわ」
「どういうことなの?」
愕然としながらソラリスが尋ねる。アニータはフンと鼻を鳴らし、呆れた、といった表情で両手を広げた。
「まだわかりませんの? お姉さまの体調不良はわたくしが仕組んだことですのよ?」
「え?」
立ち上がろうとしたソラリスだったが、あえなくベッドから滑り落ちてしまう。足腰に全く力が入らない。床に這いつくばっているソラリスの手を、アニータは強く踏みつけた。
「いたっ! そんな……嘘でしょう? あなたがそんなことをするなんて」
「信じられないでしょう? 誰もわたくしを疑っていませんもの。両陛下も侍女たちも、医官たちすら、みんなね」
アニータは己の足に全体重をかける。痛みにうめきながら、ソラリスはアニータを見上げた。
「待ってちょうだい。お医者様は『毒ではない』と。原因不明の病気だろうと言っていたのに」
「すごいでしょう? どれだけ体を調べても毒の成分が見つからない、遅効性の毒ですのよ。無味無臭で溶けやすいから、お砂糖と一緒に混ぜてお姉さまに出すだけで済むんだから」
クスクスと笑い、アニータは屈んでソラリスの顔を覗き込む。
「どう、して?」
「わたくしずっと、お姉さまのその顔が見たかったの。いつも涼やかに澄ましたその顔が、苦痛に歪むところを」
「そんな……! あなたは私を慕ってくれていると思っていたのに……」
「そう見せかけたほうが都合が良かったんですもの。おかげで自由に毒を盛れましたし、わたくしが罪に問われることはありませんから」
「けれど、私がみんなに言ったらあなたは――」
ソラリスがゴホゴホ!と咳をする。
(息が上手くできない……!)
それだけではない。全身が痺れ、臓器がまるで石のように固まり、動かなくなっていくのを感じる。
「んもう! なんのためにわたくしがここに来たと思っているのです? お姉さまにとどめを刺すために決まっているじゃありませんか」
水差しをブラブラと動かして見せながら、アニータが口角をあげる。
「な、んで!」
「なんで? お姉さまがいけませんのよ? 大人しくしていたらいいのに、国民の人気を無駄に集めてしまったんですもの」
「え?」
どういうことだ、とソラリスが目を見開く。アニータはソラリスの顎を持ち上げ、そっと首を傾げた。
「国民たちから声が上がっておりますの。『次の王をお姉さまに!』と。ご存知でしょう?」
「そ、れは……」
ソラリスだって当然、そういった意見があるのは知っている。けれど、女性が王位を継げないことは歴史や法律で決まっているし、そもそもソラリス自身が望んでいない。意見はあくまで意見。本気にしたことなど一度もなかった。
「わたくしも最初は放っておいて良いと思っておりましたの。けれど、お姉さまを推す声が次第に強くなっていくんですもの。その癖、なんとかするよう助言をしてもバージル様はまともに取り合おうとなさらないし、そのままにしておいたら王位を奪われてしまうでしょう?」
「そ、んな……!」
「ですから、お姉さまが生きていたらわたくしが困るのです。王妃であるわたくしより、お姉さまに人気が集まるなんて許せませんもの。挙句の果てに、王位まで奪われてしまったら、わたくしはただの公爵夫人で生涯を終えねばならないじゃありませんか。そんなの絶対に嫌ですわ」
ソラリスの瞳からポロポロと涙がこぼれ落ちる。
(私は自分の責務を全うしたかっただけなのに)
王になりたいと思ったことなど一度もない。人々に好かれようとしたことも、人気を集めようと思ったことも当然ない。ソラリスはただ、王族として正しいと思う行動を取っただけだった。それなのに、殺されそうになってしまうなんて――。
「お姉さまが悪いのですから、恨むならわたくしではなく、自分自身を恨んでくださいね」
アニータの声が甲高く弾む。
アニータに尋ねたいこと、言いたいことはまだまだたくさんある。けれど、ソラリスはもう満足に口を動かすことすらできなかった。
「さてと、そろそろ頃合いね。――誰か! 誰か来て! お姉さまが! お姉さまの容態が急に悪化してしまって!」
しばらくして、ソラリスに言葉を発する気力がないことを確認してから、アニータが大声を上げた。バタバタと数人分の足音がした後、慌ただしく扉が開く。
「ソラリス様!」
「姫様!」
「お気を確かに!」
侍女たちがソラリスを取り囲む。ソラリスは薄れゆく意識の中、自分の名前が何度も呼ばれるのを聞いていた。




