29.奇跡
ソラリスは子どもたちを連れて領主の屋敷へと戻った。全員がびしょ濡れの状態だったが、領主はすぐにソラリスたちを受け入れ、子どもたちの母親を連れてきてくれる。
「お母さん! お母さん!」
子どもたちの無事を確かめると、母親は大きく泣き崩れた。
「ああああ! よかった……! あなたたちが無事で本当によかった!」
母親は憔悴しきった様子だったが、その泣き声は力強く、ソラリスは安心してしまう。
(よかった)
時を戻る前――慰問の際に会った彼女は今にも消えてしまいそうな様子だった。
今だって泣いてはいるものの、あのときとは涙の種類が全く違う。本当によかったとソラリスは胸をなでおろす。
「あそこにいるお兄ちゃんとお姉ちゃんが僕たちを助けてくれたんだよ」
「え……? 殿下が?」
母親はソラリスたちの方を見て驚愕し、何度も何度も頭を下げた。
「殿下! ソラリス殿下! ありがとうございます! 子どもたちのことを助けてくださって、本当にありがとうございます」
「お礼を言うならレジナルド様へ。体を張って子どもたちを助けに行ってくれたのよ。私じゃないわ」
ソラリスが微笑む。事実彼らを救出したのはレジナルドだし、王族に恩があると思って生きるのは窮屈だろう。ソラリスはそっと目を細めてレジナルドを見ると、彼に感謝の気持を受け入れるよう促した。
「でも、お姉ちゃんが川の流れを止めてくれたから助かったんだよ? ね、そうだよね?」
木から転落した方の子どもがそう口にする。
「川の流れを止めた?」
子どもたちの母親や、領主があんぐりと口を開けた。彼らは「そんなことが可能なのか?」と目で語り合っている。信じられないのも無理はない――むしろそれでいい。
ソラリスはレジナルドと顔を見合わせて小さく笑うと、膝を曲げて子どもに向かい合った。
「お姉ちゃんが川の流れを止められたのは、先にお兄ちゃんが頑張ってくれたからだもの。あなたたちを助けてくれたのはこのお兄ちゃん。だから、私のことは誰にも言っちゃダメ。わかった?」
「え? そうなの?」
「とってもすごかったのに! 光がキラキラって、川とお兄ちゃんを包みこんでさ!」
ソラリスが困ったように微笑む。
(口止めはまた改めて、母親を通してするのがよさそうね)
少なくとも、今は心と体を休めるべきだろう。あんな目にあったのだから、クタクタになっているに違いない。
ソラリスは領主へ子どもたちに部屋を用意してほしいと伝えた。
「私も今夜は疲れたわ」
緊張の糸が切れたためか、ソラリスを睡魔が襲う。ふらつく体をレジナルドがそっと抱き寄せ、寄りかからせてくれた。
「お疲れ様です」
頭上でレジナルドの声が優しく響く。あまりの心地よさに、ソラリスはそっと目を細めた。
***
柔らかな日の光を感じながら、ソラリスは目を開ける。
「……あれ?」
見慣れた自室の天井でも、数日間宿泊していた宿の天井でもない。部屋の中を見回してからようやく、ソラリスは自分が領主の屋敷にいることを自覚した。
(私ったら、まさかあのまま眠ってしまったの……?)
恥ずかしさのあまりソラリスは両手で顔を覆い隠す。
まだまだすべきことは山程残っていたはずだ。それなのに、ソラリスはどのタイミングでどんなふうに眠ったかさえ殆ど覚えていない。普通に考えて、王族にあるまじき失態である。
「ああ、よかった。目が覚めたのですね」
と、ノックの後に部屋にレジナルドが入ってきた。ソラリスは急いでシーツを引っ張り上げると「見ないで!」とレジナルドに向かって言い放つ。
「そうは言っても、もう色々見てしまいましたし」
「色々? というか、見たって一体なにを……」
「ソラリス様がお休みになられて、もう三日ですから」
「えええ?」
レジナルドはベッドサイドの椅子に腰掛け、シーツの隙間からソラリスの顔を覗き込んだ。
「私、三日も眠っていたの? 本当に?」
「ええ。疲れていたのでしょう。ぐっすり眠っていらっしゃいましたよ。寝顔がとても愛らしかったです」
「なっ……! 見たの? 私の寝顔を?」
「生存確認のためですよ。俺はソラリス様の婚約者になる予定ですし、あなたの侍女からも『どうぞ』と勧められましたので」
困惑するソラリスの頭をレジナルドがそっと撫でる。ソラリスはさらにシーツを引っ張り上げた。
「それにしても三日も眠っていただなんて、信じられないわ。領主にも迷惑をかけてしまって申し訳ないわね……」
「まさか。ヘライジャの救世主に向かって迷惑だなんて思うはずがありません。領主はソラリス様に心から感謝していますよ。目が覚めたら盛大な宴を開くと意気込んでいました」
レジナルドがそう言って微笑む。ソラリスは「だったらいいけど」とため息をついた。
「……そうだわ! 町の様子は?」
ソラリスはハッ!とベッドから身を乗り出す。レジナルドはソラリスの手を握り、落ち着くよう促した。
「雨は一昨日のうちに止みました。氾濫が起きていた川の下流も現在では落ち着いております。ただ、近隣の住宅では浸水が起きたため、領主主導で復旧作業が行われています。土砂崩れも数件報告が上がっているようです」
「そう……」
やはり、全く無傷というわけには行かなかったようだ。ソラリスはシュンと肩を落としてしまう。
「けれど、ソラリス様が事前対策と避難を呼びかけてくださったおかげで、被害は最小限で済みました。なにより、人的被害は報告されていません。これだけの大雨、災害だったというのに、奇跡のようだと皆が喜んでいます」
レジナルドの言葉にソラリスは微笑む。
(よかった)
巻き戻る前は、この大雨で何十人もの人が亡くなってしまった。命は無事でも、経済的に大きな被害を受けた人もたくさんいた。ソラリスは過去の痛ましい記憶を胸に抱きしめながら、ふうと大きく息をつく。
「それから、これは非常に申し上げづらいことなのですが……」
「なに!? なにか私が想定していなかった被害があったの?」
ソラリスが困惑しながら身を乗り出すと、レジナルドは首を横に振った。
「いいえ、そうではありません」
「それじゃあ、一体なにが起こったの?」
不安で表情を歪めたソラリスの手をレジナルドが優しく握る。
「あらゆる事態を先読みして被害を最小限におさえ、子どもたちの命を助けられたのは『奇跡』としか言いようがないとヘライジャだけでなくフューエン地方全域で話題になっているのです。そして、その奇跡を起こしたのが誰なのかも――」
レジナルドがじっとソラリスを見る。ソラリスは大きく目を見開いた。
「私の名前が上がっているの?」
「はい。ヘライジャの町民たちは、ソラリス様が災害に備えた声かけをしてくれたことや、避難を促してくれたことをわかっています。領主も『今回の災害対策は全てソラリス様が主導してくれた』と謝意を評しているのです。それに」
レジナルドは言葉を区切ると、困ったように微笑んだ。
「子どもたちがソラリス様の起こした奇跡を証言して回ってまして」
「あの子たちが?」
ソラリスがハッと息を呑む。後で口止めをするはずが、三日も眠りこけてしまったせいで、すっかり後手に回ってしまった。どこまで話が広がっているかがわからない以上、今から箝口令を敷くのは難しいだろう。
「おかげで、地元の新聞に『ソラリス様は聖女だ』と記事が出回っているのです。屋敷の周りにも、ソラリス様にひと目会ってお礼を言いたいと、たくさんの町民たちが押し寄せています」
「そんな……!」
ソラリスの全身から血の気が引く。
「まずいわね。こういった事態を避けるため、レジナルド様との旅行を装ったのに……」
「申し訳ございません。なんとかしようと俺なりに努力したのですが、町民たちのソラリス様への想いが強すぎてどうすることもできず……。この話は間違いなく王都にも広まってしまうでしょう。もちろん、アニータ様にも」
アニータの名前を聞いた途端、ソラリスがビクッと体を強張らせる。レジナルドはソラリスへと向き直った。
「ここへ来る前に俺がしたお願い事を覚えていますか?」
「お願い事? ……っ!」
ソラリスがゆっくりと顔を上げる。
『もしも本当に大雨が降ったら、あなたの秘密を俺に教えていただきたいのです』
レジナルドの言葉を思い出しながら、ソラリスは静かに息を呑む。
「そろそろ教えてくれませんか? ソラリス様の秘密を」




