28.祈る相手
川の水は茶色く濁っており、ものすごい勢いで下流へ向かって流れている。倒木や大きな石が流されている様子が見て取れ、ソラリスは大きく息を呑んだ。
(今からでもレジナルド様を止めるべきなのかもしれない)
川に入れば無傷では済まないだろう。この状況では向こう岸に辿り着けたとしても、子どもたちを連れてこちら側に戻ってくることも難しいし、危険を冒させるべきではない。
「レジナルド様、やっぱり……」
レジナルドは静かに首を横に振ると、人差し指をそっと唇に当てた。彼はちらりと子どもたちの方を見て、困ったように微笑む。子どもたちは怯えきった表情をしているが、瞳には先程までと違い微かな希望の光が宿っていた。
大人が――レジナルドがこちらに来てくれる。それだけで心強いのだろう。
ザブ、と大きな音が響いた。
「きっつ……」
川に入ったレジナルドは、岸にしがみつきながら顔を歪めている。こんな激流の中では命綱を付けていても、その場に留まるのがやっとで、前に進むのは無理なのだろう。
「無理だ、戻れ」
ファルコンがそう声をかけたが、レジナルドは首を横に振った。彼はまだ諦めていないのだ。
ファルコンは眉間にシワを寄せながら、レジナルドの腕を掴んで引きずりあげようとした。
「まだわからないのか!? 今動くのは危険すぎる。戻れ」
「嫌です」
レジナルドは真剣な表情でそう答えた。それから彼は子どもたちに向かって「今行くからね」と微笑みかける。
(レジナルド様……)
ソラリスの瞳に涙が滲んだ。
レジナルドは水の流れに逆らって体の向きを変えると、子どもたちの方へ向かおうとする。けれど、ファルコンがレジナルドを離さず怒鳴りつけた。
「無理だと言っているだろう!」
「俺も嫌だと言っています」
「おまえの気持ちは十分わかった。私だって向こう岸に行って子どもたちを助けてやりたい。本当だ! だが、今はタイミングが悪い。ようやく雨が小ぶりになってきた。もう少し待てば川の流れも多少はマシになるはずだ。だから……」
「わっ!」
そのとき、子どもたちが大きな悲鳴を上げたため、全員が彼らの方を見た。二人の乗った枝がミシミシと音を立て、今にも折れそうになっている。
「助けて!」
「嫌だ! 怖いよ!」
子どもたちが叫んだ。二人して木の幹にしがみついているが、枝の様子を見るに、このままいけば幹から遠い方の子どもは下へ落ちてしまうだろう。しかも、先程よりも川幅が広がっており、落ちればそのまま濁流に飲まれてしまう。
騎士たちが「じっとするように」と叫んでいるが、パニックに陥った子どもたちに上手く指示が通っていない。
「離してください」
レジナルドがファルコンを振り払い、川を渡り始めた。だが、水流が相当重たいらしく、少しずつしか前に進むことができずにいる。
「くっ……」
「レジナルド様」
痛みから、レジナルドが呻き声を上げた。川の流れに逆らい、なんとか流されないよう踏ん張っているのが見てわかる。そんな状況だというのに、ソラリスは両手を合わせて祈ることしかできない。
(神様……)
どうか、子どもたちとレジナルドを守ってほしい。全員が生きてここから帰れますように――そう願うものの、不安のあまり心臓がバクバクと鳴る。
とそのとき、メキッと一際大きな音が響いた。子どもたちが乗っている木の枝が折れたのだ。
「嫌だっ! 助けてっ! お母さん! お母さんっ!」
子どもの一人が宙を舞う。レジナルドが先程よりもペースを早めたが、このままでは間に合わない。
「嫌よ」
ソラリスはグッと足に力を入れ、奥歯を噛み締めた。
本当は恐ろしすぎる光景から、目を逸らしてしまいたい。けれど、レジナルドは今この時も、子どもたちのために命をかけて前に進んでくれている。それなのに、ソラリスが後ろ向きなことを思ったり、諦めたりしてはいけない。
(だって私は、神の力を受け継いでいるのでしょう?)
ソラリスは自分の運命を変えられるだけの力を授かって生まれてきた。それは今、ここにソラリスがいることが証明してくれている。自分の運命が変わることによって影響を受けるのは、ソラリスだけではない。自分を通して、別の誰かの人生を変えることだってできるはずだ。
「私ならできる」
祈るべき相手は神ではない。自分自身に対してだ。
「止まって。――止まりなさいと言っているの」
ソラリスは大きく息を吸い川を凝視した。川に向かって右手をかざすと、手のひらから眩い光が溢れ出す。
光はこの辺一体を包み込み、キラキラと瞬いて川へと集まっていく。
「止まれ」
もう一度ソラリスが命じると、雨が止み、川の流れがピタリと止まった。落下した子どもも寸でのところで宙に浮かび、ギュッと瞑っていた目をおそるおそる開けてあたりを見回している。
レジナルドや騎士たちは呆然と目を見開いていた。なにが起こったのか理解が追いつかないのだろう。けれど、驚いている余裕など存在しない。
「なにをしているの! 急いで子どもたちを救出しなさい」
ソラリスの声にハッと我に返ると、彼らは急いで岸を渡り、子どもたちの元へと向かった。
「もう大丈夫だよ」
宙に浮かんだ状態だった子どもを抱き寄せてからレジナルドが言う。レジナルドはザブザブと音を立てて川を渡ると、ソラリスたちのいる岸へと辿り着いた。
もう一人の子どももファルコンが木から降ろし、同じようにこちらの岸へ運び終える。
「うっ……うわーーん! わーーーーん!」
二人はしばらくしてから、大声で泣き始めた。ようやく無事を実感できたのだろう。二人は互いを抱きしめ合い、喉が枯れんばかりに泣き叫んでいる。
(よかった)
ソラリスがホッとしたその瞬間、空からまた雨が降り始め、川の流れが元に戻った。
「ソラリス様!」
と、レジナルドがこちらに向かって走ってきた。
レジナルドはびしょびしょで、服はズタズタに切り裂かれており、ところどころ出血が見える。
(でも、生きてる)
ソラリスはレジナルドに触れ、鼓動を確認してから涙を流した。
「ちゃんと、戻ってきましたよ」
彼はそう言ってソラリスを抱きしめた。ソラリスは唇を引き結び、嗚咽が漏れないよう必死に堪える。
「レジナルド様のバカ」
ドン!と胸を叩いてソラリスが言う。レジナルドはなにも悪いことをしていない。それどころか、子どもたちのために頑張ってくれたというのに、なぜかそうしなければソラリスの気が済まなかった。
「不安にさせてすみません」
レジナルドはソラリスの髪をそっと撫でた。気を害した様子はない――むしろどこか嬉しそうだ。
「バカ……バカ」
雨音とともにソラリスの声が小さく響く。レジナルドはずっと笑顔で、ソラリスのことを受け止め続けた。




