20.旅行
王都からヘライジャまでは馬車で二週間かかった。
「ソラリス様、俺はもう二度と馬車に乗りたくありません」
「まあそう言わないで。馬車の旅も慣れれば楽しいものよ」
普段はなにがあっても涼し気な顔をしているレジナルドがゲンナリしている様子を見つつ、ソラリスは思わず笑ってしまう。
けれど、今頃王都でソラリスの公務を調整したり、両親を誤魔化すのを手伝ってくれている補佐官たちのことを思うと、手放しで楽しむわけにはいかなかった。
今回の旅行は完全に予定外のものだ。比較的公務の少ない時期とはいえ、ソラリスが参加を予定していた式典などが相当数ある。本来ならソラリスがそれら全ての調整をつけるべきだが、なにせ時間がなかったため、補佐官たちに頼らざるを得なかった。彼らはソラリスが『どうしても行きたい』と伝えると、快く引き受けてくれたものの、多大な迷惑をかけていることは間違いない。
旅の本当の目的を伝えられたら良かったのだが『これから水害が起こる』だなんて話しても信じがたいだろう。それに、どこからアニータにバレるかわからないため、これが最善の方法だった――少なくとも、ソラリスはそう思いたかった。
「せめて道中おしゃべりの相手でもいれば違ったんでしょうけどね」
「仕方がないでしょう? あくまで私とあなたは偶然同じ場所へ旅行に来た、というていにしたかったんだもの。馬車を分けざるを得なかったのよ。そうじゃないと、せっかく殆ど結婚を認めてくれたお父さまが態度を翻しかねないし、そもそも二人はレジナルド様がここにいることを知らないもの。今頃調査官から報告を受けているとは思うけど」
「まあ、国民の反応を想像しても、この対応がベストだったとは思いますけどね。どちらにしても、結婚前に俺と二人で旅行に来たということでソラリス様の評判は多少落ちるでしょうが」
「そんなの願ったり叶ったりよ」
そう返事をしたものの、ソラリスの胸がチクリと痛む。本当は誰かをガッカリさせたくなんてない。それでも、生き残るためにはこうするしかないと自分に言い聞かせた。
「さてと、どこから手を付けますか?」
「まずは領主に挨拶をするわ」
水害の日まで、ソラリスの記憶ではたったの十日しか残っていない。この期間にできる大掛かりな対策は非常に少なく、せいぜい土嚢の設置や補強をしたり、土砂崩れの起きやすい場所を調べて事前に避難を促すぐらいだ。とはいえ、農作物の収穫を促したり、排水路の点検や水嚢の設置を呼びかけることはできるし、なにもしないよりずっとマシだろう。
「では、領主様にこれから水害が起こることをお伝えするのですか?」
「……いいえ。現段階ではそれは得策じゃないわね」
おそらく信じてもらえないし、ともすれば笑い飛ばされてしまうかもしれない。
ヘライジャは緑豊かな町だ。けれど、人口も多く、ある程度都市機能が整っている。それなのに、水害が起こると伝えたら領主の心象が悪くなる可能性も高い。
「水害について伝えるのは一週間後にしようと思うわ。それなら、空や雲の様子を見て予想を立てたと伝えやすいし、信憑性が高いと感じてもらえるはずだから」
「なるほど……わかりました。では、領主様との挨拶では具体的にどんなことをお話になる予定ですか?」
「領民たちと交流したいと伝えるの」
ソラリスはレジナルドと向かい合い、そっと微笑む。
「直接話せば領民に対して水害対策を促すことができるし『余計なことをされた』と領主の気分も害しづらいと思うから」
「そうですか。ソラリス様は人気者ですから、領民たちも喜ぶでしょうね」
レジナルドの含み笑いを少しだけ不満に思いつつ、ソラリスは話を続ける。
「あわせて、町を自由に歩き回る許可も取るつもりよ。そうすれば、危ないところの点検もできるし。……まあ、土嚢の設置などは無断で進めてしまう予定なのだけど。そのために騎士たちも連れてきているし」
「承知しました。それでは、俺もそのように話を合わせます」
「ありがとう、そうしてちょうだい」
あくまでこれは『観光のための旅行』だ。けれど、上手くことを運ばなければ、ソラリスが領地に介入しようとしていることがバレてしまう。基本的に国は領地の運営について指図してはいけないという決まりがあるのだ。
「王族というのは案外面倒くさい立場なのですね」
「そうなの。早く降嫁して王族を抜けたいわ」
ソラリスの返事に、レジナルドは声を上げて笑った。
領主への挨拶は和やかかつスムーズに終わった。領主は三十代半ばの国外留学も経験したことのある男性で、二年ほど前に父親から爵位を受け継ぎ、妻と三歳の男の子と共に暮らしている。
彼の屋敷は小高い丘の上にあり、建物自体は古いが頑丈で広々とした造りだ。屋敷を見学させてもらいながら、ソラリスは『領民たちの避難場所に最適だな』とこっそり思った。
「本当に良かったんですか? 領主の屋敷に宿泊なさったほうが、安心して過ごせるでしょうに……」
領主の見送りを受けながら、レジナルドが言う。ソラリスは躊躇うことなく「ええ」と頷いた。
「ここに滞在しては色々と動きづらいんだもの。それに、せっかくの旅行だし人に気を使いたくないでしょう?」
「まあ、それは言えてますね」
と、レジナルドが唐突に手を繋いでくる。ソラリスは思わずレジナルドを凝視した。
「なっ、なに!」
「なにって、これは恋人同士の旅行なのでしょう? 少しぐらいそういうムードを演出してみようかと」
悪戯っぽく微笑まれ、ソラリスの頬が紅く染まる。
「け、結構よ。私はあなたにそういうことを望んでいるわけじゃないもの」
「わかってますけどね」
それでも、レジナルドは繋いだ手を離しはしない。ソラリスはムッとしつつ「女誑しめ」と内心毒づくのだった。




