第九話 痛くもない腹を探られる
「雑な仕事をするな」
二人は応接間を片付けているようだった。書物で本を読んでいたアレクシアは侍女の叱責の声が気になり、二人の様子を見にいけばそこには厳しい顔で新米のメードを見つめるデルマと、ふて腐れた顔の新米メード――サーラが立っていた。
「あたしはちゃんとやりました」
「ちゃんと?」
サーラの反論に片眉を上げれば、デルマはつかつかと背の高い棚に歩み寄る。その手には塵払いが握られていて、それで棚の上をひとつ撫でれば、ふわふわと埃が宙を舞う。
「これがお前の言う、ちゃんとやった、なのか?」
デルマの声は冷たい。しかしサーラはふい、と顔を背けて口を引きつらせるばかりだ。
「そんなところ、誰も見てないからいいじゃないですか……。床も、窓も、キャビネットも、ローテーブルもきちんとやりましたよ。どう見たって、ご主人は満足するはずです。早く次の部屋にとりかからないといけないのではないです?」
「お前の認識は間違っている。……見えてなくても埃は溜まる。それを無視するのは仕事の放棄だ。やりなおし」
デルマが命じればサーラは無言で彼女の手から塵払いを奪い取った。踏み台を使って、棚の上をばたばたと払う。瞬く間に宙に埃が舞い踊り、アレクシアはくしゅん、とくしゃみをした。その音に二人がはっとそちらを見れば、口元を抑えたアレクシアは小さく謝罪した。
「ごめんなさい、邪魔をしたわ」
「なにしにきたんですか」
「サーラ!」
「ああ、さいですか、仕事の出来ない私を叱りに? でも今は棚の上の埃をやっつけるのに忙しいです」
「叱るだなんて……っしゅん!」
「アレクシア様、埃が酷いので書斎にお戻りください」
サーラの持つ塵払いの動きは激しい。ばたばたと苛立ち紛れに見えて、結果として埃が無遠慮に舞っている。これでは折角綺麗にした場所も、拭きなおさなければならないだろう。
「二人とも、手伝うことある?」
「いけません、アレクシア様。これは彼女の仕事です」
アレクシアの申し出を、デルマはきっぱりと断った。そう、と小さく頷けばデルマは主人に外へと出るように促した。
「サーラ、本当に終わったら……報告を」
デルマの言いつけに、サーラは無言だった。それを責めるでもなく、デルマもアレクシアと共に部屋を出る。ぱたん、と静かに扉を閉めれば小さくため息を吐いた。
「先が思いやられます……」
「……追い出さないわよね?」
「それを決めるのは貴女ですよ。その口ぶりからすると考えもしていないでしょうが……」
二人は応接間のドアを離れ、書斎に戻った。革張りのデスクチェアに腰を落ち着けた主人を、デルマはちらりと見つめ、口を開いた。
「まさか彼女が本当にメードの仕事だけをしに来たなんて、思っていないでしょう?」
「ええ……そうね。彼女の目的はきっと別よ」
「おおかた、村の誰かに言われてこちらを探りにきたのでしょう。私たちを黙らせるなにかをね」
「……困ったわね、今のところ何もないわ。あるのは……身に覚えのない罪だけ」
アレクシアの言葉にデルマは苦笑いを浮かべた。それでも彼女は、あの新米メードへの警戒を怠るつもりはないらしい。一方アレクシアは、やや楽観的であった。というのも、村の人間がこちら側にやってきたことを幸運と考えているのだ。
「むしろ……これはチャンスよ。彼女から村のことを教えてもらえるかもしれない」
「彼女が何か、知っていますかね?」
「それは聞いてみないと分からないわね。……でもね、デルマ」
「はい?」
アレクシアが小さく首を傾げ、微笑む。その眼差しにはただ一人の侍女に対する信頼の情があった。
「あなたなら、彼女の気持ちが分かるはずよ」
「…………」
「彼女のこと、お願いね」
「命令ですか?」
短く問うデルマにアレクシアは肩を竦めた。
「そうね、そうかも。でも私は貴女を信頼しているから。これ以上口を挟むことはないわ」
「…………仰せのままに」
デルマが一礼して、書斎を出て行く。これ以上、サーラの処遇に対する議論は必要ないと結論づけたようだった。ぱたんと軽い音とともに扉が閉まり、アレクシアはゆるりと天上を見上げる。家のことは二人に任せる、そう決めていた。ならば自分がやるべきは、別のことだ。
◆
この一日で屋敷は随分と片付いた。デルマがやり直しを命じた応接室は勿論、廊下、厨房、食堂兼居間、二階の客室のいくつか……おおよそ人を招いても問題はない程度になった。あとは物置や外――中庭や使用人たちが使う裏庭を手入れするぐらいかもしれない。
「すごい、新築みたいね」
「それは流石にあり得ません、アレクシア様」
目を輝かせながら屋敷を見て回るアレクシアに、デルマが指摘する。その隣ではサーラがげんなりとした顔で突っ立っていた。疲労困憊、と言いたげに。
「中庭もいつか整えたいわ。枯れたものを片付けて、新しいお花や木を植えて……」
「…………」
夕暮れに沈む、枯れた植物で荒れきった中庭を廊下から眺めながら呟いたアレクシアの言葉に、サーラが片眉を上げる。何を言っているんだか、と呆れた顔をさせていると、アレクシアは彼女に振り向き、その手をとった。
「はえっ!?」
「サーラ、一生懸命掃除してくれたのね。私とデルマだけじゃ、もっと時間がかかったわ」
「は……はぁ……?」
「お腹減ったわよね、ご飯にしましょう。デルマ、今日は何にする?」
「パンとスープ、あとはウサギの肉を用意しています」
「あら、いつの間に?」
「水汲みのさいに、運良く捕まえました」
ほら、行きましょう。アレクシアがサーラの手をそっと引いた。分かりましたから、サーラはその手を軽く払ったが彼女の主人は嬉しそうに微笑んだ。
なにさ、こいつ。
サーラの心持ちは、穏やかになれなかった。
王都から来た碌でもないあばずれだと、サーラは恋人から聞いていたから、どれほど酷い女主人なのかと思っていたのに。蓋を開けてみれば、こんな奴だ。ちょっと怒らせてやろうと憎まれ口を叩いても怒らない。自分がどういう目的でここに来たのか、まったく気づいていないのではないか。
王都から来た人間は狡くて、あたしたちを人間とも思わない。そんな人間が領主になったのだから、今でも惨めな生活を送っているヌッツロースはもっと酷くなる。恋人はあたしにそう言って、だからあのあばずれの弱味を握ってこいと命令してきた。――それなのに、あたしの目の前にいる、その〝あばずれ〟は……。
「サーラ?」
「…………え、あたしもですか?」
「ええ、そうよ。一緒に食べましょう。昨日はばたばたして、一緒に食べれなかったけど……私たち、いつもそうしてるの」
「ええっと……」
「好きにしろ」
デルマはサーラに短く返したが、仕事で叱咤していた時よりも声色は柔らかい。そう言いつつも彼女は鍋からスープをよそい、アレクシア、サーラの順にそれを配膳した。
「だって三人だけよ、一人で食べるのは寂しいわ」
硬いパンと具の少ないスープ、小さなウサギ肉を焼いたもの――ひとかけ、ふたかけを前にアレクシアは上機嫌だ。王都ではもっと豪勢なものを食べていたに違いないのに、彼女は不平ひとつ言わない。
食事は穏やかに進んだ。アレクシアとデルマが交わす会話は、サーラには難しく、あまり理解出来ない。居心地の悪さを感じながら、黙々と食べる。
(ゲルトは、こいつらから弱味を握ってこいって、なんでもいいから〝情報〟をもってこいって、言うけど……)
あたしみたいな馬鹿に、二人の話していることなんて分かるわけない。この村の〝レキシ〟についての把握をしたい、とか〝コウエキ〟をするためのツテ、だとかさっぱりだ。
(…………でもちゃんと、ゲルトに教えないと怒られる)
ゲルト――サーラの恋人は怒ると恐ろしい。彼を怒らせた時のことを想像して、サーラはぞっとした。なんとしてでも、この二人の弱味か何かを掴まなければ。
「サーラ?」
「なんでもないです」
つっけどんに返して、スープを飲む。塩をきかせただけの温かなそれに、サーラはほっと息を吐いた。
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