第十話 棘
――私はアレクシアの部屋を掃除したいのに!
あくる日、サーラはぶすくれながら厨房を片付けていた。
床を水拭きし、竈の灰を捨てる。朝食で使った皿を水で洗い、きれいな布巾で拭いていくが、それはサーラにはまったく意味のないことだった。床を拭いても、皿を拭いても、サーラの目的は達成されないからだ。
(ゲルトが持ってこいっていう情報があるのって、ぜったいアレクシアの部屋だ! だって、アレクシアは一日中そこに引きこもってる……。何かを隠してるに違いないさ。そこさえ入ることができたら、ゲルトが欲しいものは見つかるはずなのに……!)
朝一番にサーラは箒を持ってアレクシアの書斎を訪れた。お掃除しますんで、と澄まし顔のサーラに、アレクシアは嬉しそうに笑ったものの、首を横に振った。
「ありがとう、でも大丈夫よ。書斎は自分で片付けるから」
「で、でも掃除はあたしの仕事です。デルマさまも言ってましたよね? あたしは仕事をしないといけないんです」
「ならばまず、昨日も伝えましたが朝は厨房を掃除しなさい。この部屋は仕事のうちにいれなくていい」
「なんでです」
「ここに来る前から、ずっとそうしてるの」
「あたしを信用していないってことですか」
「サーラ、あなたを〝信頼〟しているわ。決められた仕事をこなしてくれるって」
アレクシアが微笑むのに、サーラは軽く唇を噛んだ。デルマが仕事にかかりなさい、ともう一度促してくるので、引き下がるしか無い。
(どうにかして、ちょっとでも情報を手に入れなきゃ……ゲルト、今日の夜に報告しにこいって……)
思わずため息を吐く。焦りばかりが積もり、サーラは泣きそうだった。
「掃除は出来たか?」
「っ……!」
厨房に入ってきたのはデルマだった。どうやら彼女は水汲みに屋敷と川を何往復かしていたようで、両手に水桶を提げている。それを部屋の隅に置いた大きな水瓶に入れて、デルマはちらとサーラを見た。
「出来たのか、と聞いているのだが」
「でっ、出来ました!」
「よし。では今日は中庭を片付けるぞ」
「ええっと、休まないんですか? 水汲みから帰ってきたばかりですよね」
「必要ない」
来い、と有無を言わせず命じられた。
◆
まずはこの女をどうにかしなければいけない、とサーラは思い直した。
アレクシアの侍女、デルマのことである。
サーラは今、彼女と中庭の片付けをしていた。
前のあるじが健在だったときは美しい憩いの場だったろうに、今は枯れた植物に覆われていて、見る影も無い。真ん中に佇む木だけは奇妙なことに花をつけていた。
サーラは枯れた植物を鎌で刈り取りつつ、少し離れたところで同じく植物を刈るデルマを盗み見ていた。カラスの羽のように黒い髪。あの冷たい金色の目つきで睨まれると、むかむかする。すらりと背が高い。何を食べたらあんなに無遠慮に育つのさ?
(アレクシアは王都の貴族なのに、なんでヤトルカ人をそばに置いてる?)
負け犬ヤトルカ人は乱暴で、頭が悪くて、奴隷ぐらいにしかする価値がないってゲルトが言っていた。そう、ゲルトはデルマのことを笑っていた。
――あの生意気なヤトルカの女……どうせ領主様の奴隷さ。二束三文で買われたんだろうよ。またそうしてやりゃいい。
だからデルマが自分のことを侍女と言ったとき、サーラは驚いた。そんな筈はない。彼女は二束三文で買われた奴隷に違いない。ヤトルカ人は傲慢だから、否定してるだけだ。
――デルマは奴隷じゃないわ! 私が信頼を置いている侍女です!
でもアレクシアはきっぱりとそう言った。侍女って、貴族様のお世話をする人。
ヤトルカ人に?おかしい。ヘンだ。でも確かに、アレクシアとこの女の仲は良い。アレクシアはデルマを〝信用〟してる。あたしよりも?
気に入らない。
「荊の棘に気をつけろ」
デルマの言葉を、サーラはほとんど聞き流していた。目の前の草を鎌で刈り続けながら、サーラはデルマに疑問をぶつけた。
「アレクシア様って変わってますね」
「……どういう意味だ?」
「だってメードに部屋を掃除させないし、ヤトルカ人を侍女にしてる貴族なんて、初めて見ました」
サーラのわざとらしい嫌味に、デルマは小さく息を呑んだ。つかの間の沈黙が二人に落ち、サーラはこの女がどう怒るか、出方を窺った。
「……そうだな」
サーラの予想に反して、デルマの声色は平坦だった。怒らないことに内心驚きながら、サーラは次の言葉を探した。
「まあ考えてみたら、追放されたお嬢様に着いていく人間なんて、そういうのぐらいしかいないか」
「お前のあるじの名誉の為に言うが、あの方の侍女はずっと私一人だ」
「どうせあんたが、他の女を蹴落としたんでしょ?」
「そんな無粋な真似はしない」
サーラの挑発をデルマは一笑に付した。サーラはますます気に入らなくて、次の枯れ草を掴む手に力が入った。――瞬間、鋭い痛みが指先に走った。
「いっ……!」
刈った枯れ草に赤い雫が落ちる。サーラの声に驚いて、立ち上がったデルマが傍に駆け寄ると、彼女は手を押さえていた。育ちすぎたまま枯れた荊の大きな棘が、彼女の手に刺さっている。サーラの荒れた手は一筋の赤に濡れていた。
「大丈夫か?」
「ッ、触らないで!」
デルマが跪き、サーラの手を取ろうとすれば悲鳴に似た叫びが中庭に響いた。デルマの手はぴたりと止まり、遠くから足音が聞こえてきた。
「二人とも、どうしたの?」
「サーラが荊の棘で怪我を」
「たいへん! 包帯をとってくるわ!」
「アレクシア様、塗り薬もです!」
慌ただしく去るアレクシアの背に叫んでから、デルマはサーラの震える手を取った。ひ、と小さく息を呑む声がしたが無視して、深く刺さってしまった棘に触れた。
「……少し痛むぞ」
小さく呟いて、デルマはその棘を抜いた。そこからぷっくりと赤い血が、あふれ出すが抜けた時の痛みはほぼ無かった。
「持ってきたわ」
「ありがとうございます」
「棘は中に入り込んでいない?」
「ええ、幸いにも」
アレクシアが持ってきた水で傷口を洗い、丁寧に拭いてから塗り薬を塗る。いくつかの傷を処置していくデルマを、目を丸くしながらサーラは見つめていた。
(わかんない……)
「サーラ、すぐに治るわ。デルマの作った薬はよく効くの」
「今日はもう終わりにしましょう。よし……」
細い包帯を巻き終わり、デルマが一息吐く。アレクシアも頷き、サーラに首を傾げた。
「サーラ?」
何も返さず、サーラは勢いよく立ち上がった。持っていた鎌を落として中庭から走り去る。ぽかん、とした顔でアレクシアがその姿を見送れば、デルマは一つ息を吐いてサーラが受け持ってたところを眺め、無言で草を刈り始めた。
◆
夜闇の中、影が二つ。
一つは男、一つは女。鋭い金色の目はそれらをじっと眺めていた。
「結局なんにも分かっちゃいねえじゃねえか!」
「ご、ごめんなさい……あたし、わかんなくて……棚とか見たけど、何て書いてるか分かんない本ばっかりだし……あの人の部屋は入っちゃダメって……」
鋭く頬を打つ音とともに小さな影は地面に崩れ落ちた。
「お前はばかで、なんにもできやしねえ! いいか、何をしてでも情報を持ってこい! あいつらを領主から引きずりおろせるようなやつだ! でっち上げたってかまわねえ!」
「あ、あのね、ゲルト……あたし、……」
「次に会うときに情報を持ってこなかったら……お前、分かってるな?」
女の影がびくりと跳ね、男は去って行った。月明かりの中でよろよろと女は立ち上がり、そして頬を押さえながら去って行く。
「…………」
小さく息を吐く。夜空に浮かぶ月を見上げ、そしてデルマはその場を静かに去った。
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