第七十九話 新しい季節
「こんなところにいらっしゃいましたか」
冬のあいだ、眠っていた土を起こしていく農夫たちを眺めていたクラリスは、呼びかけられてそちらを向いた。そこにはメードのサーラが立っている。
「村の人と話していたの。随分暖かくなったから、皆張り切ってるわ」
「いいですね。……ツチラトさんが呼んでらっしゃいますよ」
「ええ、すぐに行くね」
促されて歩き出すクラリスの足取りは軽やかだ。厳しい冬を無事に越した喜びが、そうさせている。村の者たちもそうだった。春とはそういうものだった。
「あっ、フェリクス!」
「おはようございます、クラリス様」
屋敷へと戻る途中で、見回りに向かう騎士団と出会った。先頭のフェリクスは二人を見るなりぱっと顔を明るくさせて、騎士の礼をとった。
「今から見回り?」
「はい、暖かくなり魔獣たちも目覚める時期になってきたので、見回りを強化しようかと」
「そっか、いつもありがとう! あとで家に来るよね?」
「ええ。私もツチラト殿に呼ばれているのです」
フェリクスが頷き、そしてふとサーラを見やった。彼女ににこりと笑いかけ、言葉を続ける。
「すぐに帰ってきますよ」
「……早く行きなよ」
サーラがついと顔を背け、手をひらひらと動かす。彼女の顔は心なしか赤い。そんな彼女にフェリクスは上機嫌で、それでは後ほどと言い残し、部下達を伴って馬で駆けていった。
「ふふ……」
「な、何笑って……」
「だってフェリクス、とても分かりやすいもの! あなたと会えたのが嬉しかったのね!」
「っ……べ、別に毎日顔を合わせてるんだから、どうということないでしょう! あいつも団長なんだから……あんなゆるんだ顔して……!」
早口でまくしたてるサーラにクラリスはくすくすと笑った。今、サーラは屋敷に住み込みでクラリスに仕えているが、きっとこの調子だとそう遠くないうちに――あの立派な騎士が彼女を迎えにくるだろう。
広場を通りすがる。朝早くから賑わっている。水を汲みに来た村人たちは、井戸を囲んでおしゃべりをしている。相変わらず井戸には美しい花が咲いて、その水の清らかさを誇っているようだった。
クラリスが立ち止まり、その光景を眺める。サーラもその隣で静かに見守っていた。やがて小さく頷きあい、二人は屋敷へと歩き出した。
◆
「サンクラモー地方のナザリオさんから書簡が届いた」
既に執務室にいたツチラトが出してきたのは、封筒だった。クラリスはその封を開け、中身をあらためる。しかし、難しい言葉で書かれたそれを理解するにはまだ難しかった。
「先に読ませてもらった。要約すると……石化現象が止まって数ヶ月。向こうのお偉方はようやく王都への調査隊を出したらしい。ま、誉れある一番槍ってとこか」
「王都はどうだったの!? お姉さまとデルマは……!」
「……結論から言うと、王都には入れなかった。王都周辺の地形は著しく変わっていたんだと。地面が隆起し、こちら側と分断するような深い谷が出来ていた。そこに王国の雪解け水が流れ込んでる。……橋をかけるにしてもかなり難しいだろうな」
「そんな……」
ツチラトの言葉にクラリスは愕然とした。自分に統治権を譲ってから姉はすぐにこの村を去った。信頼のおける侍女を伴って。クラリスは止めた、しかし彼女――アレクシアは全てを承知の上だった。
――きっと戻ってこられない。だからあなたに、この村を託すわ。
――大丈夫。ツチラトもフェリクスも、それにサーラもいる。あなたなら出来るわ。
――この村のことをお願いね。もし私が帰ってこられたなら……もっと良くなった村を見せて。
――さようなら、クラリス。私のかわいい妹。大好きよ。
そう言い残してアレクシアは王都へ向かった。翌日、大雪が降ってついにヌッツロースは冬を迎えた。厳しい寒さに耐え忍びながら、村の者達は春を待った。
「調査隊には聖女も含まれていた。石化してしまう……ってのは無かったんだが、どうやら彼女の見立てでは王都全域に異常な濃度の万物素が漂っているらしい。おそらく王都に入っても、並の人間じゃ数秒も持たないな。すぐに気を失っちまう」
「……それじゃあ、お姉さまとデルマは……」
執務室に沈黙が降りる。ツチラトもフェリクスも、サーラも、皆俯き、苦しげな顔をさせていた。誰一人として言葉を返せないことをクラリスは悟り、そして俯いた。ツチラトの沈黙が何よりの証拠だった。
「……わからない。調査隊は王都に入れなかったからな。王都とこちら側を、物理的に分断するような何かが起こったのは確かだ。そして、おそらくその分断が起こったと同時に……王国各地で発生した異変が止まったことも……確かだ」
「……希望的観測に過ぎません。しかし、彼女たちは……やり遂げたのではないでしょうか、ツチラト殿?」
フェリクスが静かに言葉を向ける。ツチラトはゆっくりと目を瞑り、曖昧に頷いた。
「それも分からん。恐らく調査は続けられるだろうな。万物素の濃度が濃くなるのか、それとも薄くなって、いつか王都へと入ることが出来るのか……今はまだ分からない。異変が本当に無くなったのかも、不明だ。……だが、オレはフェリクスの希望的観測の肩を持ちたい」
「そ、そうだよ……アレクシアとデルマなら出来るよ! だってこの村を蘇らせたんだ。きっと二人が異変を止めた! そう思おうよ、皆……そうじゃないと……私たち……」
徐々に小さくなっていくサーラの声を聞きながら、クラリスは窓の外を見た。ヴェルヴェーヌの葉が、朝露に濡れている。アレクシアはあれを指さして、近くの山の精霊に貰ったのだと語っていた。彼らがここに、清らかな水を運んでくれているのだ、と。
「…………ねえ、皆」
クラリスはぽつりと呟いた。サーラがはっと顔をあげ、自分の主人を見つめる。クラリスは三人に振り向き、口を開いた。
「私も信じるわ。お姉さまたちは、やり遂げた。この国を救ったのよ。だから……今度は私たちの番。……そうよね?」
「クラリス様……」
「ああ、そうだな」
「ええ、お二人に恥じぬようにせねばなりませんね」
三人が頷きあい、クラリスはそっと微笑む。大丈夫、きっと出来る。
姉が、私たちを信じてくれたのだから、私も信じている。
きっと彼女たちは――。
第七十九話をお読みいただきありがとうございます!
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