第七十七話 封印
回路を巡っていた〝声〟は、既に届かない。
どうやらここが端末処理――アクリの核らしい。基幹――ケファリは周囲を走査した。無。本来ならば己がアクリに付与した権限や情報が記録されているはずであるのに、検知出来ない。
――……異常、検知……重大な……不具合……。
ケファリは微かな情報を検知し、もう一度走査した。反応したそれがアクリだと判断するのには一秒も満たなかった。
――端末処理アクリへ、応答を指示。
――……応答…………敵対的不適切事象を検知……遮断………………不可。
アクリが送信してくる情報は断片的で、正常性を喪失していた。しかし破損した端末処理がどこにあるのかを判断するには充分だった。
――……大聖域及び上位子機エリーズの不具合…………敵対的不適切事象……権限の侵犯……致命的誤認識…………機能不全…………上位子機エリーズの越権行為……。
断片的な情報で、ケファリは結論を導き出した。
つまりアクリの機能が喪失した理由は、侵入した筐体――大聖女像の元となった個体が、不具合を発生させたからだ。……かつて、アクリが己――基幹にそうしたように。
――……処理端末の修復は不可能。削除を指示。
――……否定。修復。……不可。否定。異常。異常を排除。不可。上位子機に対応を要請。応答なし。下位子機に対応を要請。応答なし。上位基幹に――。
――全権限を剥奪。
ケファリは宣言する。
大祭壇を巡っていた光の粒が一斉に輝いた。
『え、ええっ、なんで……?』
大聖女は狼狽えた声を出した。この完璧な身体の中に満たされていた祝福の力が失せていくのを感じ取ったからである。
『何が起こったの!? アレクシアさん、あなた何か……え、いな……い……? うそ……』
アレクシアの気配を見失い、エリーズは彼女を探そうと、再び大祭壇に力を巡らせようとした。しかしそれも出来ず、静謐だった空間は秩序をなくし、光を不規則に明滅させている。
『ヨナーシュ様、あなたが隠したのですか!?』
『チガウ、オレハナニモ……!』
エリーズは己が踏みにじっている足元の悪魔を詰った。しかし悪魔――ヨナーシュは否定し、彼女の足の責めに苦悶の声をあげるのみである。
『嘘をつかないでください! あなたがアレクシアさんになにかしたのでしょう!? この期に及んで――!』
『アアアァアア!? ヤメロ、ナニモシテイナイ! ……イイカゲンニシロ、エリィズゥ!』
悪魔像が激しく震え、大聖堂全体が地鳴りを起こす。幼少時から美しいと誉めそやされてきたヨナーシュの顔に、びしりと罅が入る。彼の額から伸びた角にも亀裂が走った。
『オマエナド大聖女デハナイ! 騙シタナ、コノオレヲ……コノ国ヲ……!』
『なっ……何を言っているのです! 私は絶対に大聖女なのです! 私こそ、この国を幸福に導くただ唯一の――!』
悪魔像を踏みしめていたエリーズの足――その白く美しい甲が音を立てながら罅を走らせていく。己の足の異変に、エリーズは悲鳴をあげた。
『ああ……いや、どうして? ヨナーシュ様ッ、なにをしているのです!? 私の足が……待って、どうして、どうなっているの? 待って、壊れちゃう……! あ、アクリ様、アクリ様……!』
『呪われろ、エリーズ! 地獄へ落ちろ、偽聖女!』
ヨナーシュの声と共に、聖女像の全身に大きな亀裂がひとつ走り、聖女像の美しい身体を損なっていく。
『わ、私ッ……私は――!』
音を立てて聖女像は崩れていく。
絹を裂くような悲鳴と、地獄の底から響くような断末魔が大聖堂に響き渡り、無数の亀裂が白い巨躯を這い上がっていった。
次の瞬間、天井まで届かんばかりの聖女像は悪魔像を巻き込みながら轟音とともに崩れ落ち、白い土煙が大祭壇を覆い尽くした。
静寂。
声を上げる者のいなくなった大祭壇、その床には大穴が出来ていた。
そこには禍々しい色をさせた万物素――それは王都全域から集められたものだった――が、渦巻いている。
万物素の渦と混ざり合っていた〝それ〟は、波が揺れる感覚と共に、意識を浮上させた。
――断片情報を取得。再構築。アレクシアへ、応答を要請。
『…………けふぁり、……?』
――良好。再構築を待機。
『わたし……』
――状況報告。基幹は処理端末より権限を奪還。同時に聖女像、悪魔像の崩壊を確認。像の真下より万物素の貯蔵槽が露出。……現在、アレクシアは貯蔵槽内に保管中。
『……わたしのからだ……もう……』
――肯定。形状を維持出来ず、白泥状の万物素として存在している。
『……このままなの……?』
――否定。基幹はアレクシアに要請。貯蔵槽に危険な兆候を観測。急速に活性化している。このままではここから溢れ、王都、更に王国全域に侵食する。……その場合の被害は予測不可。
『……わたしはなにをすればいいの……?』
――この貯蔵槽の封印。個体名アレクシアが保持していた護符を核に、封印端末として再構成する。……唯一の方法。
『…………そうすれば、みんなをまもれる?』
――肯定。しかし個体名アレクシアの固有……自我は消去される。
『……わたしの、こころ……?』
――基幹の結論である。人間の精神、自我は端末化への耐久性を持たない。封印の安定に、自我の消去処理は必要である。
『つまり……わたしがわたしのままだと……エリーズみたいになる。……そういうことね』
――承諾を要請。……故に謝罪する。
アレクシアは揺らぎに身を預け、暫く黙した。
ほんの少しだけ、自分が夢を見ているのではないかと考えた。これは夢で、起きればヌッツロースのあたたかなベッドの中なのでは、と。
些細な逃避で、しかしそれもすぐに意識に溶けた。
彼女の意識には、様々な声が聞こえていたのだ。その殆どが、王都や聖女への怨嗟や嘆きの声だった。それが全てを飲み込もうという意思を持つだろうことは、手に取るように分かった。――彼らは、彼女をも滅びの願望へと誘っていた。
だが、アレクシアは不思議とそんな気になれなかった。同時に、ケファリがやろうとすることに、乗ってみようとも思えた。……ここまで来てしまったのだから。
『…………いいわ、〝了承〟する』
――謝辞。封印後の運用は基幹が継続する。
不意に、胸が熱くなるような心地にアレクシアは目を細めた。大聖堂の薔薇窓から光が差し込んでいるのが見える。
――個体名アレクシアを封印端末へと再構成。
白泥だった己の身体が持ち上げられ、己の輪郭が浮かび上がる感覚がした。しかし、手も足も動かせない。
そしてすぐに、己の背から何か――根のようなものが伸びて、それが大穴を塞ぐのを感じた。怨嗟の声が一瞬、大きくなったがすぐに聞こえなくなった。
『……けふぁり』
――応答する。
『ひとつだけおねがいがあるの。……わたしのかみかざり……ヴェルヴェーヌの髪飾りは、つけておいてね』
――承諾。まもなく自我の消去を開始する。
ゆっくりと目を瞑る。ひどく眠たい。薔薇窓から差し込む柔らかい光が、どうにも眠たくさせるのだろう。きっと夢なんてみないぐらいに、深く――。
「アレクシア様!」
彼女が来た。そう思った瞬間、アレクシアは意識を落とした。
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