第七十六話 望み
ほんの一瞬、意識を失っていたらしい。気がつくと白い床にアレクシアは下ろされていた。……否、床ではなく手のひらだ。白くひんやりとした手のひらの上に、アレクシアは倒れていた。
「……っ……」
身を起こしせばあばらが痛む。痛むところに手を当て、周囲を見渡せば、巨大な聖女像――エリーズの横顔が視界にはいった。
『大丈夫ですか? 少し強く握っちゃったかも……ごめんなさい、あなたを傷つけるつもりなんてないんです』
「……」
『あなたはもう私のもの……既に変換は始まっています。楽しみですね、アレクシアさん。これであなたの望みは叶います』
――異常。深刻な侵食を察知。……遅延させる。
身体に違和感を感じ、アレクシアは足元を見た。
――つま先が溶けて白い泥のようになっている。思わず小さく声をあげ、足を動かそうとしたが微動だにしない。
『まずはあなたを万物素の塊にしてあげます。それから、私の力で聖杯にしてあげましょう。大丈夫、怖がらないでください。この役割はあなたを幸せにするのですから』
「……私、終わりなの……?」
『いいえ、はじまりです。あなたは新しい姿に生まれ変わるのですから』
――否定。大聖女像に直接触れることで、接続が可能となった。基幹は今、個体名アレクシアの万物素化を遅延させながら、内部を解析している。……だが非効率。
「……お願い、間に合って」
『? 侍女さんのことですか? あの人どうしようかな……もう柱は壊れちゃったし……あっ、そうだ! 聖杯を置く台座にしてあげるのはどうでしょう? ほら、私とヨナーシュ様みたいじゃないですか? 我ながらとてもよい考えです!』
――処理端末、現状検知不可。処理端末を発見できなければ、権限の奪取は不可能。解析結果、膨大な万物素。全てこの聖女像の個体由来。
「……アクリ様を取り込んだ?」
『ああ、アクリ様! 大神様は私にこの世界の全てを任せると言ってくださいました。この世界が正常に、幸せになるように……そう、あの方は私に全ての力をお譲りくださったのです!』
――重要情報取得。状況は悪い。
つまり、エリーズは大神アクリの権限――力を持っているのだ。
だから王都一帯を変貌させることが出来た。大神が自ら譲ったのか、それとも彼女が奪ったのかは不明だが、彼女を放っておくとまずいことになる。それだけは分かる。
「……私を気にしないで、彼女を止めて」
『そんな悲しいことを言わないでください、アレクシアさん。ずっと侍女さんと一緒だったんでしょう? あの方を王都の民たちと同じにするだなんて、申し訳ないです。待ちましょう、きっと彼女は来てくれます! 望みを捨ててはいけません』
――……承諾。個体名アレクシア、基幹は協力を要請。……護符の提示を求む。
アレクシアはもう一度、己の脚を見た。
膝あたりまでの感覚はもう無い。護符という言葉に、村の皆から貰ったものを思い出して懐に触れる。祖母と同じ紋章を刻んだ護符。
……竜骨で出来た札の形をしたそれは先ほどの衝撃で、真っ二つに割れていた。
(また壊された……皆の……)
胸を締め付けられながらそれをまじまじと見つめる。エリーズはアレクシアの持つものに気がついていないようである。
――護符の破損を確認。……しかし活用は可能と判断。それを〝鍵〟として強制的に接続する。……アレクシア、再度協力を要請。内包する全万物素を護符に付与し、聖女像への接続処理を実行してほしい。
「それって……」
――……警告。実行後、アレクシアの個体形状は崩壊する。
「……簡単に言うわね、あなた」
――謝罪。代替案は皆無。即時の実行を要請。
「……」
アレクシアは一度、大きなため息をついた。手の内の護符はまるで短剣の刃のように割れている。それを数秒、ぼんやりと見つめて、アレクシアは頷いた。
「それがあなたの望みね?」
『……あの、さっきから誰と喋ってるのですか? アレクシアさん、怖いのですか……? 全然万物素にならないんです。あなたが拒んでいるから……ああ、ほら、こう考えてみてください。あなたは永遠に祝福を与える側になるんです! 私が大切に扱ってあげます。もうこの悪魔がしたみたいに、あなたを蔑ろになんてしません! だから役割を受け入れて――』
「エリーズ」
アレクシアはエリーズの言葉を遮った。顔を上げ、彼女の横顔を見据える。
「言ったでしょう、私はもう役割を与えられるような人間じゃないって」
『えっ……』
「そして私は、あなたに何も与えないわ。……あなたの望みなんて、叶えてあげない」
重たい腕を震わせながら持ち上げれば、ぼたりと、何かが溶け落ちる感覚がした。息が苦しい。己を乗せる白い肌を睨み付け、アレクシアはぎり、と奥歯を噛んだ。
手の内の護符の破片を強く握り、渾身の力で白い肌に振り下ろす。石の肌に、護符の先端が刺さる感覚と共に己の万物素を流し込む。再び身体が崩れていき、意識が遠のく。
『えっ、えっ、なに……?』
エリーズの声が戸惑いに染まり、大祭壇がざわめくように明滅する。
――最深部侵入成功。処理端末の核を発見。修復開始。
『なにをしてるの!? あなたは誰?』
――世界の基幹たるもの。
『なに、だれ、基幹? アクリ様? ……違うわね? あなた、悪魔でしょ!』
――否。
無機質な声が響き渡る。
「ケファリ……お願い……」
『やめなさい、私は大聖女よ! やめて、入ってこないで――』
「この子を止めて」
――承諾。
目を瞑る。自分の身体が、もはや人の形をしていないことは理解できた。
真っ白な、溶けた泥のようなもの……今のアレクシアはそういったものになっていた。
(間に合った……)
(…………わかる。デルマが、来てる……)
(……さいごに、……あなただけでも……)
白い泥は微かに震え、悲鳴をあげる聖女像の手の上で静かになった。
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