第七十一話 レイデン家の娘
静まりかえった街を彷徨うアレクシアの足は、自然と北区――自分が暮らしていた家へと向かっていた。万物素を辿るにも、他の場所を見て回る必要があると考えたからだ。
「もしかすると……まだ石像になっていない人がいるかもしれない」
――可能性は零。
「……」
ケファリの言葉を無視して、アレクシアは北区を慎重に進んだ。そこかしこに石像が立っている。それら全てから、一定の間隔で万物素が発せられているのを感じ取れた。
おそらくあれらも、アクリが付与した命令を実行しているのだろう。
出かける貴族を待つ馬車の御者、ショウウィンドーの向こう、婦人と話す仕立屋の手には、柔らかな布がかかっている。
――個体名アレクシア。目標地の申請を。
ケファリの問いに答える前に、アレクシアは立ち止まった。目の前の屋敷を見上げる。
「……私の家……」
ここを出たのが、随分遠い過去のように思える。出て行った時には振り向かなかったのを思い出した。
――調査の必要性は皆無。
「いいえ、必要よ。……確かめることがあるの」
きっぱりとアレクシアが言えば、ケファリは沈黙した。門から敷地へ入り、玄関扉へ手をかける。……鍵が閉まったままだ。
「裏から回りましょう」
気を取り直して、前庭を経由して裏庭へ向かう。ふと、奥の方にあの古い焼却釜が見えて、アレクシアは思わず息を呑んだ。振り切るように顔を背け、裏口扉の取っ手を握る。軋んだ音を立ててそこは開き、アレクシアはほっと息を吐いた。
「…………ただいまもどりました」
か細く呟く。最初に目にしたのはメードだった。
モップを手にして床を拭いている姿で、石像になっている。その脇を通り抜け、部屋を見て回る。家族はどこにいるのだろうか、と。
「あ……」
ダイニングルームに彼らはいた。
テーブルに座る父と母、その傍らに侍る執事。父は母に向かって何かを語りかけ、母は怪訝そうな顔をさせて、執事は表情を動かさず……全て石像になっていた。
「お父さま、お母さま……」
――部分的接続。構成調査開始。
アレクシアが思わず父の手に触れた瞬間、ケファリの声が響いた。息を呑んだが、しかしアレクシアは手を離せなかった。
――大通り区域で調査したものと同定。石質外殻の内側は万物素回路で構成されている。情報区分〝レイデン家〟、付与された命令〝団欒〟……実行記録参照。
『クラリスはまだ起きないのか』
『ええ、珍しいわね……あなた、呼んできてちょうだい』
『かしこまりました』
『クラリスに聖女の兆候が出た。これでレイデン家は安泰だ』
『そうね。ヨナーシュ様のことは残念だけど、まだ嫁ぎ先はあるわ』
『喜ばしいことです』
『ところでクラリスはまだ起きないのか』
『ええ、遅いわね……あなた、呼んできてちょうだい』
『かしこまりました』
アレクシアの顔から血の気が引いていく。無意識か、指に力を込めれば、指先にひんやりと冷たさが伝わった。
――実行記録に異常検知記載あり。参照。
『クラリスはまだ起きないのか』
『ええ、珍しいわね……あなた、呼んできてちょうだい』
『かしこまりました』
『クラリスに聖女――……クラリス……クラリスはどこに…………』
『そうね。ヨナ…………クラリスぅ……たすけてちょうだい……クラリス……聖女でしょ……』
『喜ばしいことです』
『ところで……なぜ……クラリス……あれが必要……』
『ええ、……クラリス……あなただけしか…………クラリス……』
〝修復処理実行。ノイズを排除〟
アレクシアはばっと、勢いよく手を離した。父の動かぬ顔を凝視し、唇を震わせ、立ち竦む。
――参照終了。補足事項あり。〝レイデン家〟登録個体、二名が喪失状態。
「……お父さま、お母さま……私……」
浅い息を繰り返し、アレクシアは言葉を続けようとして、出来なかった。
流れ込んできた両親の声は、妹の名しか呼ばなかった。まるで最初からアレクシアの存在が無かったかのように。――そんなこと、信じたくない。
「ケファリ、もっと記録を見せて……!」
――非推奨。
「お願い! もっと古い記録を! 私……」
もう一度父の手に触れる。頭の中に三人の会話が聞こえてくる。
『クラリス…………クラリス……』
『クラリスはいい子ね……』
『……クラリス……聖女に……レイデン家……安泰……』
『クラリスは聖女……いずれ……』
『あの子さえいれば……家は……』
『ア……アレ……』
「!」
微かに聞こえた声に、アレクシアははっと目を見開いた。その瞳に、微かな喜びを孕んで。
――回路への高負荷を検知。中断を要求。
「いやよ! 私の……私のことだけでも……!」
『アレが悪魔憑きかどうかなぞ最早どうでもいいわ』
乾いた音がすると同時、アレクシアは一歩よろめいた。
その拍子に彼らが囲んでいるテーブルが揺れ、ティーカップが落ちた。陶器が砕け散る音は遠く、アレクシアはのろりと、父の手を見た。微かに、ひびが入っている。さっきまでは無かったものだった。
――筐体損傷を確認。軽微。
「…………」
言葉なく、アレクシアは壁に持たれ、そして力が抜けたように崩れ落ちた。視界が滲み、頬が濡れる。両親の石像を呆然と見上げ、何も言えずにいた。
――これ以上の調査は非推奨。
「私のこと……」
力なく呟くアレクシアに、誰も応えない。目の前の砕けたティーカップを眺めながら、アレクシアは暫く、ぼんやりとしていた。
どれほどそうしていただろう、やがてよろよろと立ち上がり、アレクシアは部屋をあとにした。振り向かなかった。自分の部屋を見てみる気にもならなかった。
屋敷の正面玄関から外に出る。顔に残った涙を拭いて、空を見上げた。
――行動可能状態への復帰を確認。
「うん、もう終わり……行かなきゃ」
掠れた声でケファリに答える。再び通りに出て、周囲を見渡した。
――行動停止中に走査した結果を提示。石像から産出される万物素は全て王都内、大聖堂へと集約している模様。
「……大聖堂へ」
――推奨。
「行きましょう」
今度ははっきりした声でアレクシアが告げる。
一人、娘は道を進む。目指す場所は決まった。
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