第六十八話 王都への道
風に、冬の気配が混じっている。もう半月もしないうちに、この広大な原野は雪に覆われるのだ。
軽やかに歩を進める二頭の馬は、それぞれの背に娘を乗せていた。
「……」
白馬に道を任せながら、アレクシアは手にした護符を見つめていた。陽光を受け、真新しいコインのように輝くそれには、いつか壊された祖母の護符と同じ紋章が刻まれている。
――アレクシア様のお話と、我々が持っていた護符、そしてデュラン家の文献を調査し、作らせたものです。貴方様の助けになればよいのですが……。
村を発つ時に、村長のウッツが差し出してきたものだ。アレクシアとデルマでちょうど二つ。どうしても村を離れなさるかとさめざめと泣く彼に、妹のことをよろしくお願いしますと伝えた。
朝早くにも関わらず、妹や友人たちだけではない、全ての村人たちが二人の出立を見送りに、村の入り口まで集まった。
「アレクシア様、あれを」
デルマの声に、はっと顔をあげる。彼女が指さす先に、何かが立っている。目を細めて見据えると、それは人影、もしくは柱のように見えた。
「なにかしら……?」
「気をつけてください」
デルマが馬を進め、先導する。近づこうともそれは微動だにしない。やがてその姿がはっきりと見えてきた。
「……これは……」
「石像……?」
目の前に立つそれは、人の背丈――大人の男に近い大きさの石だった。石像だと思ったのは、かろうじて人の身体のように見えたからだ。
両手を前に突き出し、一歩踏み出すような姿。
しかし雨風に晒されたせいか、その容姿は既に判然としないものになっていた。……ゆくゆくは完全に、ただの石の柱になり、そして朽ちるのを待つのみになるだろう。
それの腕は、今から自分たちが向かう王都へと伸ばされていた。
「もしかしてこれが、ナザリオさんが言っていた石像なのかしら……」
「わかりません、もしそうなら……これは王都へ向かっていますね……」
石像をもっとよく見ようと下馬しかけたアレクシアをデルマが留める。静かに首を振る侍女に頷き、アレクシアは手綱を握った。
馬を再び歩ませる。アレクシアはもう一度、遠くなっていく石像を見るために振り返った。原野にただ一つ取り残された石像。きっと冬はあれも雪に埋もれるだろう。
日が落ちかけ、馬の疲れが見えてきた頃、折良く小屋が見えた。
旅をする者が立ち寄る小さな宿のようだ。デルマが一足先に駆けて向かう。しかしすぐに、彼女は戻ってきた。
「……誰もいません」
「宿の主人も?」
「……」
デルマの沈黙に、アレクシアは小屋へと向かった。古びた看板をちらと見て、馬から降りる。開け放たれた扉から中を覗き見た。
「ああ……」
宿屋の受付に石像が立っている。仏頂面の男だ。おそらくこの宿の主人だろう。
「……石化の呪いじゃない」
「解呪できないということですか?」
アレクシアの顔に、悔しさがよぎる。デルマが彼女の肩にそっと手を乗せれば、アレクシアは気を取り直して、周囲を見渡した。
「……宿を借りましょう。夜は危険だわ」
動かぬ石像の手元にいくつかの銀貨を置く。客室への階段をデルマがあがれば、暫くしてアレクシアを呼んだ。
「いくつかの部屋にも石像が。どれも王都の住民と思われます」
「そう……」
「幸いにも空いている部屋がありました」
どうぞ、と促され、部屋に入る。丁寧に掃除された部屋に、ベッドが一つ。少し手狭だが、致し方ない。外套を脱ぎ、アレクシアはようやく息を吐いた。
「明日には王都に入れるわね」
「ええ、おそらくここは王都に一番近い宿です。……こうなるまでは賑わっていたでしょうね」
食事にしましょう。デルマが荷を開ける。アレクシアは窓に近寄り、外を眺めた。沈みゆく太陽が空を茜色に染めている。遥かかなたに、城の影――王都が見えた。
――王都外への影響侵食を観測。
ざ、ざ、と耳触りな音と共にケファリの声が頭に響く。おそらく自分にしか聞こえていないだろう。彼も、ただそれだけを告げたきり、再び黙ってしまった。
簡単な食事を終えて、身を清めた。宿の井戸がまだ使えたことは幸運だった。
「外さなきゃ……」
アレクシアが髪につけた髪飾り――収穫祭の日にデルマから貰ったものを外して、ベッドの傍らに置く。それは数日経っても、純白のまま美しさを保っている。
「不思議ですね」
「……少し、祝福をね」
悪戯っぽく笑って結っていた髪をほどくアレクシアに、デルマが目を細める。寝台に腰掛け、アレクシアはデルマを見つめた。
「休みましょうか」
「ええ、ゆっくりお休みください」
「……あなたもよ?」
眉尻を下げ、見上げるアレクシアにデルマは微かに笑った。
「前にもこんなことがありましたね」
「ふふ……そうだったわね」
どうぞ、とデルマに促され、アレクシアがベッドへと身を横たえる。蝋燭の火を消して、デルマも彼女の横に身を横たえた。
闇の中、二人は黙っていた。アレクシアは天井をじっと見つめ、デルマは既に目を瞑っていた。
――切り出したのはアレクシアだった。
「ねえ、どうしてついてきてくれたの?」
「……どうして、とは?」
「だって……私、言ったわ。きっと王都に行けば、帰ってこられない。あなたは来るべきじゃないって」
「仰られていましたね」
デルマはため息交じりに肯定した。じゃあ、どうして。囁くように問うアレクシアをちらと見やり、デルマは言葉を続けた。
「私はあなたの侍女ですから」
「そんなの、そんなの……理由にならないわ。命をかける理由になんて――」
「それで充分です。私が決めたことなのですから」
デルマはそれきり黙ってしまった。アレクシアは思わず身を起こし、デルマを見つめた。衣擦れの音にデルマはそっと目を開き、その金色の瞳で、アレクシアを見返した。
「……」
「……」
それ以上の言葉は無かった。アレクシアはそっと顔を背け、再び身を横たえた。デルマはやはり目を瞑り、意識を落とそうとしていた。
日が昇るころ、二人は起きた。窓を開けてみると、昨日よりも冷たい風が吹き込んできた。鏡の前で髪飾りをつけ、そしてアレクシアは荷物から手のひらほどの小さな箱を取り出した。
「ねえ、デルマ」
「はい」
山刀を腰に提げていたデルマに歩み寄る。どうしたのですか? デルマが首を傾げるそばで、アレクシアは出した箱の蓋を開け、そこにあったものを彼女の髪につけた。白いヴェルヴェーヌの花。黒い髪によく映えていると思った。
「……これは?」
「あの日、渡しそびれちゃったの。でももう、今しかないとおもったから」
「……私などに」
「あなただからよ」
似合ってる。アレクシアが微笑めば、デルマは気恥ずかしそうに、目をそらした。
「大切にしてね」
「ええ……勿論です」
行きましょう、アレクシア様。デルマが促し、部屋の扉を開ける。昨日と同じく、自分たち以外に動く者はいなかった。
それぞれの馬に乗り、その腹を締めれば蹄を鳴らして歩き始める。
「王都はもうすぐよ」
「はい、アレクシア様」
娘たちを乗せた二頭の馬は、風のように駆けていく。
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