第六十三話 浸食
冬支度の始まったヌッツロースだけを言えば、概ね平和だった。ただ、この国の最果てに位置するこの村を訪ねてくる者は後を絶たず、その誰もが、疲れ切っていた。
「アレクシア様が知らせてくださった――王都への出入りが出来なくなった件については、地方領主の皆が知るところです。現にうちも調査の者を派遣し、真意の程を……」
そう告げるサンクラモー地方行政官ナザリオの顔は暗い。その目元には拭いようもない影が落ちていた。大きなため息を吐く彼に、アレクシアは目を細めた。
「何か、あったのですね」
「……一人は帰還せず、もう一人はかろうじて。しかし……領主ドナト様の前で報告している途中、……石像のようなものに」
「石像?」
「ええ、恐ろしい光景でした……」
ナザリオは仔細を言いかけたが、血の気を引かせ、黙りこくってしまった。アレクシアは疑問を口にする。
「石化治療はされたのですか?」
「ええ、何かの呪いなのではと考え、うちの聖女を呼び寄せ、治療にあたらせたのですが……効果はなく、かえって聖女にも影響が」
「そんな……」
「その者は隔離しています。こんなこと、民衆には知らせられません」
混乱が生じます。ナザリオは首を振り、出された紅茶を一口飲んだ。
「……ドナト様は民衆に王都へ近づかないよう、厳命を発せられました」
「報告で何か分かったことはあるのですか?」
「あまり。支離滅裂でして……かろうじて理解出来たのは、王都は既に国の中心としての役割を果たせなくなった、ということです。しかし……」
「……」
「実は、貴女より王都の封鎖の一報を受ける直前……ドナト様は王都から来た貴族……病気の療養だったり、視察だったりといった名目で滞在していた方々にお話を聞くよう命じられました」
「おそらく、本来の目的は王都からの脱出……」
「ええ、そう考えたのです。彼らの言うことは全て、同じでした。王太子は悪魔に憑かれたようだ。大聖女の乱心もそのせいだ、と」
「陛下については?」
「両陛下とも重い病を患っていて、謁見すら出来ない、と」
重たい沈黙が二人に落ちる。
「悪魔……」
どこか懐かしい言葉にアレクシアは視線を彷徨わせる。そう、アレクシアが追放された切っ掛けだ。アレクシア自身は悪魔というものを見たことがなく、また他の者も見たことはないだろう。しかし、その存在は強く信じられてきた。
「貴族たちの話を聞くに、王太子の政務、振る舞いは悪魔じみていると。市井の民を苦しめ、王都に混乱をもたらしている」
「だから、王都から離れた」
ナザリオが頷く。貴族たちの判断は正しい。しかし、その時点で地方領主に相談していれば、また別の対策が打てたのではないか。そんな気持ちが、アレクシアにはあった。
「これは私の……勝手な思いなのですが」
ナザリオがぽつりと呟き、アレクシアは顔を上げた。
「……もし、あなたが王都から追放されていなければ、王都は、この国はこんなことにならなかったのでしょうかね」
「それは……分かりません。私も、何が間違っていたのか未だに……」
「私ははっきりと思います。ヨナーシュ様が、王家があなたを追放したのは、間違っていたと」
どうやらナザリオは次の都市へと向かうらしい。地方都市同士が連帯するには、密なやりとりが必要だ。休む間もなく、彼は村を辞した。
「お互い、春にまた会えればよいのですが」
「……ナザリオ様」
「いえ、よくない言葉でしたね、申し訳ない。では、これにて」
跨がった馬の手綱をひいて、ナザリオは去って行った。
◆
夜、執務室で一人考える。
あの叙任式の日のこと、ここに追放されてきた時のこと、井戸を蘇らせたこと、村を発展させたこと、……王都のこと。
――もし、あなたが王都から追放されていなければ。
昼間、ナザリオが零した言葉をアレクシアは反芻していた。もし、自分が王都にいれば、追放されなければ……。
「……私が、ヨナーシュ様に愛想を尽かされなければ……?」
思わず零す。過ぎたことだと皆は言うだろう。アレクシアのせいではないと、断言してくれる。きっと。だが――。
「私に責任が全く無いなんて、そんなこと思えない……」
執務机に置かれた王太子からの手紙をアレクシアはじっと見つめた。それは村に来たばかりの頃に、王都からの使者より手渡されたものだった。封筒を手に取り、指でそっと撫でる。
「……まだヨナーシュ様が完全に変わっていなければ……」
思いつきを口にする。同時に、村のことが頭をよぎる。責任。この状況で村を離れるのは、悪手に思える。だが王都の状況は日に日に悪くなっているだろう。
「誰か教えて……どうすればいいの……」
人知れず、弱音を吐く。そこにはアレクシア一人しかいない。誰も、答えてくれるものは――。
――課題。
はっきりと声が聞こえ、アレクシアはがたんと椅子から立ち上がった。
「誰?」
しかし誰も答えず、思わず周囲を見渡す。
「あなたは、誰? ……姿を見せなさい!」
――地下聖窟への召集を要請。
「……地下聖窟?」
中庭の隠し階段を思い出す。あの夜以来、避けていた。
「そこに行けばいいのね?」
――推奨。
分かったわ。
アレクシアが頷き、執務室を出る。どうやらデルマとサーラの二人はすでに寝静まっているようだった。中庭に入り、地下へと続く扉の前に立つ。ごくりと喉を鳴らし、それに手をかけた。
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