第六十四話 基幹たる者
万物素の気配は相変わらず濃い。軽い目眩を起こしながら、アレクシアは石造りの階段を降りていく。
「あの聖女像はどうなったのかしら……」
ふと、ここで気を失う前に見た聖女像――鎖で戒められていたそれを思い出し、アレクシアはぽつりと呟いた。
自然と階段を降りる足は早くなる。足を滑らさないように、壁に手を当てた。
そして、あの薄ぼんやりと明るい、張り詰めた洞窟……聖窟に辿り着いた。
「……ああ……」
聖窟の中央、あの聖女像が安置されていた場所を見て、アレクシアは息を呑んだ。そこには〝彼女〟を縛っていた鎖が千切れた跡と、滑らかな真っ白な石の残骸――つまり、砕け散った聖女像の欠片が散らばっている。
歩み寄り、その一つを拾い上げる。それは顔の大部分だった。滑らかな頬に黒ずんだ一筋が流れている。美しい聖女の、砕けたかんばせをアレクシアは思わず胸に抱いた。
――識別確認。
「……?」
その声は聖窟にはっきりと響いた。アレクシアは顔をあげ、周囲を見渡す。壁には模様が刻まれている。見たことのないものだった。
その線に沿い、小さな光が走っているように見えた。その模様は床にも刻まれている。
「あ、あなたは……誰なのですか?」
アレクシアの問いが反響する。すると壁の紋様は淡く輝き、一定のリズムで明滅した。
――基幹。
「基幹?」
――同義語として神。
「……神? あの、あなたは大神アクリ様なのですか?」
光が強く明滅する。
――否定。末端は処理端末に過ぎない。世界の基幹にあらず。基幹はこれのみである。
「……では、あなたはなんと」
――基幹たる者。
「ケファリ……」
全く聞いたことのない名前だ。国教会の文献にもない。アレクシアは慎重に、言葉を探した。もしかすると……それこそ、この声の主が悪魔ではないかと考えたのだ。
――理解は不要。現状、緊急の課題を確認済み。王都の機能不全は致命的である。
「! 王都について、何か知っているのですか?」
アレクシアの問いに聖窟が、唸り声のようなものをあげた。微かに地面が震動し、光が明滅する。
――情報共有開始。保有情報は断片的。信頼性、低。
強くなった光に視界が白く染まり、思わず目を瞑る。すると頭の中に、景色が浮かんできた。見覚えがある――王都だ。王都の大正門から伸びる大通り。
立ち並ぶ家屋や店に、変わりは無い。植えられた街路樹の葉も生い茂っている。しかし奇妙なことに、それは未だ瑞々しい緑のままだった。
もう冬も間近の、秋にもかかわらずだ。本来ならばあそこに植えられた木の葉は、今は赤く染まっている筈なのに。
ざ、と耳触りな音と共に、景色が変わる。
大通りのどこかを映し出している。パンを売る店だ。開け放たれた窓から、店の女将であろう女が顔を出して、客にパンを差し出している。
その女の肌は滑らかな白で、微笑みをかんばせに貼り付けていた。そう、その姿のまま、微動だにしないのだ。――まるで、市井の一場面として作られた彫刻のように。
「これは……」
視界が一瞬、歪んだ。景色が変わる。人影。叫んでいるが不明瞭で、何を言っているのか分からない。若い男のようだった。また視界が歪む。彼の顔が一瞬、見えた気がしたが、そこで景色は途絶えた。
「……さっきのは……」
――情報共有完了。推論を提示。
壁が再び輝き、聖窟の中は熱を帯び始めているように感じた。
――処理端末の致命的な誤認識が機能不全の原因。処理端末は自身を基幹と誤認したと思われる。記録に数々の越権行為を確認。
「越権行為……?」
――端末の子機の無許可生成。不自然な指示。……一時的に機能停止した基幹を不適切事象と誤認、長期間の敵対行為。
「つまり……あなたを敵と認識したと……?」
――同意義。経緯不明。この不具合による影響は甚大。王都に存在する処理端末への対処を提案。
「……アクリ様への対処……?」
――大神。否、処理端末は基幹にあらず。致命的不具合の生じた処理端末への処置は優先事項。
「…………その前に、お伺いしたいことがあります」
――質問の入力。
「ここにあった聖女の像は、いったい何なのですか? ……そして、あなたは私に何をしたのですか?」
――…………。
聖窟が僅かに暗くなる。ケファリは黙したままで、アレクシアは虚空を睨み付けた。
――基幹の聖女。精神由来の重大な不具合により、ヒトの手で処理。その影響により、基幹の一時的な強制停止が発生。……個体名アレクシアが封印を解除したことにより、再起動。基幹はアレクシアに、機能の一部を付与――祝福。
「……あなたが、私に与えた力は……強すぎます。自然なものではない、人間には扱いかねるものです!」
――把握済。運用上の問題無し。個体名アレクシア。
聖窟の明るさが増し、思わず後ずさる。空気が震え、胸に抱いた聖女像、そのかんばせは砂のように崩れ、砕けた。
――王都へ。処理端末の対処を指示。周囲への影響の増大を検知。早急な対処を。
「わ、私が……?」
――可能である唯一の個体。
無機質なケファリの声に、アレクシアは呆然と立ち竦んだ。
何故、私が。
そんな思いが浮かび、唇を噛む。この異変を止められる唯一の人間が、自分だけだなんて。
(でも……見せられた景色にうつった、彼……)
ゆっくりと目を瞑る。あの恐怖に染まった瞳……確証は持てない。しかし、見覚えはある。
(ヨナーシュ様なの……? 彼は、無事なの?)
――期限は冬。春の到来と同時、王国全域が処理端末の影響を受け、機能不全に陥る。崩壊は不可避。周辺への影響は必至。
「…………」
――……。
それきり、ケファリは黙した。しん、と聖窟は静かになり、アレクシアの足元には白い砂の小さな山が、落ちていた。
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