第五十四話 悔恨の夜
〝アレクシア・レイデン侯爵令嬢が、お茶会の席で失態を犯した子爵令嬢を、必要以上に叱責していた〟
私は耳を疑った。王宮ですれ違った見知らぬ令嬢の侍女に声をかけられたのだ。
『あんな人に仕えるだなんて、あなたも大変ね、彼女に苛められていない?』
心配そうに声をかけられ、更に戸惑った。全くもって、事実とは異なることだったから。
しかし私がそんなことはないと否定をしても、〝この子はヤトルカ人だから、立場上、本当のことを言えないのね〟と言いたげな、哀れみのこもった眼差しで見つめ返されるだけだった。
後日、別の席で令嬢たちの集いがあった。その時のアレクシアに対する令嬢たちの冷ややかな眼差し、彼女を横目で見ながら、広げた扇の下でひそひそと囁きあう声。
『たしかにあの方は完璧ですけど……ああも高慢ですと嫌ですわね……』
『あの子は失敗しましたわ……でも、夜の中庭で執拗に叱責だなんて……なんて冷たい。人の心を分かっていらっしゃらないのかしら』
『王太子様への不満も漏らしていらしたそうよ……』
いたたまれず、違う、と否定したがる私をアレクシアは静かに制した。
その深い緑色の瞳には、諦めがあった。
「ど、どうしてそんな嘘が流れたのさ!?」
「……噂の出所を聞いた。叱責された子爵令嬢本人が言っていたと……」
「なんでそんなこと! その子はアレクシア様に励まされたんでしょ? 感謝こそすれ、なんで……」
「屈辱、嫉妬……どうにでも説明はつく。そういう場所だ、あそこは」
その後、王太子ヨナーシュはアレクシアを呼び出した。彼の部屋、豪奢な扉の前で、私は待たされていたが、中から聞こえてくる声は、鋭いものだった。
『王太子の婚約者としての相応しい振る舞いを、お前は分かっていない!』
『……』
『いくら政務面で優秀だろうが、私はその程度のことでお前に甘くしないからな! 臣下である子爵令嬢をいびるなど、人として最低なことをした自覚はあるのか? 言い訳なぞ聞かん、どうせお前は励ましたかっただけだとか、ありきたりな事しか言わないだろうしな!』
『……』
『なんだ、その顔は! いいか、傷ついたのはお前ではなく私の面子だ! 貴族たちの間では婚約者の躾ひとつも出来ない王太子と言われているに決まっている……どうしてくれる!? なんとか言ったらどうだ、アレクシア!』
扉の向こうが、一瞬静まりかえった。私は震える手を握りしめながら、その扉を今すぐにでも蹴破って、叫んでしまいたかった。その噂は嘘だ、私は見ていた。私は、この人が――。
『申し訳ございません、ヨナーシュ様……』
『……暫く公の場には出るな。謹慎だ。……行け。政務は滞らせるなよ』
静かに扉が開き、アレクシアが出てきた。思わず私は、彼女の手に触れた。指先に触れた肌がいやに冷たい。アレクシアは僅かに疲れた顔をさせながら、私を見て微笑んだ。
――どうして、笑っている、あなたは。
『待たせてしまってごめんなさい、部屋に戻りましょう』
『アレクシア様』
『大丈夫よ、デルマ。……そんな顔しないで、あなたが怖い顔をしていると皆驚いちゃう』
『……』
夜になって、私はどうしても眠れなかった。
今日の出来事が、私の心をざわめかせ、苛立たせた。
育ての家から抜け出して、無断で闘技場へ出た時が懐かしい。あの時はこの王国への怒りをそこでぶつけることが出来た。謗られる身分で、公の記録が残らなくとも、私はそこで、私でいられたからだ。
そんなことを思い出したのは、どうしてだろうか。私はいてもたってもいられず、気づけば彼女の部屋の前へと向かっていた。
ぴったりと閉められた扉の向こうに気配がする。
いけないことだと思いながら、私は扉をそっと開けた。彼女がいる。カーテンを開け放った窓のそば、テーブルに伏して、肩を震わせた彼女が。
『どうして?』
『っ……デルマ……?』
私は部屋に入っていた。そうせずにはいられなかった。
私の声にアレクシアはばっと顔を上げ、濡れた顔をこちらに向け、目を丸くした。慌てて頬をぬぐい取り繕う彼女を見つめながら、私は震える声で、聞いた。
『どうして、本当のことを言わなかった?』
『…………』
『噂を否定する権利があったはずだ、あなたには』
『……ええ』
苛立ちまじりの私の言葉に、アレクシアは頷いた。視線を彷徨わせ、暫く考えたあと、彼女は私を見つめ、こう返した。
『あの時、あの子は本当につらかったと思うの』
『答えになってない!』
『……それを否定なんて出来ないわ』
『だが……あなたが代わりに謗られる謂れなんて、無いだろう!?』
主人に対する礼儀も、私は忘れていた。そんな私に、アレクシアは静かに首を振った。
『……それは、些細なことよ』
『…………』
きっぱりと言い切られ、私は反論出来なかった。本気でそう思っていると、理解してしまったから。
『それでも、私は見た。本当のことを』
『ええ、あなたが見てくれて、こうして怒ってくれるだけで、私は――』
彼女はまた微笑んだ。必死に哀しみを隠すような、微笑みだった。
「その夜だ。アレクシア様の為に、彼女を守るために、私はこの王国に来たのだと悟ったのは」
「…………」
デルマは目を伏せ、ゆっくりと息を吐いた。そしてゆるりと、首を振った。
「だが、結局私はアレクシア様を守ることが出来なかった。……結果、王都から追放されて、ここにいる」
デルマは膝の上に置いた手をきゅ、と握り、物思いに耽る。黙って聞いていたサーラは、小さく喉を鳴らし、同じように何かを考えていたが、やがて隣に座るデルマを見て、口を開いた。
「あたし、二人がここに来てくれたの、本当に感謝してるんだ」
「……サーラ」
「だって、二人が来なかったら、村は……あたしは、あのままだった。二人に救われたんだよ、みんな。それは嘘じゃないよ、嘘だって言う奴がいたら、あたしが違う! って言ってやるんだから!」
サーラの言葉に、デルマはくすくすと笑った。頼もしいな、と呟き、天を仰ぐ。
「だから、ね、二人ともここにいて。ずっと、私たちの領主様と、その侍女様でいて」
「……ああ、きっと大丈夫だ、サーラ。この村はもう、蘇ったのだからな」
デルマの手がサーラの頭を撫でる。
話は終わりだ。そろそろ寝なさい。そう促すデルマに、サーラは頷いた。
第五十四話をお読みいただきありがとうございます!
感想、応援、ブックマークが励みになります、気に入っていただけますと嬉しいです:)




