第五十一話 大聖女エリーズの神託
政務官が寄越してきた書類を、ラスカース王国王太子ヨナーシュは睨み付けていた。怒りで手は震え、力のこもりすぎた指が、真っ白な紙に皺を作っている。
「何故だ!」
苛立ちに吼えたヨナーシュに、政務官はたじろぎながらも答えた。
「は……東地区の住民の大量流出に関しましては、浄水槽の問題が解決せず水質悪化を招いたことによる衛生面の不安、及び経済、治安の悪化が原因かと……」
「浄水槽の問題……あの草を抜いた私が悪いというのか!? 私の判断を愚弄することは、大聖女エリーズの神託、果ては大神アクリに疑いを持っていると同義だぞ!」
「い、いえ、そのようなことは……」
口ごもる政務官に、ヨナーシュは大仰にため息を吐いた。何故そのような考えに至るのか、理解出来ないと言いたげに首を振り、ヨナーシュは彼を見据え、重々しく問うた。
「では原因は何だ。答えろ」
「……っ、ひ、貧民街の疫病です。元々貧民街は衛生状況が悪く、それゆえに隣接する東地区へと広まったものと考えられます……!」
「なるほど……貧民街か……」
ヨナーシュは顔をしかめ、なにやら考え込むように目を瞑った。王都からは毎日のように人が出て行っている。この国で最も安全で、豊かな生活を送れる場所だというのに、疫病が発生した程度で捨て去るのは、実に愚かだ。
民衆は目の前のことしか考えないので、致し方ないこともある。それを導いてやるのも、王家の勤めなのだろう。
――しかし、中々上手くいっていない。今まで上手くやれていたというのに、どうしてこうなったのか。
「よし、貧民街を浄化するために、聖女たちを派遣しろ。あそこに住んでる者たちが抵抗することも考えられる。騎士団をつけるといい」
「き、騎士団ですが……王都の治安維持を務めていた蒼盾騎士団の代わりに緑槍騎士団が、王都外に急増した魔獣の討伐に紅斧騎士団が出払っており……動けるのは王家直属の黒剣騎士団のみかと」
「…………」
政務官の言葉にヨナーシュは唇を噛んだ。王家直属の誉れ高き黒剣騎士団を貧民街の鎮圧に! ……そんなことは恥だ。あってはならない。
「蒼盾騎士団……奴らが王都に残っていれば……」
「大聖女エリーズ様……国教会が破門を申しつけた以上……王都の警護をさせるわけには……」
「くそっ!」
苛立ちが高まり、ヨナーシュは思わず執務机を叩いた。あまりの強さに、置かれていたグラスが大きく揺れ、倒れる。少量の水が流れ、書類を濡らした。
「…………もういい、行け。とにかく……聖女たちと緑槍騎士団を貧民街に向かわせろ。治安維持だ、同じ事だろう」
政務官を下がらせ、執務室で一人ため息を吐く。貧民街をどうにかして、民を安心させなければならない。そのためには多少の荒療治も必要だろう。
「父上も生温い……何故民が王都から出ることを禁止しないのか……」
父、国王マティアスの判断は、ヨナーシュには鈍く見えた。浄化槽の草を取り除く神託を受けた時も、父と母は難色を示した。絶対とも言える大聖女の神託に、そんな反応を見せたのは初めてで、ヨナーシュは言葉を強め、彼らを諫めた。……その日からだろうか、両親二人が自分に何も言わなくなったのは。
――よいのだ。いずれ王となる者は、いつまでも親の顔色を窺うべきでは無い。いずれ父上も理解してくださる……。
自分に言い聞かせながら、椅子から立ち上がる。侍っていたメードに机を片付けるように命じ、ヨナーシュは部屋を出、中庭へと足を運んだ。
穏やかな風と共に、饐えた匂いが微かにやってくる。しかしそれも、見頃のバラの香りに紛れた。柔らかな陽光の中をヨナーシュは歩いて行く。目指す所は中庭を抜けた先の聖堂だ。
そこはエリーズ専用の聖堂だった。ここで婚約者であり大聖女のエリーズは、大神アクリに祈り、神託を受ける。
故に王都で一番、清らかでなければならない。上流から汲み取った穢れのない水で毎日清掃し、庭には美しい花々を植え、枯れたものから差し替える。食事も国教会の教義に則ったもの――特上の材料で作ったものを与えている。これは、大神アクリに仕える彼女を娶る王太子の、義務だ。
「エリーズはどうしている」
迎えに来た侍女に問えば、彼女は軽く唇を引き結んだあと、恭しく答えた。
「今、お祈りの最中でございます」
「では待とう……」
扉の傍に立つ。そばに造られた噴水をぼんやりと眺めながら、ヨナーシュが暫く佇んでいると。
「キャアアアアアアッ!」
引き裂くような悲鳴にヨナーシュの身体は跳ねた。エリーズの声だ。侍女の制止を振り切り、ヨナーシュは聖堂の扉を開けた。汚れひとつない白亜の大聖堂の真ん中で、エリーズが天を仰ぎ、がくがくと震えている。普段は愛らしい、丸い目をぐるりと回し、小さな唇から唾液を流しながら、彼女は声を震わせていた。
「ア……アァ、……異常、な……出力……けん、ち……」
「エリーズ!」
「ぬ、ぬっつ、ろー……いじょー、破棄した、……から……規格外……」
「エリーズ、どうした!? しっかりしろ!」
「あらーと、あらーと、たいさく、王都、しす、てむ……」
がく、がく、とエリーズの首が動き、華奢な身が痙攣する。その姿は異様そのもので、ヨナーシュは顔を引きつらせ、足を止めた。神託とはこういうものなのか? おぞましい、とすら感じてしまう。
「…………」
ぴたりとエリーズの身体が制止する。そしてふっと力が抜けたように崩れ落ちれば、ヨナーシュは我に返り、その身体に歩み寄って抱き上げた。
「え、エリーズ……おい……」
揺さぶり、声をかける。するとエリーズはぼんやりと目を見開き、ぱちりと瞬きをした。いつもの愛らしい、幼げな表情で彼女は軽く首を傾げた。
「……ヨナーシュ、様……?」
「どうしたんだ、エリーズ……何か……様子がおかしかったが……」
言いにくそうに問いかけるヨナーシュに、エリーズははっとした顔で起き上がった。そして彼の手を震える手で掴み、唇を震わせた。
「アクリ様からの神託が!」
「なにっ」
「ぬ、ヌッツロースで不吉な……強い力が現れたと……!」
「ヌッツロースだと」
ヨナーシュは息を呑んだ。ヌッツロースといえば、アレクシアの追放先ではないか。どうしようもないほど荒れ果てた村の筈だがいったい何が――。
「失礼します!」
聖堂に一人の政務官が飛び込んできた。その顔は青ざめている。神聖なる聖堂だぞ、と叱責しかけたが、ただならぬ様子にヨナーシュは促さざるをえない。
「王都を出た住民がどこに向かっているか、判明しました」
「……どこだ」
「ヌッツロース村です! 王都の民衆の中で、噂になっているようで……あそこならば、領主アレクシアの治める村なら、と……!」
政務官の言葉に二人は顔を見合わせた。どちらの顔も青ざめていた。いったい、彼女はあの地で何をしたのだ?
「……アレクシアが……?」
「もしかして、アクリ様の仰っていた力って……」
エリーズが声を震わせれば、ヨナーシュは己の中から確かな怒りが沸き起こるのを感じた。あの女め、まだ王都を、オレ達を苛もうとするのか。怯えるエリーズを抱く腕に、力が籠もる。
「……悪魔め……!」
ヨナーシュのいまいましげな声が、聖堂に響いた。
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