第四十九話 声
小さな灯りの下、アレクシアはペンをとっていた。デスクの上にいくつかの紙くず――それはアレクシアの悩み、そのものだと言えた――が転がっている。
「……お父様とお母様を説得するのは難しいと思う……でも……」
ぶつぶつと呟きながらペンを走らせる。しかしすぐに手は止まり、アレクシアは深いため息を零したあと、便箋の一枚を剥がし、くしゃくしゃと丸めた。
どう綴ればいいのか、分からない。
絶縁された家に残る妹――クラリスへの手紙だった。フェリクスやツチラトの話を聞く限り、王都の状況はよくない。レイデン家のある北地区、つまり貴族たちの居住区に住む人間はまだ理解していないだろうが、外から見ればよく理解る。
早晩、民衆たちの不満は北地区、そして国教会や王家へと向かうだろう。
「ヨナーシュ様やエリーズ様が考えを改めるなら、あるいは……」
まだ事態は決壊には至っていない。王家がナゲキハスを元通りにすれば、まだ取り返しはつく。しかし彼らがそうするかを考えれば、望みは薄い。国王陛下や王妃はどういったお考えなのか、国教会の上層部はどう動くのか。
「――……遠く、ヌッツロースの地から可愛い妹である貴女のことを心配しています。どうか気をつけて。もし頼りたいことがあれば、ツチラトさんに相談してね。彼は信頼出来る……」
当たり障りの無い言葉を綴る。賢い妹だ。きっと自分が何を言いたいのか、きっと理解してくれる。祈るような気持ちだった。
「お父様とお母様には、この手紙を見せないでほしいの。きっとお二人はこれを読めばお怒りになると思うから。クラリス、また手紙を書くわ。必ず。だからどうか、元気で。……貴女の姉、アレクシア」
なんとか書き上がり、ペンを置く。ぐっと伸びをして、天井を見上げた。
――大神アクリの御心はどこにあるのか。ふと、そんな考えが頭をよぎる。アレクシアも神託によって悪魔憑きだと断罪され、この地に追放された身だが、それまでは敬虔な国教会の信徒だった。聖女が伝える神託は絶対であると、信じていた。だが、今となっては……。
――……リに重大な……、緊急の……処置……。
「!?」
がたん、と音を立ててアレクシアは立ち上がった。耳元で何かに囁かれたような気がして、思わず周囲を見渡す。しかしこの執務室には自分以外、誰もいない筈だ。
「また……?」
高熱を出した日からというものの、時折その声は聞こえてきた。霞の向こうからの、どこか無機質な声。それは殆ど何を言っているのか、分からない。しかし今は、いくつかの単語が拾えるほどには聞こえてきた。
「だ、誰なの……? あなたは……」
たまらず姿の見えない声の主に問いかける。しかしそれからの返事はない。しん、と静まりかえった執務室の、扉へと歩み寄り、アレクシアは部屋をもう一度見渡した。
「……」
「アレクシア様?」
「きゃっ!?」
扉越しに声をかけられ、アレクシアは盛大に肩を跳ねさせた。静かなノック音のあと、扉がゆっくりと開かれる。デルマが覗き込んできて、その金色の目とかちあった。
「で、デルマ……」
「お声がしたので。何か問題が?」
「…………いえ、その……なんでも……」
口ごもるアレクシアに、デルマはそっと片眉をあげた。息は浅く、顔は青ざめている。そう認めた瞬間、デルマはするりと部屋に入り込み音もなく扉を閉め、アレクシアの肩を抱き、ソファへと導いた。
「少しお疲れなのでしょう。お茶を淹れてきますので」
「待って!」
言い残して厨へと向かおうとするデルマの腕を、とっさに掴む。少し驚いた顔でデルマがアレクシアを見つめれば、アレクシアの緑の目が不安げに揺れ、唇が震えた。
「……一緒にいて……」
「……勿論です、アレクシア様」
デルマが頷き、主人の隣に腰掛ける。アレクシアは小さく安堵の息を吐き、おずおずとデルマにもたれかかった。デルマはアレクシアの華奢な背をゆっくりと撫でて、彼女の不安を少しなりとも和らげようと努めた。
「アレクシア様が倒れられてから、フェリクス殿たちがやってくるまでばたついておりましたから……冬支度も殆ど終わっています。暫くお休みになられては」
「ええ……ありがとう。……そうね」
生返事のアレクシアに、金色の目をそっと細める。言葉に出すことを迷ったのち、デルマは意を決して訊いた。
「王都のことを考えていらっしゃるのですね」
「…………」
無言のまま頷き、膝に乗せた手をアレクシアは握りしめた。関節をいっそう白くさせながら力を込めているのを見て、デルマはそこに手のひらを重ねた。
「ここにいるのは私だけです」
「…………ええ……」
視線を彷徨わせる。隣で己の背を撫で、手を重ねてくれる彼女しかいない。部屋の隅にも、棚の影にも、影ひとつ見えない。
「……妹に手紙を書いたの。いてもたってもいられなくて……それを、明日ツチラトさんに渡すつもり……届くかは分からない」
「……ツチラトは信頼がおけます。安心してください」
「分かってる。……でも、私が追放されてからの王都は……おかしくなってしまった。その原因がヨナーシュ様であることは明白よ……私、どうすればよかったのか……」
「彼の本心など、アレクシア様が心を痛めるものではありません。遅かれ早かれ、あの者は己の劣等感に負けたのです。あなたのせいじゃない」
デルマはきっぱりと言い切ったが、その声色は柔らかだった。その優しさにつきりと胸が痛む。自分もどこかで理解している。それでも原因の一端は、間違いなく自分だと。
「王都の人たちが巻き込まれてる……私に出来ることを……したいだけなの」
「ええ……否定いたしません。村をあげて出来ることをしましょう。ここに来た時とは違うのです。サーラも、ウッツ様も、フェリクス殿もいる。大丈夫ですよ」
「……そうね、あなたもいるわ、デルマ」
デルマの言葉にようやく、アレクシアははにかんだ。目を伏せ、安心したように身体の力を抜き、そして己の忠実な侍女に、緑の眼差しを向けた。
「あなたは、最初から私と一緒にいてくれた。ずっと変わらないことね」
「ええ、お約束しましたから」
デルマが頷けば、アレクシアはたまらずその肩に顔を埋めた。目を瞑り、膝の上で重ねられた手を握り返す。アレクシア様、と囁かれ、小さく頷いた。
「ここに来たときみたいね」
ぽつりと呟く。デルマは何も言わず、アレクシアの手を握る力を僅かに強めた。
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