第四十五話 祝福
デルマが外で騒ぎを聞いて駆けつけた兵士たちを宥めているのを聞きながら、アレクシアはベッドでぐったりとしている男を見た。
顔からは血の気が失せて、呼吸も荒い。鍛えられた無駄のない身体、その腹部には薬を染みこませた布があてがわれていたが、それも赤く滲んでいた。
「出血がひどく、傷が塞がりません。傷口からは毒が出てきました」
「フェリクス様! 私の声が聞こえますか、フェリクス様!」
村医者ヒューゴーの顔色は優れない。手は尽くしたがと言いたげに、せめて苦しみを少しでも軽くしようと、一杯の酒を目を覚まさない男――フェリクスに飲ませた。
「医者様、どうか彼をお助けください! 何卒!」
「しかし……手の施しようが……毒はともかく、傷が深すぎる……」
ヒューゴーが首を振れば、モーリスは目を見開き、わなわなと唇を震わせた。
「……そんな……」
「これほどの傷、我ら医者では難しいのです。聖女様の祝福ならば――」
「ではその聖女様は!」
「おりません。どの集落にも聖女ぐらいいるだろうなどと思いなさるな」
はっとした表情をさせたモーリスの目から、ぼろりと涙が零れた。項垂れ、彼が忠誠を誓う団長の手を握り、黙りこくってしまった。
(……また、見てるだけなの?)
一歩引いたところで、アレクシアはヒューゴーとモーリス、そしてベッドに横たわるフェリクスを見ていた。もどかしさに唇を噛み、目を伏せる。あの傷はたしかに薬草や薬では対処しようもない。
(また、助けられないの?)
今、苦しみの中で命を失おうとしている男、その苦しげな顔を見つめ、アレクシアは悔しさに俯く。聖女の祝福があれば、それを、私が失っていなければ――。
不意に、頭の中がぼんやりと霞がかかったようになって、アレクシアは瞬きをさせた。
耳元で、呟くような声がする。しかしなんと言っているのか、わからない。
目元が熱い。いや、身体全体がぽかぽかと熱を持ってきた。もしかすると、熱がぶり返したのかもしれない。いや、それどころではない。今は彼を――。
フェリクスを、助けなくては。
そう、強く思ったと同時、アレクシアは一歩踏み出していた。モーリスの隣に立ち、呼吸も絶え絶えに顔を歪めるフェリクスを見下ろす。己の手が燃えるように熱く、まるで自分のものではないかのように、そう、操り人形になってしまったかのように、のろりと上がった。
「診療所だぞ! 心配なのは分かったから、騒ぐな――ッ!」
兵士たちに押し負けたらしいデルマが彼らに怒鳴りながら入ってくる。フェリクス様、フェリクス様! 兵士達が口々に声をあげ、部屋になだれ込んできた。しかしそれも、アレクシアにとっては遠い出来事のように思えた。手を胸の前に組む、目を瞑り、ゆっくりと息を吐く。
私は今、なにをしようとしている?
「指定、治癒、真秀」
唇が動く。使ったことも、聞いたこともない詠唱だと思ったし、同時に、どこか懐かしかった。体中の血管が目まぐるしく巡り、意識が曖昧になる。アレクシアはこの感覚を知っていた。
「アレクシア様……?」
「これは……」
アレクシアが祈りの姿をとり、詠唱を始めた刹那、彼女は一瞬、淡く輝いた。そして胸の前で組んだ手から光が溢れ、それはフェリクスの傷口に集まっていく。
数秒の出来事だった。フェリクスの傷口を覆う光が消えた時、そこは何事もなかったかのような肌で、呼吸に合わせてゆっくりと上下していた。
「奇跡だ……まさに祝福だ……!」
信じられないと行った様子でヒューゴーが腰を上げた。震える手でフェリクスの傷があったはずの場所に触れ、問題がないか確かめる。
「え……?」
一方、アレクシアは呆然としていた。胸で手を組んだまま、今自分が何をしたのか、何が起こったのかが分からず、立ち竦んでいる。手を開き、その手のひらをまじまじと眺めて。
「私……祝福を……?」
よろめいたアレクシアを、デルマが慌てて支えた。それをきっかけに兵士達がわっとベッドに駆け寄り、フェリクスに呼びかける。たまらずヒューゴーが怒鳴りつけた。
「お前達、静かにせんか! 怪我人の前だぞ!」
「……」
騒ぎそっちのけで、アレクシアは部屋を出る。そして向かいの病室に入り、苦しみに呻きながら寝かせられた兵士の一人に歩み寄った。
「アレクシア様、如何されたのですか!」
「……指定――」
祈り、詠唱する。結果は同じだった。傷がみるみるうちに癒えて、兵士がのろりと目を開ける。
「……聖女さま……?」
掠れた声で呼ばれ、くらりと目眩がした。しかしすぐにアレクシアは一人、また一人と歩み寄り、祈り、詠唱する。
「治癒」
まるで覚えたての児戯を繰り返して試す、子どものように。
「真秀――……」
全てが完璧に癒えた。彼らもベッドから抜け出し、隣の部屋へと入っていく。ヒューゴーの怒りは頂点に達し、慌ててモーリスが彼らを叱りつけ、出て行くように命じているようだった。
「…………デルマ、私……」
「アレクシア様、お気を確かになさってください」
「……わ、私……力が……祝福の力が、戻ったの……?」
デルマは判断しかねたのか、ただ無言で主人の背を撫でていた。アレクシアは己の手を見つめ、浅い呼吸のまま、その場に立ち竦んでいた。
第四十五話をお読みいただきありがとうございます:)




