第四十三話 女領主の療養日
「もう大丈夫よ……?」
ベッドの前で仁王立ちするデルマに、アレクシアはおそるおそる懇願した。熱も下がったし、ごはんも食べているし、と言ってみるものの、この侍女は頑なにアレクシアを休ませようとしているらしい。
「熱が下がって、まだ一日しか経っていないではないですか。ヒューゴー様にはよくよく療養するように仰せつかっていますので」
「でも……」
緑の目が扉をちらちらと見やる。いったい何日寝ていたのだろうかと考えるだけで恐ろしい。執務室がどうなっているのかを見るのは怖いが、これ以上仕事が滞ってしまうのはもっと怖い。そんなアレクシアの心境を察してか、デルマは小さくため息を吐いた。
「収穫祭も終わり、村の者も一息ついているところです。喫緊のお仕事はありません」
「でも、もうすぐ冬よ……?」
充分な収穫を得たとはいえ、ここの冬は厳しいものだとアレクシアは気づいていた。王国の北に位置するのだ。きっと雪深くなる。
「準備をしたいと?」
「ええ……まずは皆から意見を聞いて……」
「では私が意見を集めてきて、まとめます。その間に貴女はしっかりと身体を治す。いいですね?」
叱られた子どものように眉尻を下げ、こちらを見上げてくるアレクシアに、デルマは苦笑いをした。
「それが貴女の喫緊の仕事ですよ」
「……わかったわ」
デルマにここまで言われればとため息を吐き、アレクシアが頷く。よろしい、とデルマも満足げだ。
「この部屋で寛がれるかぎりは、何をしてもいいので」
「! じゃあ書類を……!」
「寛がれるかぎりは、ですよ。本を読むなら構いませんが」
本。たしかに、とアレクシアの気分はそちらに向いた。ベッドから抜け出し、寝間着のまま本棚に近寄る。背表紙をなぞり、そこにしまっていた筈の目当てのものが無い事に首を傾げた。
「? ヌッツロース史はどこにしまったかしら……」
「……」
執務室かも、とちらりとデルマを見るが、どうしてもこの部屋から出してはくれなさそうだ。諦めてもう一つの読みかけの本――騎士物語集をとる。これは時間がなくて中々読み進められなかったものだ。
「では、何かあればお呼びください」
「ありがとう、デルマ」
デルマが一礼し、部屋を出て行く。ぱたん、と静かに扉が閉まれば、穏やかな静寂が部屋を包んだ。窓から差し込む陽光はどこかもの寂しい。アレクシアは小さなため息を吐いて、窓際のソファに座り、手にした本を開いた。
(私、どうなったのかしら……)
頁をぼんやりと眺めながら、思案に耽る。あの階段を降りたあとの記憶が、殆どない。階段下に聖窟――貴族が屋敷に作る、祈るための地下洞窟があったことは覚えている。
それから万物素。
疲れていた身体が濃すぎる万物素にあてられて、倒れたのではないかと村医者ヒューゴーには言われたが、あまり納得がいっていない。今まで万物素酔いをしたことなんて殆ど無かったから……。
物語に集中出来ないまま、頁をめくる。聖窟には何があったか。デルマに聞いたが、何も、と首を振られた。調査をしたいと言っても、今この体たらくでは許可が下りないだろう。彼女のことだ、中庭の階段の扉にしっかりと錠をしているに違いない。
己の額に触れる。まだ少し、熱い。病み上がりと言われるのもおかしくない。
「失礼します」
ノックと共に聞こえてきたのはサーラの声だ。どうぞ、と返せば静かに扉が開かれ、洗い立てのシーツを抱えたサーラが入ってきた。
「お加減はいかがですか?」
「ええ、……悪くないわ」
アレクシアの言葉にサーラはほっとしたようだった。いそいそとベッドに近寄り、シーツやらを交換していく。
「ねえ、サーラ。私ってどれぐらい寝込んでいたの?」
「ざっと三日ほどです、アレクシア様」
そんなに、と目を見開くアレクシアにサーラはこくりと頷く。朝起きて朝食の支度ののち、日課の中庭掃除をしようとすれば見知らぬ階段が現れていたこと、驚いてデルマに報告しにいけば、主人の部屋がもぬけの殻だったこと、デルマが真っ青な顔をさせながら階段を駆け下りていき、アレクシアを担ぎ出したことをサーラは話した。
「あの階段、近寄るとクラクラしちゃって」
「万物素が充満していたみたい。訓練していない人が近寄ると危ないわ」
「そんなところに一人で? デルマ様の寿命は確実に縮んだと思いますよ」
「……それは、ごめんなさい」
私じゃなくて彼女に謝ってください。やや呆れたような顔でサーラは肩を竦める。そして、ふと思い出したように話題を変えた。
「村の人達から見舞いの品が」
「えっ」
「お見舞いをさせてくれって皆騒いじゃって! まだ眠ってるからって宥めるの、大変だったんですからね! それで……皆はせめて、見舞いの品をと」
ズッカボチャ、バースニップ、川魚、鹿肉、茸、熟れた七竈果。指折り数えながら、サーラはぱっと表情を明るくした。ちょうど食べ頃の果実があったのであとで持ってきますと言い、古いシーツを纏めるのを見届けながら、アレクシアは戸惑ったように呟いた。
「そんな……倒れただけよ……?」
「アレクシア様」
サーラは向き直り、憮然とした顔でアレクシアを軽く睨んだ。失礼ですが、と前置きして、言葉を続ける。
「あんたは自分のことになるとほんとうに、ぽんこつですね!」
「ぽ、ぽんこつ……」
「皆は、あんたが思っている以上にあんたを心配していますよ!」
「…………ごめんなさい、そうね、よくないわね……」
しょげかえるアレクシアにやれやれと首を振り、サーラははたと主人の手元を見やった。
「ところで、何読んでるんですか?」
「ええ……騎士物語集よ」
「騎士物語? それって、騎士様のお話ってことですか?」
「そう。古いおはなしだから、本当かどうかは分からないけど、建国の王に仕えた伝説の騎士や、女王に忠誠と愛を捧げた騎士のおはなしが集められてるの」
サーラはそれに興味を持ったようだった。彼女ぐらいの年頃なら自然なことだ。誰だって騎士には一度ぐらい、憧れる。
「読む?」
「あー、また貸してください。今のアレクシア様の唯一の娯楽を取り上げたくはないので」
悪戯っぽく笑うサーラに、アレクシアも笑う。とにかく、彼女のおかげで村のことをほんの少し知ることが出来た。
「ありがとう、サーラ」
「どういたしまして。さてさて、今日は何を食べたいですか? ご主人様?」
おどけた調子でサーラが聞いてくる、そうね、と暫く食事のことを話し合った。
翌朝――。
調子はかなりよくなった。ゆっくり休んだのと、サーラがつくった食事がよかったのだ。執務室の窓を開け、ぐっと伸びをする。
デルマはもう少し休んでほしいという顔をしていたが、無理はしないという条件で、アレクシアは彼女を頷かせた。
「さて、デルマが集めてきてくれた意見書はこれね……」
紙にかかれたものをざっと眺める。ヌッツロースの冬について、最近の困りごと、こうすればよいのではないかという提案。思った以上に皆、答えてくれたらしい。
「――……村の外で獣の群れを見た……?」
ふと気になる記述に目をとめた。そろそろ冬に差し掛かる。冬ごもりする獣は山奥から出てこなくなる時期だが……。何かが引っかかり、考えていると扉の向こうから慌ただしい足跡が聞こえてくる。
「失礼します、アレクシア様!」
デルマが焦ったような顔で部屋に入ってきた。こんなに慌てて何かあったのかと顔を上げれば、乱れた呼吸を落ち着かせ、彼女は言葉を続けた。
「村の入り口に負傷した者が――……何人か」
「すぐいくわ」
立ち上がり、ケープを羽織る。どうやらただ事ではないらしい。
第四十三話をお読みいただきありがとうございます:)




