第四話 最果ての地ヌッツロース
馬車は二人と少ない荷物をおろしたあと、一時もここにいたくないと言いたげに元来た道を去って行った。二人を出迎えたのは腰の曲がった老爺で、手入れの行き届いていない長いヒゲをもごもごと動かしながら、頭を下げてきた。
「最果ての地ヌッツロースは貴女様を受け入れましょう」
しかし伸びきった眉毛の奥、眼光は冷ややかだ。やってきた罪人たちを歓迎する筈がないということだろう。
「受け入れてくださるお慈悲に感謝いたします、ウッツ様」
「慎ましく日々を過ごされよ、ご令嬢。そうすれば死ぬことはありますまい」
こちらへ、と村長ウッツは左足を軽く引きずり、歩き出した。ゆっくりとした歩みに二人は荷物を持って着いていく。
春だというのに村には活気がなく、家の軒下では干した野菜や獣肉が揺れている。
「……」
広場を通り掛かる。中央にあるのは井戸だろう。しかし、水を汲む桶は引き上げられたまま、もう随分使われていないように見えた。
村の中央にある井戸など、皆の生命線であろうに。
井戸の傍で何人かの男がたむろしている。こちらに気がついたのか、ひそひそと言葉を交わしては様子を窺っている。警戒心を隠そうともしていない。
彼らだけではなく、そこかしこで視線だけが二人を刺している。デルマは顔には出さなかったが、その手は腰の、剣の柄に置かれていた。
(どうしてこんなにも荒れ果てているのだろう)
この国は比較的温暖な地帯だ。
春になれば、冬の寒さを凌いだ芽が顔を出し、どこも活気が出てくる。しかしここはどういうわけか、季節が止まっている気がする。
(何か原因があるのかしら)
アレクシアの思考は、もはや癖のようなものだった。
王都にいた時、押しつけられた仕事の中にはよく、王都や地方の〝不便〟を解消してほしいという嘆願書があった。雨季の大雨で川が暴れて集落が水浸しになる、作物の育成が芳しくない、地方へ向かう道を馬が嫌がる等々。
「ウッツ様、この村の春は比較的遅いのでしょうか?」
「この村に春などありませぬ。夏も、秋も来ませぬ」
「ずっとですか?」
「たった数十年の話ですな。土は痩せ、井戸は涸れております。死ぬことはない程度の作物しかとれませんで」
「……」
記憶にあるだけの過去の仕事を思い返す。
この村の名前を見たことなんて一度たりともなかった。つまり、この村は数十年、荒れ果てた状態でも王都に助けを求めていないということになる。
ここに来るための道はあるのだから、危機を知らせる早馬は出せるはずなのに。
「――……なにかが、土地の力を止めている?」
「ご令嬢、下手な詮索はなさいますな」
無意識に呟いた言葉を、ウッツは鋭く咎めた。
こちらを振り向いた老爺の顔は、猜疑と畏れがありありと浮かんでいる。その声色と視線に肩が小さく跳ね、失言を咎められた子どものようにアレクシアは俯いた。
そうして三人は無言のまま、広場から伸びる道を暫く歩いた。
「ここが貴女様の屋敷です」
辿り着いた屋敷の前で、アレクシアは息を呑んだ。ほとんど廃墟だ。きっと元のあるじが住んでいた時は立派なものだっただろうが、そういった過去の痕跡が余計にこの屋敷を惨めなものにさせていた。庭の植木は枯れ果て、屋敷の壁はすすけている。中も同じようなものだろう。
「ご案内ありがとうございます」
「では私はこれで。ああ、国王陛下より、貴女様にはこの村の統治権が与えられております」
「統治権……?」
「ヌッツロースの領主というわけです。それで……もし、ここを上手く統治出来たなら貴女様が犯した罪を償ったとする、と。しかし我々はこう思っておりますのでな。『余計なことをしてくれるな』」
「…………それって」
「もはやこの村は神に見捨てられておる。どういった罪を犯したかは存じませぬが貴女様も王都に戻ろうなどという無駄な足掻きはよしなされ。――では」
来た道をのろのろと去って行くウッツの背を眺めながら、アレクシアは呆然と立ち竦む。神に見捨てられている? 余計な詮索はするな? この村に何かがあった? 考えは尽きない。
「アレクシア様、入りましょう。まずは一度、お休みください」
デルマが促してくれば、アレクシアは自分の身がどっと疲れていることに気がついた。小さく頷き、手渡された鍵――これも随分錆びていたものだ。
それを鍵穴にさす。木が軋む嫌な音と共に扉が開いた。
◆
屋敷の中もひどいものだった。明日にでも崩れて二人を生き埋めにする、なんてことは無いがとにかく床は軋んで酷く鳴ったし、漆喰の壁はところどころ崩れている。
「ベッドで寝るなんていつぶりかしら」
シーツから埃は立ち上ったが、アレクシアの声は弾んでいる。
「ここ一ヶ月、執務室のソファとご友人になられていましたからね」
「だってそうでもしないと処理が追いつかなかったのよ」
窓を開けて夜風をまねくデルマが皮肉を向ければ、アレクシアは少しだけ頬を膨らませた。部屋はかなり埃っぽいが、明日ゆっくり起きて掃除をすればいい。もう仕事に追われることはないのだから目を覚ましても、積み上げられた書類の山を目にすることは無い……。アレクシアは自分に言い聞かせて、シーツを敷き直したベッドに腰掛けた。
「そう……明日から何をしなければいけないのか、考えないと……」
「時間はありますから。ゆっくりお休みになってください」
では、とデルマが一礼すれば、アレクシアは目を見開いた。
いったい彼女はどこで寝るつもりなのだろうか。
「待って、あなたはどこで寝るの?」
「適当な部屋を見繕いますよ。それなりの屋敷なのです、使用人の部屋のひとつぐらい――」
「窓が破れていたら寒いわ。一緒の部屋で寝ましょう?」
困惑したのはデルマだった。
従者が主人と同じベッドで寝るなど、あり得ない。この人は何を言い出すのか。
「お嬢様、いけませんよ」
「今夜だけ。ね、デルマ。それに私はもうそんな身分じゃないもの」
眉尻を下げながら小首を傾げるアレクシアに、デルマは一度唇を引き結んだ。しかしすぐに、嘆息して頷いたのだった。
「では、あなたが眠るまでなら、おそばに」
「嬉しいわ」
「なのでほら、早くベッドにお入りくださいよ」
デルマが促せば、アレクシアはいそいそとベッドに潜った。デルマは蝋燭の火を消し、ベッドの端へと腰を下ろした。しかしやはり、落ち着かない。
二人は闇の中、しばらく沈黙を守っていたがやがて、アレクシアが口を開いた。
「私たち、ずっとここで暮らしていくのね」
「お嬢様……あの村長はああ言いましたが、どうか希望を捨てず――」
「デルマがいるから、大丈夫よね」
デルマの言葉を遮り、ぽつりと呟くアレクシアの声は震えている。
その声色にデルマは息を呑んだ。何も答えられず、ただシーツを握りしめるばかりだった。
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