第三十九話 前夜
虫除けを作るための文献はすぐに見つかった。ヌッツロースの周辺に生える固有の薬草を用いて、小さな護符を作っていたらしい。村人に頼めばその薬草はよく見るものだとか。
「これを絞った液に木片を浸けて、外に出る時に身につけていたのね」
「さっそく皆に頼んで、試作品を作ってもらっています。それを農夫たちに持たせて効能を検証させましょう」
デルマの報告に頷きつつ、井戸広場を見やる。素朴な飾り付けが、賑わいに彩りを加えている。広場に準備された祭壇にはズッカボチャはもちろんのこと、山で採ってきた茸や栗が供えられ、野花で作ったリースが、可愛らしく揺れていた。人々は慌ただしく動き回り、明日の収穫祭に向けての準備に大わらわである。
「いよいよ明日ね」
「ええ、皆張り切っています。殆どの者が、こんなにも盛大な収穫祭は初めてだと言っていました」
デルマの声もどこか楽しげだ。そしてどこか、誇らしげでもあった。
「……貴女も楽しみ?」
「そうですね。祭は誰だって楽しいものだと思いますよ。それに……アレクシア様、これはあなたが成したことですから」
「私が?」
ぱちりと瞬きをして、アレクシアは軽く首を振った。その仕草にデルマは片眉を上げて、主人をじっと見つめる。
「違うわ。私は――私は何もしていない。ズッカボチャだって育てていないし、あんなに可愛いリースも作ってない。……村の皆が豊穣祭のために作ったものよ。私が成したことなんて、何にもない」
「そうさせたのはアレクシア様、あなたです。井戸を蘇らせ、畑を整え、ツチラトとの交易を結んだのをお忘れですか? ……彼らにそうさせているのは、他でもなくあなたですよ」
デルマの声色はほんの少し、それこそアレクシアにしか感じ取れないほどの苛立ちを孕んでいた。それが己に向けられているのを感じて、アレクシアは困ったように眉根を下げたのを見て、デルマは言葉を続ける。
「お休みの時間を削っておられるから、本質が見えていないのでは?」
「……知っていたの?」
睡眠不足を指摘され、アレクシアははっと顔を上げた。かち合ったデルマの金眼は、憂いを帯びてその眼差しを主人に向けている。それに射貫かれると、全てを見透かされているような心地だと、常々感じていた。……デルマは、そんなことありますかと否定するだろうが。
「私はあなたの侍女ですから。何かお考えがあって、夜更かしをされているとは思いますがあまり感心しません。……アレクシア様、ここは王都ではないのです。そして、もう村の者はあなたの敵ではないのです。あなたを追い詰める者は、何もありません」
「…………」
落ち着いた調子で語るデルマに、アレクシアはゆるく頷き、目を伏せた。分かっている。井戸に水が戻ってから、村は蘇ったように活気を取り戻した。問題が無いわけではない。だが、こうして皆、笑って日々を過ごしている。それは得難いものだと、理解出来る。
「そう、ね……デルマの言うとおりよ」
「今日は絶対に早くお休みください。目元を疲れさせて祭に出られるなんて、ヌッツロース領主の名が泣きますよ」
「ふふ、そうするわ。じゃないとサーラが文句を言いそう。それに、デルマも私が寝るまで見張りそうね」
「大切な部下の為にも、是非そうしてくださ――」
デルマが言い終わらないうちに、足元が揺れた。小さな悲鳴をアレクシアが上げれば、デルマは咄嗟に彼女を支えた。揺れは一瞬だった。村人たちも、地響きを感じたのか互いに顔を見合わせ、問題がないか確かめあっている。
「珍しいわね……」
「ええ……」
これ以上は揺れないだろうと、準備を再開しだした人々を見てほっと息を吐く。向こうからサーラがやってきて、アレクシア様、と嬉しそうに手を振ってくるの見かけて、アレクシアも微笑み、それに応えた。
◆
頁に栞を挟み、閉じる。本当はもっと読み進めたいのだが、今夜ばかりはデルマの言葉に従うつもりだった。表紙に記された表題を撫でる。
――ヌッツロース史。
この村の歴史を記した本を、アレクシアは図書室で見つけたのだ。もっとこの村のことを知らなければならない。大聖女と縁深いというこの地について、アレクシアは知りたかった。
小さな欠伸を漏らしながら、本を棚に戻す。火消しで燭台の灯りを消し、ベッドに潜り込む。念入りに洗い、陽光に晒したシーツはいい匂いがした。
目を瞑る。窓の外から虫の音だけが聞こえてくる。
(私がなしたこと……)
デルマの言葉を思い出す。彼女の言葉は正しい。自分だって、この村に来た時には、ここまで出来るとは正直思っていなかった。その上で、何が出来るかを考えて、動いてきただけだと。
……運がいいのだ。ここに追放されたのは、不当で不幸なことだったのかもしれない。それでも、今は、少しずつ良くなってきている。必要とされている。不幸せではない。
(必要とされていることは、幸せよ、アレクシア)
言い聞かせる。それと同時に、小さな声が、微睡む娘の内側から聞こえてくる。
(でも、もしあの時みたいに……何も出来なくなって……)
うつらうつら。殆ど、寝言のような思考だった。デルマのいうとおり、本当に寝不足だったらしい。明日はきっと、久しぶりに気持ちよく起きることが出来る。
アレクシアは微睡みの中で、とりとめのない思考を繰り返していた。
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