第三十八話 熱と薬草
幼い女の子が、ベッドの上で寝かされている。熱にうなされ、顔は赤く、汗が滲んでいた。
「元々熱を出しがちで、数日前から体調が優れず様子を見ていたのですが……」
ベッドの傍に置かれた椅子に座り、額に手を当てながら村医者のヒューゴーが呟く。その声色には悔しさが滲み出ていた。
「今までにないほど熱が上がり、呼吸も荒い……危険ですな」
「何か原因があるのでしょうか?」
アレクシアも用意された椅子に座り、女の子――コリンナの顔を覗き込んだ。苦しそうな顔に、眉根を寄せる。ヒューゴーはゆるく首を振り、ため息を吐いた。
「小さい子はよく熱を出すものです。しかし、これはまた別のものが原因かと……心当たりは?」
ヒューゴーが母親に視線を向ける。顔を真っ青にした彼女はぶんぶんと首を振ったが、しかしはっと目を見開き、震える唇を動かした。
「そういえば野原に遊びに行っていました。この時期はリコリスが咲いて綺麗だからと」
「野原……もしかすると虫に噛まれたのかもしれません、ヒューゴーさん。リコリスが生えている場所となると、魔壁蝨でしょうか」
「ふむ、その可能性が高い。しかし魔壁蝨か……この近辺の種類はそんなに害はない筈ですが……」
おかあさん。掠れた声でコリンナが呻く。
その声を聞いた母親は声を上げて彼女の手を取り縋った。そしてヒューゴーとアレクシアを交互に見て、声を戦慄かせた。
「先生、アレクシア様! どうか娘をお助けください……!」
「モリーさん、落ち着いて。とにかく魔壁蝨のかみ跡が無いか探します。そこが見つかれば……そうね、スベリヒユ、フィッシュワート、それから白リカー……ヒューゴーさん、これを使った毒消しの作成をお願いしていた筈です。使えますか?」
ヒューゴーは頷き、鞄を開いた。真新しい瓶の中で、薬草入りの白リカーが揺れている。
「足を見てみましょう。だいたい魔壁蝨は足につきますから」
母に断りをいれ、掛け布団をそっとめくる。小さな子どもの右足をそっと持ち上げ、ヒューゴーは丁寧に調べだした。続いて、左足。
「ああ……ありました。酷く腫れていますな」
膝裏の少し上に、かみ跡はあった。シーツの上に小指の先ほどの大きさの、まん丸に太った魔壁蝨が転がっている。それを摘まみ上げ、ヒューゴーは空の小瓶に放り込んだ。
「ひどい……魔壁蝨に噛まれるとこんなことになるのですか?」
「ここまで酷いのは珍しいことです。かみ跡のまわりで肌が変色しているのは毒ですな。こいつが悪さをして、コリンナちゃんが熱を出してるというわけだ」
ヒューゴーの顔は険しい。清潔な布に白リカーを染みこませ、かみ跡に当てる。
「毒が抜けるまで二週間はかかります。まずは五日は絶対安静。それからは少し熱が高い日が続きますが、飲み薬とこれで乗り切れば、大丈夫かと。毎日診に来ましょう。さて……とりあえず五日です、五日、薬を欠かさず、お腹によいものを食べさせてやりなさい」
飲み薬を取り出すヒューゴーの言葉に、不安げに見守っていた両親の表情は少しだけ和らいだ。アレクシアも同じく、緊張に強ばっていた顔を僅かに緩める。
感謝の意を表しながら、両親は家を辞する二人を見送った。相変わらず往来には働く人々が行き交っている。
「……聖女の祝福を受けることができれば、三日とかからないのですが」
ぽつりとヒューゴーが呟く。
「聖女の、祝福……」
「我らの村にはないものです。無い物ねだりとは思いつつ、あればどれだけ楽になるかと考えてしまいますよ。無論、私たちは私たちのやり方で病や怪我と戦わねばならんのです」
「……魔壁蝨の対策が必要ですね」
「虫除けですな。文献を漁ってみることにしましょう」
「私も調べてみます」
ありがとうございますと一礼するヒューゴーに、アレクシアはそれぐらいのこと、と首を振った。診療所へと戻り行く彼の姿を見送ったのち、ぼんやりと立ち尽くす。
「聖女の祝福があれば……」
そう。聖女の祝福があれば、コリンナの容態はすぐに良くなるのだ。
彼女の身体を治すように神に祈るだけで、二週間も熱に苦しまず、彼女は回復する。だからこそ、聖女は奇跡を起こす人間として、扱われる。――アレクシアも、かつてはそうだった。出向いたのは殆ど貴族の屋敷だった。
病は万人に降りかかる。
それを癒やすのは、聖女として当然のことだと思って、アレクシアは祝福の力を行使してきた。
(私が、まだ祝福の力を使えていたら……コリンナは苦しまずに済んだ)
屋敷への道を歩く。無力感がアレクシアにのしかかって、その足取りを重くさせていた。悪い癖が出ていることは自覚している。たらればなんて、意味の無いことだ。
(もし、取り戻せるなら……?)
屋敷の扉を開ける。花瓶に花を挿していたサーラが、おかえりなさいませ、と笑いかけてくる。それに微笑みで返して、アレクシアは執務室への扉を開きかけ――。
「そうだわ……調べ物をしないと」
ヒューゴーとの会話を思い出し、踵を返す。屋敷には小さな図書室があった。すっかり片付けられ、当時の資料――アレクシアにとってそれらは貴重なものだった。そこに野草の図鑑があったことを思い出したのだ。
今の自分に出来ることは少ない。それでもやらなければならない。そう自分に言い聞かせた。
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