第三十六話 山犬の国
あたし、なんにも知らなくてさ。
おずおずと切り出した少女を、ツチラトは見やった。商談を終えて、一息ついた彼の目の前にはサーラが立っている。
「なんにも?」
「そう。……あんた達がどうして……この国にいるのかとか、なんで皆は、……その、あんた達を嫌うのか、って……」
サーラの言葉は慎重だった。直接的な物言いをするにも憚られ、しかしそれを知らなければならないといった意思が見えて、ツチラトは片眉を上げた。
「この国で暮らしているのは、生きるためさ。それ以上でもそれ以下でもない。……って言っても、君の中にある〝なぜなにどうして〟は納得しないだろうな」
「……今まで聞くことすら頭に無かった。……あたしの元恋人が言うから、そういうものだと思っていた。皆言ってるから本当に嫌な奴らだって……でも、あたし、デルマに仕事を教えられてるうちに、分からなくなった。デルマは嫌な奴じゃないから。……それで、あたし……なんにも知らないって思った。あんた商人なんでしょ? あたしより物知りってことだよね?」
ツチラトはじっとサーラを見つめた。どこか見定めるような金色の目が彼女を射貫けば、サーラは居心地の悪さに俯いてしまった。しかしツチラトは手にしていた手帳をローテーブルにそっと置き、彼女を先ほどまでアレクシアが座っていたソファに促した。
「ヤトルカ人は野蛮でずる賢い。山から下りてきた山犬のような奴らだ」
「…………」
ツチラトがおどけた調子で口を開けば、ソファに座したサーラは肩を跳ねさせた。彼が口にした言葉はまさしく、彼女の元恋人であるゲルトが常々口にしていたものだったからだ。
「そんな山犬どもの国が隣国にあれば、我が国の民は安らげない……道理を知らぬ山犬は躾けて、文明的な社会にしてやるべきだ。――我らが神、アクリの意思の元に。これは神託である。……君たちの国王、正確に言えば先々代国王フレデリックはそう言ったらしい。これはオレの曾爺さんから聞いた話だ」
「…………」
「大きな戦は起きなかった。元々ヤトルカは小国、君たちラスカース王国に抵抗してもいたずらに血が流れるだけ……そう判断した当時の王は、せめて国のかたちは残るように、取引をした。実質的な属国化だ。要するに……オレたちは君たちの子分になったってワケだ」
「子分……」
紅茶を一口飲み、ツチラトは目を瞑った。
「ヤトルカにはラスカースに無いものが沢山あった。資源だ。元々ヤトルカは山の民だ。特に鉱石はラスカースにとって喉から手が出るほど欲しかった。すぐに商会が派遣され、鉱山をオレ達に掘らせた。今、国で出回っている宝石や魔石は殆どがヤトルカ産だ。……遠慮無く、彼らはそれをここに持ち帰った。――緑豊かだったヤトルカは、今や穴ぼこだらけだぜ」
そう笑うツチラトの目は、奇妙な光があった。自嘲。そういったものだ。そしてその奥に、隠しきれない、暗いものがあった。
「そして、先代の国王テラースは更にヤトルカに持ちかけた。留学はいかが? ヤトルカが鉱石産業だのみなのは教育が行き届いていないからだ。うちに若者を預けてくれれば――立派な人間にしてあげますよ、ってね。……それが、オレたちだ。ヤトルカ王国が差し出した生まれたての山犬の子どもがラスカース流に育てられた結果。……それが、オレや、デルマだ」
しん、と応接室に沈黙が落ちる。サーラは膝に拳を握り、固まっていた。
「そうして、ヤトルカとラスカースの行き来は盛んになった。オレのように商売人として働く者、工業地区で職人見習いとして働く者、軍の末端として働く者……黒い髪と金の目を持つオレたちはすぐに見分けがつく……文化も違う……だが今はまだマシなんだ、サーラ。食っていけるんだから」
そう言ったきり黙ったツチラトに、サーラはどういった言葉をかければいいのか悩んだ挙げ句、口を閉ざした。自分が何を言っても、上っ面なもののような気がしたからだ。
もしかするとこの男は、自分達を恨んでいるのかもしれない。ふとそんな疑問が浮かんだ、それが彼女の眼差しにもうつっていたのか、ツチラトは彼女を見つめ返したかと思えば、ニッと笑った。
「君が知りたかったことは知れたかい?」
◆
翌日、ツチラトは白ナスを詰めたいくつかの箱と、いくつかの織物を馬車に乗せて村を辞した。
屋敷の門前で言葉を交わすデルマとツチラトを、アレクシアは二階の窓から静かに眺めていた。
「……」
もし彼が上手くやれば、村に利益が舞い込む。今は大きいものではない。だが必要な一歩だ。アレクシアは自分に言い聞かせていた。
(そうすれば、村の皆の暮らしがうんと楽になる)
ツチラトがこちらを見上げてきて、目が合った。軽く手を振れば、彼はにっこりと笑い会釈する。馬車に乗り、彼は去っていく。彼は優先的にこちらに立ち寄るつもりだと言い残していた。
(南地区のことで、私が出来ることは何もない……。政府が手を打つなら、大聖女……エリーズ様の祝福で一気に浄化槽を浄めて、仕組みを組み直すしかないわ……)
昨日の商談から頭の隅に居座っているのは、王都の南地区のことだ。――貴女が出る幕では無くなっています。ツチラトの言葉は尤もで、それでも無理を言って彼には頼み事をした。
「もし、私が王都にいれば……」
思わず零す。もし、王都にいて政務に携わる事が出来たら、もし、ヨナーシュが自分に愛想を尽かせずに婚約破棄を宣言しなければ。もし、エリーズが神託を受けなければ。
「…………もし、私が祝福の力を失っていなければ」
小さく息を吐いて、己の手を見つめる。一年半前まで、国教会が戴く大神アクリに祈れば、奇跡を起こすことが出来た手。今は何の力もない、悪魔憑きと呼ばれた者の手。
(やめよう、過ぎたことだわ……)
思い直し、窓から離れる。昼下がりの掃除の行き届いた階段を下り、執務室へと入る。仕事は山ほどあった。
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