第三十四話 土産話
妙な空気ですよ、ツチラトはそう切り出した。妙、とアレクシアが聞き返せば、ツチラトは薄く笑い、紅茶を口にする。
「そうです。王都の上も下も、ちょっとばかし妙な空気……まあ言葉を選ばずに言えば、住みにくくなりましたね。……オレ達だけじゃなく、皆がですよ」
ツチラトの言葉の端には、僅かな皮肉が滲んでいる。この国で暮らす彼らの立場を思えば無理もない。
「何か問題が起きているということね」
「まず南地区の水路! 浄化槽のナゲキハスが全部枯れちまったらしく、水の濁りが酷いんです。南地区全域の水路から嫌な匂いもするし、改善の兆しもない。技師も工具を投げてお手上げ……そうなると、他の地区から人も寄りつかなくなるわけで」
「……ナゲキハスが枯れた?」
ここに追放されてから王都の使者が持ってきた仕事を、アレクシアは思い出していた。水の濁りが酷くなってしまったことは知っていたが、まさか水を浄めるためのナゲキハスまで枯らしてしまったのか。軽い目眩を覚えるアレクシアをよそに、ツチラトは声を落とした。
「犯人は王太子サマです」
「ヨナーシュ王太子が……?」
「水路の改善をしようとしたようですよ。もっと効率的な方法があるに違いない、ナゲキハスはヤトルカが原産で信用性が低く、世話も手間だ……そんな感じで、浄化槽に何か別の工夫をしたとか。その結果、ナゲキハスは枯れて、濁りが酷くなったと」
「あの……あの愚か者……いったい何を……」
デルマが呆れた声を出す。その声に怒りが滲むのは致し方ない。何故なら――。
「……あれは南地区の技師の人たちと長い時間をかけて構築した仕組みよ……どこを触ったのかしら……」
「浄化槽の改善にナゲキハスを採用したのは貴女ですからね、アレクシア様?」
愉しそうにツチラトが聞けば、アレクシアは頷いた。提案しただけよ、と付け加えつつ、思案する。
「一時的な応急措置が必要だわ。……例えばだけど聖女の祝福で水を浄めながら、修理するしか……」
「そうなると国教会がすぐに動きそうですが」
「もちろん、国からの要請に国教会もすぐに動いた。聖女の何人かを浄化槽に向かわせて……でも追いつかない。ほら、あそこって工房や工場が多いでしょう?」
「そうね……南地区――工業に特化した区域の水質改善は王都にとって長年の課題だった。それを解決する仕組みが壊れれば、すぐに元に戻ってしまうわ」
「数日で直ると思っていた浄化槽もなおる見込み無し。それで……先に聖女たちが音をあげた。こんな穢らわしいところ、もう嫌です! ってね」
ツチラトが肩を竦めれば、デルマが呆れたようにため息を吐く。アレクシアは眉を寄せ、俯いた。
「元は浄化槽にちょっかいをかけた王太子が悪いんだ。でもさ、王太子って……エラいでしょう? 誰も咎められない。王太子も最初は躍起になって元に戻そうとした。その間にも水はどんどん濁るし、南地区は他の地区から水を融通してもらわないとといけない始末。不満は溜まる一方! ……皆は王太子サマに説明を求め、王太子サマはそれに応えなきゃならなくなった」
ツチラトが咳払いし、胸を張る。そして芝居がかったように、言葉を続けた。
「今回の浄化槽に関して、我々が調査をした結果……前任の責任者が悪意をもって施した細工が原因であることが判明した。そのせいで水が濁り、住民の皆様にご迷惑をおかけしている。我々行政は責任をもって全力で――」
「前任の責任者!?」
デルマが声を荒げる。その反応も予想していたらしくツチラトは軽く手を上げた。
「そう、前任の責任者――まあ、そもそもずっと、一番上はヨナーシュなんだけど、実際はアレクシア……貴女だった。悪意をもって施した細工っていうのはまあ、そういうことだ。アレクシア・レイデン嬢が悪魔憑きだったっていう噂は王都じゅうに広まっているからさ。……でも、皆そこまで愚かじゃない。特に技術者が揃う南地区――それが良くなかった。そうそうたる顔ぶれの住民たちに色々なことを突っ込まれて、ヨナーシュのやつ、半泣きになって引っ込んだらしいぜ?」
あの頑固一徹な職人集団に詰められ、涙目で逃げ帰るヨナーシュを想像し、アレクシアは複雑な顔を隠さなかった。
「私のことはともかく、南地区の浄化槽はなんとかしないと……聖女様たちが駄目なら大せ――」
「そう仰ると思いました。でもね、アレクシア様」
ツチラトが身を乗り出す。じっと、アレクシアを見つめ、何かを見定めているようだった。
「貴女が出る幕では無くなっています。……今は、手を出すべきじゃないんです」
行商人の低い声に、軽く唇を噛む。何かを言いかけ、しかしアレクシアは小さく頷いた。
「そうね……追放された私が下手に手を出せば、余計な混乱を生む。やっと安定してきたこの村を巻き込むことになってはいけないわ……」
アレクシアの声色は自分に言い聞かせるようだった。デルマも沈黙を守り、サーラは不安げにアレクシアを見つめる。ツチラトは笑みを深め、再び紅茶を口にしてから、ぱっと顔を明るくした。
「まああっちはあっちで何とかなりますって! 世間話はこれくらいにして、今度は取引の話をしましょうよ、アレクシア様! 貴女が去ったレイデン家との取引が一方的に打ち切られた以上、オレも販路を開拓しなきゃなんなくて、ね? ぶっ壊れた浄化槽の話より、ずっと面白い話だと思いますよ!」
ツチラトの弾んだ声にアレクシアがつられて頷く、再び彼の話に耳を傾けるべく、姿勢を正した。
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