第二十九話 蘇る井戸
朝、ゲルトは仲間たちと井戸の前で話し合っていた。相変わらず川は干上がり、村には諦観の念が漂っている。仲間たちもこの先どうやっていくのかが分からず、一様に不安げだった。
「なあ、ゲルト。オレたちも山に向かったほうがいいんじゃないか? あいつらが出発して二日経ってる。……山の中で迷ったか、狼にやられたか分からねえけど探しにぐらいは……」
「駄目だ」
「で、でも一緒にサーラちゃんも行ったんだろ?」
仲間の声は言外に、ゲルトの恋人であるサーラの心配をしていた。それもゲルトは気に食わないらしく、仲間をキッと睨み付けて黙らせた。
(サーラが勝手にあの女についていったのが悪い! なんにも出来ねえくせに、一丁前に名乗り上げやがって……おかげで家を掃除する人間がいなくて、困ってんだ!)
「たかが山の水源に行くために何日かかってんだ、あの女どもは!」
「アッチが大岩を見にいったら、どかされていたってよ……どうやってあれをどかしたのか分からねえけど、水源にたどり着けさえすれば……」
仲間の言葉が終わらないうちに、ぐらり、地響きと共に地面が大きく揺れた。男一人が尻餅をつくほどの揺れだ。
「な、なんだ……?」
家にいた人々も驚いて飛び出してきている。幸い、家屋がどうにかなる程ではなかったが、地中で何かが起きているのではないかと恐れて、皆自然と井戸の広場に集まってきた。
「落ち着け! ただの地震――」
ごぽん、くぐもった音が井戸から聞こえてくる。何度もそういった音が聞こえてきて、村中の視線は井戸へと注がれた。そして暫くの沈黙ののち。
突如として水が流れ込む音が井戸から聞こえてきた。
まるで詰まっていたものが取り除かれて、せき止められていたものが一気に流れ出たように。井戸を満たすには飽き足らず、水は溢れかえり外へと流れ出していく。そして呆然と眺める人々の足をひとしきり濡らし、再び元の井戸――清らかな水が揺蕩う井戸の姿に、戻ったのだった。
「…………」
「み、ず……だよな……?」
「水だ、水が戻った!」
「おい、何して……!」
ゲルトが止める間もなく、一人が井戸に駆け寄り、もう何年も使われていなかった井戸の釣瓶を下ろしていく。たぷん、と嬉しそうにそれは水をくみ上げ、人の手元に戻ってきた。おそるおそる、手をそこに入れる。冷たい。手のひらに掬い、口元に運ぶ。
それは冷たいまま、喉奥へと落ちていった。その瞬間、みるみるうちに彼は、生き返ったような心地になった。身体の底から元気が蘇ってくる。そんな感覚に、男は声をあげた。
「水だ! 飲める水だ! ……井戸が蘇ったんだ!」
集まっていた人々がわっと声を上げた。それを聞きつけて、未だ家に籠もっていた人々も皆、広場へとやってきた。
「井戸が、涸れ井戸に水が!」
「ってことは、川も戻ったのか?」
「あの子……領主様がやってくれたの!?」
「きっとそうだよ! 領主――アレクシア様がついにやったんだ!」
村人たちは歓喜で湧いた。むせび泣く老人すらいた。子どもたちは井戸からくみ上げられる水が珍しく、釣瓶を落としてはくみ上げ、それに手を付け、喜びの声をあげている。
「…………そんな、まさか」
ゲルトはただ呆然と、井戸を凝視していた。あり得ない。どうやったって戻らなかった井戸が、蘇るだなんて。あの女は何をしたんだ?
◆
「ゴーレムの出力は安定していますね。これならすぐに封印の力を取り除けそうです」
ゴーレムの背、紋章が刻まれていた場所を眺めながらアレクシアはほっと安堵した。一度停止していたゴーレムは、その背にあの琥珀――オレアードの精霊石をはめ込まれ、万物素管をつなぎ直されている。……砕けた腕に関しては……。
「前のやつより、いいじゃん」
サーラの言葉にドリアードが自慢げに頷く。ゴーレムの両腕は、ドリアードが作り直した。今は大岩の身体に、しなやかな蔓で編んだ腕がぶら下がっている。
「それで……ドリアード様はこのゴーレムの世話をしていただけると」
「たしかに、ゴーレムの出力を上げるために、ドリアード様の母上であるオレアードの精霊石を使っているのですから所有権が彼女にあるのは自然かと」
「今までどおり、泉を守ってもらえるしね」
ドリアードはゴーレムの身体の上にちょこんと座っていた。任せて、と言いたげに胸に手をあて、それから泉の方を指さした。一度戻れ、ということらしい。
「これならすぐに水を流してもいいと思うぜ」
泉に戻れば、開口一番ナーガが告げた。その言葉に安堵しながら、アレクシアは頭を下げる。
「川も井戸も元に戻りますね」
「……完全に元に戻るわけじゃねえけどな。一度お前らヒトが弄くった以上、自然な状態には戻れねえ」
「――……それは……」
「まあ、お前らのことだ。どうにかするだろう?」
ナーガの声はどこか楽観的だ。村のことに関してはこれ以上は踏み込むつもりはない、と言いたげである。
「ドリアード」
ナーガが妻に声をかければ、ドリアードはこくりと頷いた。指をぱちんと鳴らすと同時、川へと向かう入り口を塞いでいた木の根が、ゆっくりと動き、解けた。
泉の水が流れ込む。かなりの勢いだったが暫くすれば、水量も元に戻るだろう。
「ありがとうございます、泉のあるじ、ナーガ様。そして木々の女主人、ドリアード様。ヌッツロース領主として、感謝の念にたえません」
「お前らとはお互い様の関係だからな。オレ達も感謝している。我が妻ドリアードの母、オレアードの形見を取り戻してくれたことにな。これからもお前たちと善き厚誼を築ければいいが」
「ええ、勿論です。いずれまた昔のように」
「楽しみにしてるぜ」
ナーガが気持ちよく笑えば、ドリアードがアレクシアたちに近寄ってきた。その手には葉で出来た小さな包みがあった。
「……ドリアード様?」
差し出してきたそれを見つめ、アレクシアが首を傾げる。礼だとよ、とナーガが言い添えれば、アレクシアはそれを受け取った。包みを開いてみれば、いくつもの小さな種である。
「これは……ヴェルヴェーヌの種ですね」
「木の精直々の賜り物だぜ。お前らが思っているより上等だ。枯らすなよ?」
「私の屋敷の庭に植えても?」
ドリアードが頷けば、アレクシアも微笑みそれを懐にしまった。
「では、私たちは一度村に戻ります」
「おう。何かあればまた来い。お前らなら歓迎してやらあ」
「……」
「サーラ?」
「あ、うん……今行くよ」
アレクシアとサーラが道を下るのを見て、デルマも精霊二人に一礼する。そのまま踵を返したところで、ナーガが口を開いた。
「ファンロンの爺さんは元気にしているのか?」
ナーガの言葉に、デルマは足を止めた。再び二人に振り向き、暫く黙ったあと口を開いた。
「……私は祖国を離れて久しい者です。家族すら連絡を取り合わず……故に、あの御方のお声すら聞けておりません」
「……お前は見るに……いや、ヒトの事情は複雑すぎる。オレが口出しするのも無礼だな。悪い」
「いえ、お気遣い痛み入ります。どうぞ我が主人、アレクシア様とは変わらぬえにしを」
「お前ほどの娘に願われては、オレも無下には出来んよ。まあ、それ抜きでもあの娘はよくやった」
機嫌の良いナーガに、デルマは深く礼をした。そして足早にアレクシア様に追いつこうとする彼女の背を、ナーガは興味深げに眺めていた。
「なあ、ドリアード。ヒトってのは、難しいものだな」
寄り添うドリアードの背をそっと撫でる。再び静寂を取り戻した泉に、子鹿がそろりとやってきた。
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