第二十八話 木イチゴを食べながら
木イチゴの乗せられた葉を差し出され、サーラはびくりと肩を跳ねさせた。
目の前ではドリアードが微笑みながら、首を傾げている。
「我が妻が、お前が腹を空かせていないかと心配らしいぜ」
戸惑うサーラに口添えしたのはナーガだ。白い大蛇の尾はとぐろを巻き、寛いでいるようであった。
「あ、ああ……ありがとう、ございます……」
サーラは内心恐々としていた。アレクシアとデルマが向かった山の奥もかなり危険らしいが、正直なはなし、大蛇の下半身を持つ泉のあるじとその妻の木の精に囲まれながら待つ現状も、サーラにとってはかなり恐ろしい。彼らの怒りを買えば、殺されてしまうのではないか。
木イチゴだって、大人しく受け取って食べなければ十中八九、ナーガの機嫌を損ねるだろう。
「い、いただきます……」
おそるおそる赤い粒を口に運ぶ。甘酸っぱく、今まで食べたどの木イチゴより美味しい。
「…………」
目を見開き、もう一粒食べる。そうなるともう止まらなかった。ぱくぱくと差し出されたそれを口にするサーラを見て、ドリアードは嬉しいのか豊かな髪に花を一輪、咲かせた。
「ははは、美味いか。まあ我が妻ドリアードはこの山の全ての植物を統べる女主人、当然だな。ああ、ドリアードよ、久しぶりにヒトに振る舞えて嬉しいのか?」
ナーガの問いにドリアードは小さく頷き、彼の滑らかな鱗の上にちょこん、と腰掛けた。ナーガは満足げに彼女の髪を撫で、その華奢な身体をやさしく抱き寄せるのである。
「……」
サーラはそれを呆気にとられながら見ていた。仲睦まじいという言葉がそのまま似合う二人である。ナーガはドリアードに心底惚れ込んで、文字通り花を愛でるが如く扱いをしているし、ドリアードは自分よりも大きな体躯の蛇男を恐れることなく、信頼しきって身を寄せている。
彼らがどれほど共に時を過ごしたのかは分からないが、まるでおとぎ話の王子と王女そのもの、といったところだ。
それに比べて――。
思わず、サーラは小さなため息を吐いてしまった。膝に置いた葉、そこに転がる小さな木イチゴのつやつやとした実をぼんやりと見つめて鬱々、そんな顔をする少女を見てドリアードは首を傾げる。
「ん、どうした?」
ナーガもサーラの様子に気づき、声を掛けた。何か気がかりがあるのだろうかと考えたのである。するとサーラは慌てた様子で首を振り、しかし、ため息を吐いてしまった手前、目の前の精霊二人に事情を話さねばならないと考えたのか、ぼそりと零した。
「その……ドリアード様とナーガ様の仲が良いのが羨ましくて……」
「当たり前だ! この美しい妻と出会い、この山で遊び、果てに契りを交わしたのはもう随分昔のことだが、その中で一度たりともドリアードを憎んだりしたことはねえ!」
「ひゃっ……!」
ナーガの剣幕に驚いて、サーラはぎゅっと目を瞑った。その姿にドリアードはナーガの鱗をぱしんと叩き、若い娘を怖がらせたことを咎めた。ナーガは悪い、と頭を掻き、サーラの言葉を待った。
「…………当たり前なのが、羨ましいよ」
絞り出したようなサーラの声に、ナーガは首を傾げる。ドリアードも興味があるらしく、再びサーラの傍に歩み寄り、隣に腰掛けた。
「……お前にはつがいがいるのか?」
「ゲルトっていうの。幼馴染みなんだけどね。……あたし、もう親がいないんだ。それで、女一人じゃ暮らしていけないからって、ゲルトが一緒に住んでくれてる」
「いい奴じゃないか」
ナーガの言葉は率直だ。そう、いい人なのだ。ただ。
「そうなんだ。でもあたしが……あたしが、だめな女だから、ゲルトを怒らせちゃうんだよ。怒ったゲルトは怖い……あたしはゲルトが怒って、殴ってこないように頑張るけど……どうやったって怒らせちゃうんだ……あたしが、一人じゃ生きていけないからゲルトは一緒に暮らしてくれてるのに……」
「……」
ナーガとドリアードが静かに目を見開いたのにも気づかず、サーラは暫く沈黙し、俯いた。その握られた手は微かに震えていて、やがて再び口を開いた。
「あたしね、本当はここにいる資格なんてないんだ……だって、あたしがここにいるのは、ゲルトが……アレクシアを村から追い出したいから、弱味を握るための情報を見つけてこいって言ったのがきっかけだから。……アレクシアは悪魔憑きだって、王都の人はいってた。でも、でも……あたし、そう思えない。でも、言っちゃった……怖かったんだ。ゲルトに殴られるのが、見捨てられるのが……ここに来るために二人を見張るからって嘘をついたけど、あたし……ただ後ろめたいだけなんだ……あたしは、アレクシアやデルマに裏切り者って言われても……しょうがないんだ……なのに、あの二人はなんにも……」
サーラの目から、大粒の涙が溢れていく。泣き顔をナーガたちに見せないように俯いたまま、肩を震わせる少女をドリアードは哀れみの眼差しを向け、その背をそっと撫でた。
一方、ナーガの顔には怒りが浮かんでいた。そのゲルトという輩の所業に、大蛇のはらわたは煮えくり返っているようである。
「サーラ」
「……な、なに……?」
しかしナーガは、長き年月を経た精霊として精一杯の理性をもって、この年若い娘を怖がらせないように努めた。ゆっくりと息を吐き、震える拳を抑え、つとめて冷静に、サーラに問いかける。
「お前は……ゲルトを愛しているのか?」
「…………」
「オレはそれを知りたいのだ」
「あ、あたし、ゲルトのこと……あいつが愛してくれなきゃ、生きていけないし……それに……」
「違う、違う、もっと単純なことを聞いている。サーラ、お前はゲルトのことをどう思ってるんだ」
焦れったいナーガの言葉に、サーラは目を見開いた。あたしが、と一つ呟き、そのまま黙りこくってしまった。二人の精霊も静かに彼女の思案を見守っている。既に日が落ちかけていて、泉に、オレンジ色の光が差し込んでいた。
「…………わからない。でも、このままじゃいけないって、思ってる……」
「そうか……お前はそう思うんだな」
ナーガは一つ頷き、ドリアードはサーラの頭をそっと撫でた。そのまま、二人ともサーラの言葉を否定することもせず、ドリアードは木イチゴを増やし、ナーガはそろそろあの二人が帰ってきてもいいはずだと気に始めた。
「お前の気持ちをよくよく考えるべきだ。ヒトの娘」
ナーガが独り言のように零せば、サーラは頷くほかない。この二人みたいにいられれば、どれほど良かったのだろう。そんな事を口にしかけ、やめた。
ふと、山奥へと行った二人が気がかりになった。朝早くからここを出発して、もう日暮れになる。ここから山奥へはさほどかからないとナーガが言っていたのだが、それにしては遅いのではないか。
(どうして、あの二人はそこまでして村のために?)
道を塞いでいたゴーレムを停止させ、泉のあるじであるナーガにすら堂々と立ち振る舞い、挙げ句、今は危険だという山奥へ向かっている。
(――……この村やあたしたちに、そんなことをする義理なんて……)
「あ……」
山奥へ向かう道に人影が二つ見えた。ゆっくりと歩いてくる。アレクシアとデルマだ。そう直感して、サーラは立ち上がった。
「遅かったじゃ――」
歩み寄ろうとしたが、サーラはその場に立ち竦んだ。
「……ごめんなさい、遅くなって……」
そこには、ボロボロの姿になった二人がいた。アレクシアは身体のそこかしこに結晶をはりつかせ、デルマは傷だらけだった。
「…………なんで」
「大丈夫、〝形見〟は取り戻せたわ」
言葉を失ったサーラに、アレクシアは微笑む。その手には、美しい琥珀が握られていた。
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